ゆら "わたしで最後にして" 2025年10月5日

ゆら
ゆら
@fmm_yura
2025年10月5日
わたしで最後にして
ナチスの障害者虐殺、世界各地(日本を含む)での優生政策、やまゆり園事件など、歴史や実際に起こった出来事を通じて、優生思想に抵抗するために学ぶべき知識が時系列でまとめられている。 本書で特に印象的だったのは、障害者権利条約の採択に至る過程だ。筆者の言葉通り、このテーマについて改めて深く学びたいと感じた。 私は1996年に生まれた身体障害者だ。加えて持病により、子どもを産む選択肢をすでに失っている。 その事実だけでも自分の運命に納得できずにいたが、1996年まで悪名高い旧優生保護法が存在していたことを知り、背筋が凍った。 「健常者より弱くて劣っている」「人と違う」という理由だけで、持っていた選択肢を他人に奪われるなんて、許されるはずがない。病気によって選択肢を奪われただけでも悔しいのに、他人や国家によって奪われるなんて、当事者の苦しみはどれほどだっただろうか。しかも本人の同意すらなく! 読みながら、腹の底から煮えたぎるような怒りを感じた。 今日の日本でも、優生思想や排外主義が再び広がりつつあるのを、身をもって感じている。 善良そうな同僚が「移民が増えるタイミングで緊急避妊薬が市販になるなんて怖い」と平然と言い放ったとき、思わず息をのんだ。 スーツを着た政治家が「社会保障費や医療費を削減すべき」「高齢者の終末期医療は自己負担で」と声高に語るたび、福祉や医療に支えられて生きてきた私は、全身を切り裂かれるような痛みを感じる。 私はマジョリティにはなれない。社会に迎合しようと毎日必死に努力しているが(正直、この努力もいつかはやめたいと思う。だって馬鹿馬鹿しいじゃないか)、もし日本が再び優生思想に染まったら、「あなたは劣っている」と排除されるのは間違いなく私のような障害者だ。 だからこそ、過去の歴史に学び、他者への理不尽に声を上げ続けたい。 本書の第5章の結びには、こうある。 「独り障害分野のみの発展はあり得ないということです。近接する貧困や高齢、保育、セクシャルマイノリティー、在日外国人などの分野とも緊密に連携していくことが肝要です」(145ページ) 優生政策、T4作戦、ホロコースト――これらはすべて密接に繋がっていた。優生思想の芽を最初に摘んでいれば、その後の悲劇は防げたかもしれない。 他者への理不尽は、私への理不尽に繋がる。 私の権利を守ることは、他人の権利を守ることにつながる。 他人の権利を守ることは、私の権利を守ることにつながる。 すべての理不尽に声を上げ、他者のことを考えて生きていきたい。やまゆり園事件以降の負の歴史を作らないためにも、これからもずっと。
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