五十雀 "I" 2025年12月13日

五十雀
@ari_15
2025年12月13日
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道尾秀介
道尾さんの作品を初めて読みました。帯に書いてあった「空前絶後の読書体験をあなたに」、そして読む順番によって結末が変わるということで、どんな仕掛けがあるのかととても気になり読み始めました。 紀伊國屋書店で配布していたスクラッチカードを削り「ゲオスミン」が出たので、ゲオスミンから読み始めました。 【以下ネタバレ含む】 感想を一言で言うと「本当に空前絶後の読書体験だった」。 どうしても読む順番によって結末が変わるという構造を知りながら読むと、メタ的に自分の選択はどちらの方なのかという邪念を抱きながら読んでしまっていたが、ゲオスミンを読み終わった時点で自分の選択が良い結末へ向かっているのか、その逆か全く分からなかった。ペトリコール最後の⬜︎に「一」か「二」を入れるところでやっとこの作品の根幹を知った。というのも最初に記載されていた⬜︎に書き入れるルールをすっかり忘れていたと言うのもあり、ここで頭に描いていた時間軸が崩れ、そしてピタッと全てがハマった。とにかく鳥肌が立ち、気持ちよかった。 そもそも読む順番が違っても結局同じ内容を読むのであれば、結末は変わらないのでは?という疑問を持ち、どういうトリックなのだろうと思いながら読み進めていたので、最後に衝撃を受けた。そして全部読み終わった後に、では「ペトリコール」→「ゲオスミン」の順番で読んでいたら同じような衝撃があったのか疑問に思った。私が衝撃的だったのは物語の最後の最後に⬜︎に「二」を入れたことによってだったが、ペトリコールを先に読んでいたら、物語の中盤に⬜︎内が「一」に確定し、その先は私が最後に衝撃を受けた時間軸を知った状態でゲオスミンを読むことになるため、着々とバッドエンディングに進んでいっていることが分かりながら読むことになるのではないのかと思った。 「ゲオスミン」→「ペトリコール」の場合、最後に洞窟で翠のお母さんに襲われた「夕歌」はどっちなのか、ドキドキしながら読み進めたわけだが、逆の読み方だとそのドキドキは味わえない。ただ「ペトリコール」から読んだとしても最後まで「夕歌」が死ぬことは分からないわけで、どんでん返し的な仕組みはないにしても、物語として最後まで楽しめるのか、?と考えた。 「ペトリコール」→「ゲオスミン」で読んだ人の感想を見たいと思う。 ゲオスミンの最後雨が降り始め、最後のセリフで「雨が降り始めたときの匂いは何というのか」という内容で終わり→「ペトリコール」を読むという流れにより、その匂いの名前が「ペトリコール」であるため正しい読み順ということを示唆し、逆に「ペトリコール」の最後でも雨が降りそうになっているのでその後に「ゲオスミン(=雨上がりの匂い)」を読んでしまうとハズレとなり、バッドエンドに向かうってしまうという意味なのかなと思った。
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