
#13
@unicorfin_13
2026年9月18日

落下する夕方
江國香織
読み終わった
これは、失恋の物語だ。
誰がなんと言おうとそうだと思う。
梨果さんも、華子も、健吾も、勝矢さんも、モトカナイも、その全員が失恋する(あるいはしていく)物語だ。
わたしは、この本を読みながらあの人のことを思い出していた。わたしの前から忽然と姿を消した彼は、ちょうど半年前に生きてることだけを知らせ、それから、ちょうど一ヶ月前にメッセージを送ってきた。
「わたしはあの時のわたしなりにあなたを愛していたし、あなたはあの時のあなたなりにわたしを愛してくれた」
離れてから三年という時が経った今でも、わたしにはあの人を想う夜があった。それは途方もなく虚しいことで、空しいことでもある。この三年間、そう思いながらもどうしても彼を忘れることができず(忘れたくないと願いながら)、格好わるい心にとらわれて生きてきた。それは、わたし自身がとらわれたままでいたいと思ったからだけれど、そう思うことすら格好わるいことだと、自覚はしている。
それでも、このメッセージを読んで、心が少し軽く、あたたかな気持ちになったのは事実だ。あの時たしかにわたしは彼を愛していたし、彼もわたしを愛してくれていた。
“格好わるい心というのはたとえば未練や執着や惰性、そういうものにみちた愛情”
あとがきより ִֶָ ⊹ ࣪˖
この文章を読んで、まさに今の自分にぴったりな言葉だなぁと思った。この三年間という月日は、まさに格好わるい心そのものだった。
彼からのメッセージを見てわたしは少しだけ落胆した。心が軽くなり、あたたかな気持ちになるとともに、少なからず少しだけがっかりして、さみしい気持ちになったのだ。
わたしは、彼のいなくなったところを彼のカタチのままぽっかりと空けて生きてきたというのに、以前のように心が揺れなかったからである。昔のわたしだったら通知が来た瞬間に嬉しくなって舞い上がっただろうし、情熱のまま電話をかけていたかもしれない。それでも、現実に襲ってきたのは落胆と、空虚さへのさみしさだった。彼のカタチに空いていた穴はこの三年という時の流れの間に風化されてしまっていたのだと思う。ずっと、求めていた彼からの連絡でさえも、もう、ピッタリとハマることはなくなってしまっていた。
わたしは強くなってしまったのだ。あの人がいないことになれ、あの人がいなくても生きていけるようになってしまった。
落胆の後に訪れたのは、ゆるく、あたたかな愛情だった。あの人が生きていることへの安堵、そして彼のしあわせを願う心。
それは自分にとって成長の証であったとともに、彼のいなくなった夜に彼のことを忘れたくないと思った自分への裏切りの証でもあった。
それでも、この本を読んでわたしはつらくもかなしくもならなかった。そんな自分を受け入れることができているからのような気もする。三年というのはそうさせるのに十分な年月であるし、(物語の中で彼女は15ヵ月で現実の世界に生きるようになるし)そうあるべきだと心のどこかでわかっていたからだ。きっと、わたしも現実を生きるようになっている。彼への想いを風化させながら。
“1ミリグラムの誤差もなく、言葉が正しい重量をもっていた”
p.48より ִֶָ ⊹ ࣪˖
わたしは言葉の扱い方に過敏な方だと思う。信頼と信用の違いがわからない人と話すのは疲れるし、大事と大切を注意深く使い分けるたちだ。
だけれども、言葉の重量は正しく使えていなかった気がする。というよりも、意識の範疇になかったという方が適切な表現だろう。
言葉の持つ力というものを十分に理解しながら(わかりきっているというわけではない)、それでいて言葉の意味や選び方にだけ慎重になり、重量にはそれほど頓着していなかった。
「言葉の尊さ、そこに問いを与えるきっかけをもらった」
