
あんみつ
@anmitsuchan__
2026年2月21日
余命10年
小坂流加
読み終わった
またいつか
心に残る一節
ネタバレあり
誰かと同じじゃイヤだなんていつか言っていたけれど、今はみんなと同じじゃなきゃ不安でたまらない。違うならば強くなりたい。みんなと違う道を堂々と歩ける人になりたい。
強くなりたい。
強くなりたい。
心が固まっちゃうくらい、強くなりたい。(p.57)
そうして桜の咲く頃、桔梗はお嫁に行った。
茉莉は愛する姉へ感謝を込めて、ベールと桔梗色の髪飾りを作った。レースにパールのビーズを手縫いでつけたベールをかけた姉は、誇らしくなるほど美しくて、泣きたいくらいいとおしかった。
心は穏やかで、春風は気持ちよく、花嫁は一点の曇りもなく美しい。茉莉は心から幸せを感じていた。(p.82〜83)
好きだよって、時には誰かに言って欲しい。
それだけで生きている実感が持てる。女の子からでもいいや。
好きだよ。
なんて良い言葉だろう。
それだけで優しくなれる。
わたしも誰かに言おうかな。(p.128〜129)
和人の初恋が遠い時間の向こうから茉莉の元へと伝わってくる。それは誰にも触れられていない雪のように穢れのない純白な色をしていた。茉莉は優しく両手ですくい上げると、それを心の奥へとしまった。純真な想いは長い時間が経っていても茉莉の心を内側から温めてくれた。(p.140)
優しい彼女の恋がうまくいきますように。羨望をサンダルの裏で踏み潰して、茉莉はぎゅっと沙苗の手を握り締めた。(p.173)
―わたしは何が欲しい?
ああ、時間か。1番いらないものだったはずなのに浮かんだ選択肢。同時に浮かぶあの人の笑顔。
命に執着を持っちゃダメよ。
死ぬことが怖くなったら、わたしはもう笑えなくなるんだから。(p.173)
―会いたくてたまらなかった。わたしがもっと強くて健康で、ずっと傍にいられる人だったら今すぐ傍にいって、負けそうなあなたを抱きしめて、守ってあげるのに。
わたしの両手はあまりにも頼りなくて不安定で、あなたを抱きしめることもできない。
わたしじゃ足りない。
あなたには足りなすぎる。(p.203)
長い人生を背負った人もまたつらいのだと、その時初めて気付いた。タイムリミットを知っている自分がどこかで一番不幸だと嘆いていたけれど、途方もない時間の中を何の道標もなく歩いていかなければならない人の不安も計り知れないのだ。(p.213)
生きていれば確実に幸せともぶつかる。それはいつか自分を苦しめるもろ刃の剣だとわかっていた。けれど、今は後先のことは考えず和人がくれる幸せを、ドロップをなめるように味わっていたい。(p.233)
命が恋しくて、時間がいとおしくてたまらない。
愛する人と別れることが死だと思った。
けれど、いとおしいと思えた自分と別れることも死なんだよね。こんなことならもっと自分を大切にすればよかった。私を一番大切にできるのは、私しかいないんだから。
もっと早く、いろんなことに気付けたらよかったな。(p.233〜234)
車内に笑い声が響いた。
あらがってもあらがっても抜け出せない。和人を想う気持ちは、体内に根付いて、どう足掻いても抵抗できないほど育ってしまった。好きだった、彼が。どうしようもないほどに。諦めることを諦めてしまうほどに。(p.245)
今夜はすべてが愛しかった。手放したくないものばかりがすぐそばにあったことに気付いて、胸が張り裂けそうだった。
もっとずっと、生きていたい。
空のバスタブの中で膝を抱えると、茉莉はいつまでもいつまでも泣いていた。(p.262)
愛してるって、むせ返るほど苦しい。重くて深くて溺れてしまう。
溺れる時は一人で沈まないと。和人に手を伸ばさない覚悟を決めないと。
さあそろそろ。
死ぬ準備を始めなくては。(p.262〜263)
