ストルーヴェ
@maugham_6
1900年1月1日

悲しみについて
津島佑子
かつて読んだ
生涯ベスト。
私達の操る言葉、言語体系ですべての感情を表現しきることはできるだろうか。個人的には全くそう思っていなくて、言語は便利である一方でかなり限定的な形式であり、また自らの感情が表現の極に寄ってしまうことなども多々あり、自分の気持ちを他人に伝えるのは(当然に)なかなか難しいな…と常々感じている。たとえば、ある状況においては隣に座り続けたり、無言で包容したりすることが最適解となり、言葉が射程を失うことだってあるだろう。あらゆる言語表現はそれまでの運用に基づく寓意が宿されてしまっていて、良くも悪くも意味が「回収」されてしまう。〜90%はいつでも表現できる中で、言語による100%の表現はいかにして可能か。
それは詩や小説など、(形式という限界はあるものの)各々に独自の手垢のついていない表現でのみ可能ではないかと感じている。
この本に収録されている短編はそれぞれなかなかに難解で、論理的な読解を試みてもまったく歯が立たず、論理構造によって成立するような意味性が意図的に解体されている。津島佑子は自らの子が亡くなったのちにこの作品群を書き連ねたという。子の死、というカタストロフの当事者が何を感じ、どのような心の機微が生じるのか。ひどく狭く小さな小径をこの作品群が示してくれている。それは、ひいては優しさであったり、穏やかであるということは何かなど、「悲しみ」にとどまらない射程がある。良い小説がそれぞれにそうあるように、物語が完全な客体ではなく私の心が引きずり出される。そして組み替えられていく。
非常に重要な小説だと確信している。
