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やん
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@grilledyangyang
歴史好き!積読愛好家。
  • 2026年10月6日
    ガザ ある戦争の物語
    ガザ ある戦争の物語
  • 2026年10月3日
    沈黙の中世史
    沈黙の中世史
  • 2026年10月3日
  • 2026年9月29日
    ホメロス オデュッセイア 下
    『オデュッセイア』って、オデュッセウスの帰国までの冒険譚がメインだと思っていた。ところが読んでみたら、むしろイタケに着いてからが本番だった。 そして、読んでいて思った。これってオデュッセウスの「罪と罰」の物語なんじゃないか。 オデュッセウスの代名詞といえば、作中でアテナが評して曰く、 「そなたはなんという不敵な男だろう、さまざまに悪知恵をめぐらし、策謀に飽くことを知らぬ。自分の国に在りながら、欺瞞や作り話をやめようとせぬ、そなたは心からそのような作り話が好きなのですね」 知略に長け、嘘も方便、相手を煙に巻いて窮地を切り抜ける。女神アテナが気に入るのも、まさにその機略縦横っぷりそのものだろう。 なるほど、そういう男なんだよなぁ、オデュッセウス。 だからSNSなどで「パイエケス人の前で語った冒険譚は、オデュッセウスや郎党たちに都合よく脚色された作り話なのでは?」という読みが出てくるのも分かる気がする。 だって女神本人から、 「お前、作り話するの好きだよね」 って言われてるんだもの(笑) しかし一方で、 「……お前、その知略のせいで帰国に何年かかってんだよ」 実際、彼の帰還は災難の連続である。 ポリュペモスの目を潰したことでポセイドンの怒りを買い、アイオロスの袋では部下たちに疑われ、太陽神の牛を部下たちが禁忌を破り屠ってしまう。 その結果、仲間と船を失い、結局ひとりだけになってしまう。 つまり「掟を破った奴は罰を受ける」という世界の中で、知恵の豊かなオデュッセウスもまた、その世界のルールから完全に自由ではない。 このバランス感覚が面白く感じる。 オデュッセウスは口が上手く嘘つきで、戦時中もパラメデースや大アイアスの件で、口八丁と謀略で立ち回っていた。 そんなオデュッセウスを女神アテナは、 「私に似てて愛らしい」 と謎目線で称賛している。 武勇を重んじる英雄社会で、それはアリなんか?と思うけど、そもそも古代ギリシャでは弁舌や修辞学、知恵そのものが大きな価値を持っていたわけで、オデュッセウスはまさに「知勇兼備」の英雄なんだろう。 知略は美徳であり、武器になる。しかし、知略も世界の掟の一線を越えることは許されない。 そして、求婚者たちのも、なんかもうスゴイ。 「俺たちは求婚しているだけ」 「屋敷で飲み食いしているだけ」 「麗しいペネロペのために言ってやってる」 よくもまあ自己正当化に余念がない。こいつら、他人の家に居座って飯を食いまくり、財産を食い潰し、家の主人がいないのをいいことに妻に求婚し、息子まで殺そうとする上に、反抗されたら逆ギレ。 一回鏡見てきな?それ普通にお前らが悪いよ? でも、こういう自分の欲求だけを正当化する人間って、現実にもいるよなぁ。 カスハラとか、DQNな迷惑行為とか。自分の行動を指摘されたら「なんで俺が悪いんだ」と怒る。 迷惑系求婚者、キツイっす。 彼らが破っているのは、単なる「オデュッセウスの家に勝手に居座った」という話ではない。 ゼウスの掟を都合よく利用しながら、家主への敬意を欠き、客人への饗しや施しをせず、女性の尊厳を踏みにじり、脅迫や暴力を繰り返し人間同士の秩序を乱す。 