ビザンツの国家と社会
2件の記録
やん@grilledyangyang2026年2月28日読み終わったいつもヘラクレイオス朝やアモリア朝、ラテン帝国辺りでわけ分かんなくなるので、長いビザンツ史を概観するために読む。コンパクトながら新しい発見もあり、概説書を読むのもすごい面白い。 ・五大総主教座って、コンスタンティノポリスが最後だと思ってたけど、エルサレムが一番後だったの? ・テマは屯田制の様なものと思ったけど、元々対イスラームの野戦機動軍を「テマ」と呼ばれていたのが、軍が土地に常駐することで、徐々に軍が現地に同化し、中央も容認することで軍事保有地した? ・しかし、テマがあっても全国の徴税権と歳入の再分配の権能を中央が握り続けているのが面白い。これが西欧のような封建体制的な地方分権にならなかった理由か。だから、テマ反乱は地方の分離独立にならず、常に首都に攻め上って政権奪取を目指すのは、富の再分配機能を中央が堅持し続けたため。 ・アラブの進行により、大土地所有者が逃亡し、小作農の自立が進み、自由身分と同様な地位を得て農村共同体が出来たと思われる。農村共同体「コーリオン」は徴税の基礎単位として機能していた。なんか、ロシア帝国を思い起こすな。こんなところも引き継がれてるのか。 ・マケドニア朝以降、対外情勢が安定した事で皇帝は軍を率いず神聖化される。そのため、官僚や有力者と距離を置く目的で「皇妃コンクール」「皇女は修道院に入り未婚」「天使の地上における似姿の宦官を登用」「世界の支配権誇示のため、近衛兵の国際化」「周辺国への爵位の下賜」が行われた。 ・首都の皇帝の威信とエリート官僚社会とは反対に、東部国境では尚武の気風に満ちた戦士社会が形成され、テマの軍幹部は互いに通婚を重ねた。ビザンツは爵位や地位は世襲せず一代限りだが、9世紀半ば以降はテマの高級軍人の中に苗字を帯びる者が増大し、家系や血筋を誇る、軍事貴族が生まれる。 ・大シスマを同時代のビザンツ人は深刻に受け止めた形跡は乏しい。 ・アレクシオス1世がトルコ人に協力要請したのは、ロマノス4世に端を発する当世東方デュナトイのトレンドだった?その結果、小アジアが失陥し、コムネノス朝の苦難が始まると思うと... ・アレクシオス1世の婚姻政策が、遠くイングランドまで及んでたのは驚き。流石、アレクシオス1世陛下! ・ヨハネス2世が本書でスルーされてて悲しみ。 ・エペイロス専制国のミカエル1世ドゥーカス。「第二のノア」なんて異名あったんか!! ・専制公(デスポテース)って、帝位継承者の称号だったの? ・カンタクーゼノスとアポカウコスの対立は、門閥貴族と都市の海運、商工業者の中産層の対立でもあったのか。 ・国内政争に外部の武力を用いることが昔から常態化し、抵抗感も疑問もなかったビザンツ帝国。しかし、パライオロゴス朝の時代、外部勢力が恣意的な行動に出た時、制御できる力がなかった。 西側とはベクトルが異なる発展をしたビザンツ。ヨーロッパとは違う道を歩んできたからこその文化の特徴と、その社会の流動弱点がある。ローマから続いた帝国の栄枯盛衰、やはりビザンツ史は面白いな。