説教の聴き方: 語られ、聴かれ、生きられるみことば

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拓洋舎@hallelujah10252026年1月24日読んでる@ 自宅第三章 神の語り手と聴き手の応答 6 神の語りへの応答の多様さ 『主なる神が、ご自身の召された「語り手」を通して、ご自身の救いのみこころをはっきりとしたかたちで語らせ、人々がその語りかけをともに聴きながら、それにもかかわらず、「聴き手」の側の応答は必ずしも同一ではなく、多様である』
拓洋舎@hallelujah10252026年1月15日読み始めた@ 自宅『はじめに』を読む。 レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』への言及から始まり、この本の主題が、教会における「説教者」と「聴き手」との関係性についてであることが示される。
拓洋舎@hallelujah10252026年1月15日買った毎週日曜日に礼拝で説教を聴くようになって17年余りになるけれど、きちんと学んだことなかった『説教の聴き方』 『「説教で満たされない……」と悩む信徒たちへ 「説教が伝わらない……」と悩む牧師たちへ 説教の語り手と聴き手のあいだに、なぜ「ズレ」や「すれ違い」が生まれるのでしょうか? どうすれば、お互いの信頼関係を取り戻すことができるのでしょうか? 牧師と信徒が「説教」をめぐって語り合う、対話の心得を学ぶための11章。 「私の願いは、このような幸いな説教聴聞の経験を一人でも多くの方々が経験してくださることです。そのために、この拙い本が何かのきっかけとなって、教会でみことばの語り手と聴き手がともに学び合うような機会が増えること、そしてみことばの語り手である説教者がますます確信をもって神のみことばを生き生きと語るようになり、みことばの聴き手たちがますますみことばのいのちに養われ、力を得て新しい日々に遣わされていき、そのようにして語られたみことばが、聴かれ、生きられるみことばとして力を発揮することが起これば幸いです。」(「あとがき」より) 【目次】 はじめに―─説教したがる説教者? 第Ⅰ部 説教の課題 第1章 みことばの「語り手」と「聴き手」 第2章 みことばを聴く困難 第3章 神の語りと聴き手の応答 第4章 どうして聴けなくなったのか 第5章 私は何を聴きたいのか、何を聴くべきなのか 第Ⅱ部 説教の可能性 第6章 説教を聴く備え 第7章 説教を聴く実際 第8章 説教を聴き終えて 第9章 説教者に寄り添う 第10章 対話が生まれる説教 第11章 聴くこと、生きること おわりに―─語られ、聴かれ、生きられる神のことば』 あとがき