そういう社会を成立させているルールを、ことごとく踏みにじっている。 だから最後の虐殺も、単純な「主人公の復讐劇」というより、「掟を破り続けた者たちが、その報いを受ける」という物語になっている。 実際、作中でもオデュッセウス自身が、求婚者たちは「自分たちの悪行によって」滅びたのだ、と語る。 なるほど。まさに「罪と罰」の極めて倫理的な物語なのだ。そして、この倫理観はオデュッセウス自身にも向けられている。 ポリュペモスに対してイキって自分の名前を名乗ってしまうオデュッセウスの自己顕示欲は、ポセイドンの怒りと報復を受け、禁忌を破った部下たちは命を失い、求婚者たちは客人としての義務やゼウスの掟を破り続けた結果、滅ぼされる。 要するに、 「お前、その行動のツケ払えよ」 という物語構造なのだ。 そう考えると、オデュッセウスの長い漂泊は、ある意味「各地でやらかしたことに対する刑罰」として、「お前、ちょっとお勤めしてこい」と、オギュギア島で無期懲役になっていたとも読める。 ヤクザの抗争で散々やらかした男が、お勤めしている間に妻が他の組の若頭に言い寄られて、出所後にそいつらをボコした話、って言われても納得できる(笑) 一方で、ペネロペやテレマコスも、求婚者たちに一々もっともで理にかなった物言いをする。 ただし、結構辛辣なことをガンガン言っていて、よく求婚者にノリで斬られなかったな!まあ、外国で謀殺しようとしてくるけど。 そして、物乞いの変装をするオデュッセウス。求婚者や女中のメラントに罵詈雑言を浴びせられ、暴行まで受けても耐える堅忍不抜さ。 しかし、普通に腸煮えくり返って言い返してるの面白すぎる。え、それ耐えれてんの? あ、耐えられなくなったら殺すのか。 その抑圧が限界まで溜まったところで、正体を明かして求婚者たちを誅殺、ストレスを一気に解放してスッキリ! これぞ人気の秘訣かもしれん(笑) やっぱり豚飼いと牛飼いは助さん格さんだし、オデュッセウスは暴れん坊将軍なんだよなぁ。 完全に「余の顔を忘れたか」だもの。 第二十四歌では、冥界にいるアンピメドンたち求婚者が、自分たちの死についてまでなんとも都合のいい言い分を並べている。 「オデュッセウス酷いんだよ!俺たち悪くないもん!」 お前ら、死んでも反省しないのか。 DQNは死んでもDQNなのか。 一方、オデュッセウスはオデュッセウスで、老いた父ラエルテースにまで、悪戯心で正体を隠して一芝居打つ。 お前、そういう奴だったよな。 最後の最後まで「思慮深いオデュッセウス」なのである。...... 思慮深いエピソードかな??? 第二十四歌はエピローグのように、意外とサラッと終わる。 個人的には、冥界で予言者テイレシアスが語った、「海を知らず、塩を混ぜた食物を食うこともない人々の住む国」への旅も見たかった。 担いだ櫂が農具と間違われるほど内陸へ行き、ポセイドンに犠牲を捧げる。 そして神の怒りが解け、最後には安らかで恵まれた老後を送る。 イタケに帰った。 求婚者も始末した。 家も取り戻した。 妻子と再会できた。 だが、ポセイドンとの因縁はまだ清算できていない。神=法と和解する旅が残っている。 本当の平穏への「帰還」は、その先にある。 そこまで行って初めて、「オデュッセウスの物語は終わった」と言えるような気がするから。 ホメロスはそこまで描かなかった。もしかすると、それはまた別の物語にあった冒険譚なのかもしれない。 そう考えると、『オデュッセイア』は単なる冒険譚ではなく、 「知恵も、嘘も、欲望も、怒りも、使い方を間違えれば自分に因果が回ってくる。それでも人は、何とかして故郷に帰ろうとする」 という、因果応報の物語なのか。 いやー、面白い。 それにしても、台詞が特徴的で面白い! 神に見まごうひとかたならぬ人物たちが、いちいちもっともで、理屈が通った話しぶりで、なんか真似したくなる楽しさ。 これに否を言うものはおるまいと感じ入るほど面白かった(笑) あと、ホメロスはオケアノスを遥か西方にあるとし、後年のアレクサンドロス大王は東の最果てにオケアノスがあると思っていた。 西方にあるのか東方にあるのか、ハッキリしてくれ(笑)