彼からのメッセージにそうあったけれど、わたしはあの時、言葉の正しさばかりを信じていてその扱い方に頓着していなかった。またいつか会える時には、そのことを謝りたいと思う。今思えば、彼は言葉を選び間違うことはあったけれど、重量を正しく扱う人だった。彼の言葉はいつだってまっすぐで、素直で、嫌味っぽくも皮肉っぽくもなく、ただそこに存在していた。この本に出会えなければ、わたしは今でもそのことに気づけていなかっただろう。
“錯覚で、こんなに胸は痛まない。”
p.139より ִֶָ ⊹ ࣪˖
“私は自分の感情なんてとても信じられないんだから”
p.140より ִֶָ ⊹ ࣪˖
この物語を読んでいると、自分が二つに割れたような奇妙な気持ちになる。それでも、それは考えてみると何も不思議なことではないのだけれど。どちらも自分の感情に違いないし、わたしは今その二つがないまぜになったところにいるのだ。むしろ、どちらかに極端によっていることを、わたしはたぶん非常に恐れている。
だから、わたしは梨果さんの言うことももちろんわかるし、華子の言うこともわかるのだ。どちらにも「それはそうだ。」と思ってしまう。
恋は体が教えてくれる。
これは持論の一つだけれど、人間の体というものは案外正直にできている、とわたしは思う。寝顔を見た時、わたしを見つけた瞬間花が咲くように顔を綻ばせるのを見た時、ぬくもりに触れた時、見つめられた時。胸の奥がじんわりとあったかくなりぎゅうううと締め付けられることがある。わたしは、これを恋だと思う。だから、梨果さんの言うことがわかるのだ。だがしかし、これが正常なものなのか、それとも誤作動なのかを確認する術をわたしは持たない。だから、華子の言うこともわかるのだ。胸がときめく。これは恋だ。でもこれは錯覚かもしれない。胸が痛むけれど。人間の脳は、案外誤作動を引き起こす。
“私にも信じてるものはあるのよ”
“私はなにも信じてない。いつだったか絶望的な真実さでそう言った華子のことを思いだした。愛情も友情も、人も自分も信じていない。幸福も不幸も信じていない。”
p.209-210より ִֶָ ⊹ ࣪˖
華子が梨果さんに惣一のことを紹介したのは、自分の信じてるものを、愛している人を誰かに知っていて欲しかったからではないだろうか。一緒にいられない人を一人で想い続けるのは、時に残酷なまでに重いことがある。少しでもそれを軽くしたかったんじゃないだろうか。
だがしかし、この時梨果さんが惣一に会ってしまったことで、華子は死ぬ決心をしてしまったんだとも思う。
“私は、現実のこちら側にいようと決めた。”
“いずれにしても時間はすべりおちていくのだ。私たちのまわりを。”
p286より ִֶָ ⊹ ࣪˖
わたしは、いまだに現実のこちら側にいようと決心することができないでいる。それは先述したように格好わるい心に縛られているからである。恋愛ではなく執着や惰性であの人を(あるいはあの人との思い出や、あの人の隣にいた頃の大好きで可愛らしかった頃の自分を)失いたくないと、忘れたくないと思っているからだ。
きっと、これは不健全なことだと思う。あの人が去った後にわたしを好きだと言ってくれた人もいたけれど、それでもそれを受け入れられなかったのはそのためだ。恋をしそうになったこともあるけれど(ちゃんと体が教えてくれた)、それでもその恋から距離を取ったのはわたしがまだ眠りながら生きていたかったからだ。
それでもいつか、現実のこちら側にいようと決心する時が来るのだろう。あの人のカタチのまま空けておいた穴は、これからもどんどん風化して、もっともっとあの人さえもぴったりとははまらなくなってゆく。
それまでもう少し、わたしは眠りながら生き続けてゆく。
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自由は、どこまでも孤独とくっついている。
わたしはわたしのままで自由でありたいと願うとともに、その自由さによる孤独に縛られている。