自然現象と心の構造

自然現象と心の構造
自然現象と心の構造
ヴォルフガング・パウリ
カール・グスタフ・ユング
海鳴社
1976年1月1日
3件の記録
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年8月30日
    実験的な探究方法は、反復可能で規則的な事象の確立をめざしている。それで、唯一のあるいは稀れな事象は考慮から除外される。さらに、実験は自然に対して限定条件をつける、というのはその狙いは、人間が考えついた疑問に対する答えを自然に対して強いることにあるからである。そのために、自然が出す答えはどれも、問われている問題の性質に、多かれ少かれ影響を受けており、その結果、いつも産まれてくるのは混成物である。このような基礎の上に立てられているいわゆる「科学的世界観」は、統計学的に把握されない重要な側面をすべて捨象した、心理学的に偏見づけられた一面的な見解を越えるものではありえない。 (第一章 はじめに) この文章における「自然」を「私」に置き換えて読んでみる。 「実験は私に対して限定条件をつける、というのはその狙いは、人間が考えついた疑問に対する答えを私に対して強いることにあるからである。」 歴史が実験的であるとするならば、「私」という産物は条件付きの自然であり、もはや本来の「自然」ではないということ。 だからこそ、この「条件付きの自然」である「私」が提出すべきものは、問いを生み出した誰かの欲しがっている「答え」ではなくて、私なりの「混成物」であってよいということ。 なぜなら、排泄行為は自然であるがゆえに。 「私」はあなたの「私」である前に、自然である。 ゆえに、鉤括弧を脱いだ裸の私は排泄する。 "秀でた者は秀でたままに、劣る者は劣るままに、何を描きどう刻もうとも、すべては美しさに受け取られるように仕組まれているのである。仏が正覚を悟ったということは、この真理の確認なのである。" (『美の法門』 柳宗悦) "ただし、このゲームは、一度崩さないとダメというゲームなんだな。一度考えを混乱させてって、その混乱への入り口とは別の出口を通って抜け出る。そこにゲームのポイントがあるんだ。この混乱がないと、トランプやチェスのようなゲームになってしまう。そうなったんじゃ、これはゲームとして何の面白みもなくなってしまうんだ。" (『精神の生態学へ 上』 「知識の量を測ること」ベイトソン) 冒頭の引用箇所は、一般的な科学的世界観の批判にすぎない。けれど、それをユングが書いているというだけで、不思議とこんな読み方になってしまう不思議。 テキストからユングの曼荼羅を感じるというような。 読んだからといって、いつも、別に答えらしきものは出ないけど、どこかしらでその混成物が排泄されていると思うと面白い。 綺麗なものは汚せ、というユングの条件付き教え。 それは、「はじめに歴史ありき」という美しき条件。
  • ジクロロ
    ジクロロ
    @jirowcrew
    2026年8月16日
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