古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。

古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。
前田賢一
勝又基
渡部泰明
猿倉信彦
福田安典
飯倉洋一
文学通信
2019年9月19日
2件の記録
◎@ty2done2026年6月11日読み終わった借りてきた自分必修で、原文で教える必要ありますか?という否定派にバシッと答えられない。現に古典の時間数は減らされている。なのに共通テストでは難化している事実。 人文学に限らず、あらゆる学問分野において歴史はあるのだから、古文を読めることは必要だと思うし、現代日本語を深く理解し優れた使い手になるためには漢文(そして古文)の知識が必要不可欠だと思う。 温故知新というように、昔のことを重んじない国は滅びるのみと思う。そのエビデンスはありますか?と言われるとこれまた難しい。時代が進めば言語はどんどん簡素になって古語自体とはどんどん離れていくものとは思う。でも何が「正しい」日本語か、「正しい」って何かを相対化して検討するにあたって古典で学べる思想や社会状況は有用。現代語で訳すと落ちるニュアンスがあったり、ゆくゆくはその「現代語」すら古語になっていくと考えられる。原文は残し、原文を読めるスキルはある程度必須とすべき。 短期的な競争力うんぬんのための教育を教育基本法は設定していない。 役立つから必要なのか、役立たないけど必要なのか、いずれにせよ答えを出さなきゃいけない。でも難しい。