  • 2026年9月28日
    ホメロス オデュッセイア 上
    テレマコスの物語から始まるのは意外だった。 これは『イリアス』という先行の超有名作が存在していて、オデュッセウスが聴衆にとって既知の有名人物だったからこその物語上の技巧なんだろうなと思った。 テレマコスとペネロペ、ゼウスの掟を悪用して屋敷に居座る求婚者たち、イタケの人々から物語が始まる。そこからテレマコスの旅立ち、スパルタ王メネラオスの語りが入る。 「あれ?あの機略縦横のオデュッセウスはどこいったんだ?」 と、読者の興味を引っ張る。 第四歌でテレマコスを歓待するメネラオスが、「君の父ちゃんオデュッセウスは、戦争でこんなスゲェ奴だったんだぞ」と、本人登場前に英雄としての格を高めておく。 そして、ついに本人が登場するのは第五歌。 オデュッセウスはカリュプソの島に7年いた。 「なにしてんねん!!」 楽士の詠う英雄オデュッセウス像と、現在の姿の落差がヤバいwww 上巻は全12歌なのに、オデュッセウスが本格的に登場するのは第五歌。引っ張るなぁ。 そういう意味では、本当に『イリアス』という超大作の正統続編という感じがする。 言うなれば、『ガンダムSEED』で伝説になったキラだが、続編『DESTINY』ではシンが序盤のメインキャラとして物語が進んでいたのに、中盤キラが登場すると、結局続編でもキラが主人公やってたみたいな。(おいばかやめろ) アイオロス島の風を集めた袋を開ける話や、太陽神の牛を食べてしまう話とか、笑っちゃ可哀想なんだけど、もう面白すぎるwww 約束は破っちゃダメ!絶対! あと、個人的にはどうしてもヘレネが好きではないらしい。 第四歌で登場したヘレネの台詞に身震いした。 曰く、 「トロイエの女たちは、声をあげて泣き悲しんでいましたが、わたくしは心中秘かに嬉しく思っておりました――すでにわたくしの気持は、帰国に傾いていましたし」 って、お前ぇぇぇ!?!?マジで言ってんの?? いや、メネラオスとテレマコスの前ではそう言うしかないのだろうけど、だろうけど……いやぁ、スゲェや、その面の皮。 ……と思っていたところで、ヘレネがテレマコスたちに飲ませた秘薬の下りを思い返す。 「悲しみや怒りも消し、あらゆる苦悩を忘れさせる」 「たとえ父母の死に遭おうとも、また面前で兄弟またはわが息子が刃物で殺されて、目の当りそれを観ようとも、その日のうちは頬を涙で濡らすことが絶えてない」 蓮の花からヤバい液体でも抽出してんの??? これがトロイア戦争の記憶を語る場面で出てくるのが、なにやら意味がある気がするのよ。 メネラオスがトロイア戦争を語り、ヘレネが都合の良い自己説明をする一方で、父を想い悲しみに打ちひしがれるテレマコスに「悲しみを消す薬」をワインに入れて振る舞う。 もし仮に、ヘレネがこの秘薬を常用していたとしたら。 ヘレネがトロイアから帰国の途上、エジプトでトーン王の娘ポリュダムナから渡された秘薬で、トロイア陥落のショックや戦争の記憶を麻痺させてなんとか生きているのだとしたら。 テレマコスに語っている時も、全部の辛い感情を薬で押し込めて...... ドラッグなしでは普通に生きられない中毒者みたいじゃねえか!!! 目ん玉グルグルの状態でテレマコスに「今の幸福」を話してるヘレネを想像すると、なんというか……何も言えんわ。 トロイア戦争の記憶を語る場面で、「悲しみを消す薬」をアイテムとして出してくるのは面白い。 「過去を語る」ことと「過去を忘れる」ことが同時に描かれている。 ヘレネは戦争を生き残った。でも、生き残った人間が必ずしも「何事もなかったように生きている」わけではない。 戦争を語ることと、戦争を忘れること。 そうして生きるしかない人もいる。 このスパルタでの歓待の直後、戦争の記憶を語り、戦争を忘れず、家族や故郷を忘れられず、帰りたいのに帰れないオデュッセウスが登場する。 示唆に富んだストーリー展開だと思った。
