
本所あさひ
@asahi_honjo
2025年10月8日

読んでる
メモ:
p.79
・ジュネットの物語論の枠組み
→語り手は「語りの現在」において語っている。多くの物語は過去形で語られている以上、語り手は「語りの現在」から「過去」に起こった出来事を語っているということになる。
・ジュネットは語りの次元は物語世界とは異なる水準にあるものと設定した。
p.84
・三人称の小説に物語世界の外側にいる人格的な語り手が一人称で割り込む例
・枠として「現在」がつけられている一人称小説
・語っている「現在」と語られる「過去」が両方とも物語世界の中に存在している例
p.85
通常の言語使用では、すべての文は話者によって発話されるものであり、そのフィルターがかかっているものであるが、物語内で起こる出来事やその状態に関してはまさしくそのことが起こっていると読まれるのである。
p.87⭐︎
・日本語や中国語の批評においても、語りは物語世界がすべて終わった後に行われるとされていることが非常に多い。確かに、物語と過去との相性はいい。
★しかしそうなると削がれてしまうその瞬間瞬間の切実さのようなものがないか? 「私は死ぬ思いをした」と書いた時の「けど今生きてるじゃん」とつっこめてしまう脇の甘さというか緩さというか…。それを越えるためには?
・物語では複数の時点を統括して語ることもできるし、ある時間の幅を圧縮して述べることもできる。ある時間の幅を、細かく書くこともできれば、要約的に書くこともできるとすれば、その時間の幅の間をすべて知っていなくてはならない。このような操作が可能になるのは、論理的に言えばそれがすべて完結した時点である。このように考えると、物語は基本的に過去のことを語っていると考えることにも、一定の合理性が認められるようにも思われる。