娘が選んだ男の顔を見据えると、精悍な、いい顔つきをしていた。けれどやはり素直に喜べないのは、父親特有の嫉妬ではなく、もっと深い悲しみに似た感情だった。
「君は茉莉を受け止められるかい?」(p.285〜286)
失ってみて初めて、彼が生活の、心の、すべての中心にいたことを痛感していた。(p.304)
和人を〝生かす〟こと。それが和人と出逢った意味だ。自分ばかりが和人に生かされたのではなく、自分もまた和人を生かすためにいたのだ。(p.309)
抱き合って、ふたりはしばらく目を閉じた。互いの鼓動が胸に響く。生きていることがただ幸せだった。そしていつかの日を一緒に夢見る。生きていながら同時に、ふたりは死を共有していた。
茉莉はもう思い残すことは何もなかった。ありがとうもごめんねも好きですも、全部伝えられた。死ぬことも、生きることも、もう怖くなかった。(p.312)
ずっと決めていた。わたしの思い出を捨てるのはここしかないと。
正門をくぐると否応なしに和人との思い出がよみがえってきてつらかった。
人生最後の恋は心の一番奥に大切にしまってあった。私の人生最高の時間だもの。
和人に恋をして愛してもらえて、話し合えて笑い合えて抱きしめ合えてしあわせだった。
誰もいないグラウンドをまっすぐに歩いた。一歩歩くたび、思い出がひとつ開く。一歩歩くたび、和人の表情が鮮明に浮かぶ。一歩、声が聞こえる。一歩、笑顔が見える。一歩、触れた指の熱。一歩、重ねた唇の感触。一歩、熱をともした瞳。一歩、この上ない優しさ。一歩、子供のような脆さ。一歩一歩で和人が溢れ返って溺れそうになった。(p.322〜323)
心の葛藤も、苦痛の涙も、数少ない喜びの日々も、精一杯心をささげた恋も、みんな焼けて空に消えた。同じ空にわたしもこうして消えていくのだろう。(p.323)
だけどやっぱり。
心をさらしていいのなら、やっぱり。
やっぱり、寂しいよ。
すごくすごく寂しいよ。ひとりぽっちはやっぱり寂しいよ。手を握っていてほしい夜はあるし、抱きしめてほしい心細さだらけだし、しあわせに包まれて死ぬことができたらどんなにいいだろうと思うよ。
死ぬことだって本当はいやだよ。逃げられるものなら逃げたいよ。もう一度外を歩きたい。空の下を軽やかに自由にこの2本の足で気の向くままに無敵の自分で季節の息吹を思い切り吸い込みたいよ。
―
「会いたいよ……、会いたいよ、和人……」
オーバーテーブルの上から2匹のあみぐるみだけが見ていた。
結局誰にも告げなかった本心のわたし。(p.345〜346)
沙苗が部屋を出て行くと、和人はじっと祭壇の彼女の写真を見つめた。写真の中で楽しげに微笑んでいる茉莉に、和人は胸が詰まるのと同時に安らいだ気もした。(p.348)
着物で正装してきた彼はゆっくりと茉莉に近づいていく。棺の中の彼女は安らかに眠っているような顔をしていた。茉莉花に囲まれて、純白のドレスを纏っていた。(p.348)
頬を撫でて耳に触れて、髪を梳いた。純白のドレスの胸元にある動かない手を取ると、涙が溢れ出た。茉莉の手を両手で包み込む。頬を流れる涙は湯のように熱いのに、彼女の手は固く冷たかった。(p.351)
「……さよなら、茉莉」
そっと茉莉の手を離すと、和人は口付けをした。
茉莉の頬に和人の涙がこぼれ落ちる。
さよならと茉莉が言った気がした。(p.351〜352)
だからそう、ここへは思い出を捨てに来たのだ。こここそが相応しいと思った。だからひとりでやってきたのに、8年前、茉莉も同じことをしていたなんて。もう泣きすぎて出ないはずだった涙が久しぶりにこぼれ落ちた。
校舎を出た和人は、真っ直ぐに焼却炉へ向かう。8年前の茉莉と同じ場所を歩いていると思うと、それだけで心強かった。
焼却炉の前に立ち、扉を開ける。手の平のペアリングをもう一度見つめて、ぎゅっと握り締めると、そのまま、まだ火の残るそこへ放り投げた。
和人は歩み出す。
彼の生きる道を。(p.357)