  • 2026年9月23日
    トロイア戦争全史 (講談社学術文庫 1891)
    一昔前の歴史小説を読むような感覚で、トロイア戦争の全体像を追えた。 ホメロスだけではなく、ギリシャ・ラテンの古典を組み合わせて再構築した本書。全然知らんエピソードが次々出てくる面白さ。図書館で借りたけど、買おうかな。 前日譚からして知らない話が多い。 テティスとペーレウスの婚礼、パリスの美人判定くらいは知っていたけど、その前にテセウスとペイリトオスによるヘレネー誘拐。その報復としてディオスクロイによるヘレネー奪還の際に、略奪されたテセウスの母アイトレーがヘレネーの侍女になってたり、テセウスが冥界に囚われて後にヘラクレスに救出されたり。 ......え、待って。読み流すところだったけど、ヘラクレス出てきてた?スターシステムかよ。 ギリシャ神話の有名英雄の名前が、まあ出るわ出るわ。 ギリシャ神話における「英雄の時代」って、思っていたよりずっと狭い範囲に詰め込まれているな。 ペルセウスやベレロポーンなどの王家を始めた古い英雄から、ヘラクレス、イアソン、テセウス、ペーレウス、ディオスクロイらアルゴノーツの世代を経て、ヘレネー、メネラオス、アガメムノン、オデュッセウス、アキレウス、ヘクトール、パリスらのトロイア戦争世代へ。 ペルセウスからパリス辺りまでが、3〜5世代(100〜150年)なんだな。 神話の英雄時代、結構短くない? そして、次代がネオプトレモス、テレマコス、オレステス。ここが「神話の時代」の終わり、ってことなんだろうか。 ※ペルセウスはヘラクレスの曽祖父、テセウスとヘラクレスは一世代差(30年くらい?)。テセウスがヘレネを誘拐した時の年齢は、テセウス50代、ヘレネが結婚適齢期より幼い(10〜13歳くらいか?) だとしたら、ギガントマキアにヘラクレスが参戦しているのやっぱりおかしすぎるやろ。 もっとおかしいのがディオスクロイ。 こいつら、ヘレネとクリュタイムネストラの双子の兄弟なんだけど、なに普通にアルゴー船に乗ってるの??? いや、待って。ポリュデウケースはヘレネーの双子、どう考えてもトロイア戦争世代だろ。 なのに、アルゴナウタイ!? やだーーー!!!! ギリシャ神話、頭混乱するぅ!! 人間が時空を超えて主張してくんな!!! そもそもアルゴー船の冒険って、もっと昔の話だと思っていたのに、トロイア戦争からそれほど遠くないところに置かれているらしい。 さらに、ヘレネーの求婚者の中にアキレウスがいない。 なぜなら、まだ若すぎたから。 つまり、ヘレネーの結婚(適齢期より幼い)時点ではアキレウスは少年だったらしい。 一方、その前の英雄譚ではヘラクレスやディオスクロイが大活躍している。 お前ら、年齢どうなってんだよ。分からん、なにも分からん...... 誰か、一度英雄たちの年表を作ってくれんか? ヘレネーが結婚した時、メネラオスの描写『金髪をなびかせ、目は青く、まだうぶ毛を残し、すらりと伸びた脚で体を運ぶ』ということは、メネラオスもまだ十代の可能性あるのか?もっと年齢差あると思っていた。そして、ヘレネがパリスに連れ去られるまで10年。 もしかして、ヘレネよりパリスが歳下の可能性が微レ存???年若い青年を誑かすヘレネ、罪深いな。 そこからトロイア戦争が10年。 そう、戦争開始がヘレネ掠奪から10年後っていうのも驚いた。