女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語

2件の記録
- のーとみ@notomi2025年3月15日かつて読んだ平野卿子「女ことばってなんなのかしら? 『性別の美学』の日本語」読んだ。女ことばの成立が、元は明治の女学生による今で言うギャル言葉だったのを、明治政府の外国支配の都合上、山手のお嬢様の言葉だと捏造して作られた明治後期以降に普及したものというのは知っていたので、書かれている内容に目新しさは無かったのに、これやたら面白かった。翻訳家による考察だからというのもあると思うけど、口語表現というか発話言語としての「女ことば」の不自然さを、いろんな視点からどんどん掘り起こして、短い論評でぶった斬っていく文体が楽しいのだった。 大学入学のため上京した私は、標準語を喋るのが嫌で、ずっと女ことばで喋ってたことがあって、それは女ことばの虚構性とか、慇懃無礼な感じが、田舎者の私にとっての鎧として機能すると思ってたからだった。で、息子が中学から高校にかけて女ことばで喋ってる時期があって、それもやっぱり鎧だったらしい。この本には、そのあたりの事にもちゃんと触れられてて嬉しかった。女ことばを否定するのではなく、女ことばを解体して、解放するための本になってて、そこから近代史の見直しに繋がる。 橋本治「秘本世界生玉子」に「もっとも美しい『俺』」というPANTA論があって、アレを同性愛者からの早過ぎた恋愛論として再評価するためのヒントになる本かもしれないし、BiSH「NON TiE-UP」が下ネタではなくて、女性から奪われていた罵倒語を取り戻す歌だという評価に繋げられる本かもしれなくて、だから面白いと思ったのだろう。 ただ、ビジネス新書的な本って、後半、ダレ気味になるというか、前半の反復みたいになりがちなのは何故だろう。こんなに面白いこの本でさえ、ネタ切れ?みたいな失速感があった。こういう反復がないと本を読み慣れない人には伝わらないと思うからなのか、つい蛇足と分かりつつ書きたくなっちゃうのか。重要なことは冒頭で言ってしまうという新書にありがちの構成の問題のような気もするなあ。