ひらり
@hirarin_2607
2026年9月25日
女子の人間関係
水島広子
読み終わった
「女」とうまく関わることは、自分の「女」を癒すこと
「女」とうまくやっていくためには、自分が「女」にならず、「女」を見下さないこと
(「女」を「嫌な人」と捉えるのではなく、「いろいろな傷を負ったかわいそうな人」であり「癒しが必要な人」だと考える)
「女」を「女」の目で見ないこと
(つまり「女」についてよく知り、そこで起こっていることが単なる「女」のパターンに過ぎないことを理解する、「女」だからこう反応しているだけだと客観視し、物事に対して感情的に反応しない)
「女」は「女」を嫌うが、女性全般に好かれる女性は「女」度が低いと筆者は述べていて、まさにその通りだと思った。
男らしい女性が「女」に嫌われないのはそのせい。
宝塚で男役をするような女性を嫌いだという女性はかなり少ないと思う。
嫉妬するのはその存在になれなかった「女」ぐらい。
そう考えると「女」の要素を強く持つ男も少なからずいて、その人の場合、女性よりも「女」に近い場合があって、いわゆる「女」男の存在もなかなかに厄介だと思った。
となると「女」とは生まれ持った性別にあらず、やはりその「パターン」なのだと感じられた。
男も「女」になり得るということだ。
個人的に「女」の一番厄介なところは、悪口が好きなところである。
ただこの陰口は、誰かについての話ではなく、「癒されていない人の痛みの話」だと考え、相手をねぎらうだけの表現を返してあげると良いそう。
一般的に女性には共感してあげることが大切だと言われるが、「共感」と「賛同」は似て非なるものだと痛感した。
「共感」とは、寄り添いである。
「そうだそうだ!」と「賛同」するのではなく、
「それは大変だったね」と「寄り添う」こと。
「女」は、「自分という存在が大切にされているかどうか」「否定されない」ことに重きを置くのだそう。
「女」とうまく付き合うには、「女」を女性として見るのではなく、「人」として尊重すれば良いのだと感じた。
接客業にも活かせるであろう内容がたくさん記述されていて、とても勉強になった。
かく言う私にも「お母さん病」や「お姉さん病」があり、「察せる私」を目指して生きてきてしまっていた。
これからは「女」ではなく、他人の「領域」を尊重できる女性になろうと思う。
「女」とは「選ばれない限り満たされない心」を持つ存在であり、つまりそれは「オス」に選ばれる「メス」なのである。
女性が「女」になってしまうのは本能的なもので、「女」が「女」を嫌悪するのも、より良い「オス」が他の「メス」に奪われることに対する危機感なのではと思ったりした。
「女」が「女」であることは種を残すための本能的な行動でもあると考えると、醜い存在だと感じてしまう「女」も、少し可愛く見えたりする。
女性が女性であるためには、やはり「メス」の本能に抗い、理性ある生き物として、客観的に物事を見ていくことを意識しなければならないのだろう。