すぐギリシャ勢がトロイに侵攻したものだと思ってたわ。 ということは、ヘレネーもパリスもイーリアスの頃にはかなり年齢を重ねていることになる。 パリス、クソガキのイメージがあったが、ひょっとして思ったより若くないのでは?DQN中年なんてさらに嫌だろ(笑) そしてトロイア戦争の後半、ネオプトレモスの参陣が熱い。日本では全然知名度ないと思うんだけど、亡き父親の代わりに颯爽と現れて武功を示す「次世代の英雄」の登場。激アツポイントじゃない? まあ、トロイア陥落時の所業には普通にドン引きなんだが。アキレウスの性格も大概だけどね。 オデュッセウスも、パラメデースやアイアスの件など、結構やらかしてんな。 個人的にかなり気の毒だったのが、リュキア人スキュラケウス。 あれだけのことがあった末に、ようやく帰ってきたに、なにも殺さなくても。可哀想。 そういえば、スキュラケウスの私刑が石打ち刑だったけど、戦場でもみんなカジュアルに石投げて攻撃してるな。しかも石で頭蓋を吹っ飛ばすとか、威力強すぎんか。それとも、想像以上にデカくて重い石を剛速球で投げてんのか? オイノーネーはパリスを殴っていい。 パリスはホンマにダメ男すぎる。 死の間際に捨てた元妻に縋って「そんなこと言うなよ〜いつまで嫉妬してんだよ〜過ぎたことじゃんよしよししてよ〜」って、ヤバすぎだろ、お前どんだけバブちゃんなんだよ。 パリスがブロークンハートでオイノーネーに拒絶され、ヘレネの元にも帰り着かずに力尽きたのは、最大のスッキリポイントかも知れない。ザマァ。 ヘレネーもヘレネーで、オデュッセウスを幇助してパラディオーンを盗む件に関わるとか、バカなの?最初から最後まで戦犯だな。 まあ、パリスと駆け落ちしてトロイまで来たのに、パリス亡き後には本人の意思とは関係なくデイポボスと結婚させられて、どうでも良くなっちゃったのかな?愚かだけど、英雄のトロフィーとして人格を無視して扱われ、哀しい女性だったな。 とはいえ、メネラオスとヘレネーが最後に打ち解けるのは、納得できんくない?ヘレネの保身でしかなくて本当にクソ。 そして結局、トロイアを滅ぼしたギリシャ勢も、めでたしめでたしでは終わらない。 神々や人間たちの怨みを買い、帰路で次々と災難に遭い、ほとんど全滅状態で故郷へ戻る。 アガメムノンは帰国後、妻クリュタイムネーストラーに暗殺され、散々やらかしたオデュッセウスはさらに10年間彷徨う。 英雄たちが積み上げた栄光も、名誉も、勝利も、一瞬の閃光である。 人間の世など移ろうもの。 語り継がれる名誉、儚き生命の輝きも、自然や神々や運命に翻弄される。 トロイア戦争とは、英雄たちが栄光を求めて戦い、その栄光と運命に人生を食い潰されていく物語なのかも知れない。 そこには、どこか日本の無常感に似たものを感じた。
  • 2026年9月20日
  • 2026年9月20日
    曖昧な弱者の時代
  • 2026年9月20日
  • 2026年9月18日
    ホメロス物語
    ジュニア向け『イーリアス』と『オデュッセイア』のダイジェスト。映画オデュッセイアの予習として読んだ。非常に分かりやすく面白い。 【イーリアスの感想】 え、イーリアスってトロイア戦争の10年目から始まるの!?パリスがアフロディーテに金林檎渡したり、ヘレネ攫う下りは!?wwwえwwwナレ駆け落ち???www 『イーリアス』をトロイア戦争全史だと思っていたが、全然違った(笑) この物語の核となるのは、アキレウスの「怒り」だという。 総大将アガメムノンとアキレウスが対立し、最強の武将アキレウスは激怒し戦線離脱するシーンから語られる。 アガメムノンに斬りかかろうとするアキレウスを、女神アテナが降臨して止める場面。ティエポロの絵だとめっちゃ髪引っ張っててウケる。アキレウスの顔から「ぐぇ」って声が聞こえるようだwww ヘレネは流されやすさや愚かさがあるものの、覚悟がないわけではない。悪女と言われるだろう人物だが、自身の愚かさを自覚している。 それに比べ、パリスはなんというか、今で言う悪いイメージのZ世代感というか(笑)周囲にけしかけられて、取り敢えず後先を考えず目先のことだけやる。しかし、危なくなれば放棄するして、ヘレネに「よしよししてー」と口先で丸め込んでヘレネと閨を共にしちゃう。自制心がない! ヘクトルに叱られても「でもでもだっていまやろうと思ってたの!」だし、お前そういうところだぞ。 一方ヘクトル、聖人か?いい人すぎる。駄目弟パリスも見捨てず、「お前はやれば出来る」と激励し、妻子思いで、トロイヤの市民を気にかけている。 著者はアキレウスとヘクトルの2人を、「神に選ばれた無敵の強者」と「祖国の人たちに選ばれた卓越せる市民」と評している。 さらに、アキレウスには「もの狂おしさ」という魅力があるが、ヘクトルにはそこが欠けている。その代わりに、『愛する祖国の人びとのために、武勇の士であらねばならぬと努める「正気と分別」が見られます』と、英雄としての在り方の違いがある。 この2人の英雄の対照性は、物語を支える二本の支柱ともなっている。なるほど。 それにしても、ディオメデス強すぎる。アフロディーテとアレスというオリュンポスの神々に傷を負わすとか、化け物??? グラウコスとの一騎打ちでは、敵同士なのに先祖の縁を確認し意気投合。ディオメデスがあまりに古き良き豪勇の士すぎて、グラウコスが大感動。グラウコスが黄金の武具をディオメデスにあげちゃう大盤振る舞い(笑) 著者のパリス評、『ディオメデスとグラウコスの一騎打ちが黄金づくめなら、先のパリスのうす汚い戦いぶりは、青銅造りとでも言えましょうか』は辛辣すぎて大草原不可避。 トロイア戦争の発端とアカイア諸王の団結は、ヘレネに対する「誓約」のためとなっている。ところが、前5世紀の歴史家ツキュディデス、著作『歴史』の中で、アガメムノンの絶大な勢力を恐れていたからだ、と考えている。 トロイア戦争を歴史的に考えるなら、それはごく現実的な侵略戦争だったと思われる、とのこと。 『臆病者の武器は決まって弓矢!』藤村シシン先生の動画で聞いたことある!!槍を交えるだけの勇気がない!!(笑) 『イーリアス』に登場する人々は、激情に駆られたり、突然勇気を得たり、逆に恐怖に包まれたり、意固地になったり、人間の感情が大きく揺れ動く。その背後には、いつも神の手がある。 自分の利に囚われたアガメムノン、戦場で茫然自失となったパトロクロス、戦の熱に浮かされ城を出陣したヘクトル。「感情の波」や「運命」「幸運・不運」の背後に神々の存在がある。 もちろん、物語をドラマチックにする作劇ではある。しかし、人間はそのどうしようもない人の感情や悲運、因果や運命になにか理由を求める。 なぜ死ぬのか。 なぜあの時、あの行動をしたのか。 なぜ報いを受けるのか。 そのような、人にはどうすることも出来ない因果を神の働きとして理解しようとした物語であり、生命限りある人間の嘆きを謳っているのではないだろうか。 神々が運命を定め、人は激情に突き動かされる。 それでも、人間は自分の行為から逃れられない。 アガメムノンが「神が私を迷わせた」と言いながら、その一方で「それで迷ったのは私なのだから、償いは私の役目だ」と言う。 神のせいである。しかし、自分の責任でもある。 この矛盾したようで両立している感覚が、古代ギリシャ、ホメロスの世界観なんだなぁ。 どれだけ悲嘆に暮れ、激情の報いに苦しみ、過酷な結末が待っていようとも、人は己の誇りのために全力で生命を燃やす。 その「どうしようもなさ」と「輝き」の両方を描いているのが、『イリアス』なのかなと思う。 そしてアキレウスが満を持して出陣すると、ゼウスの参戦禁令が解かれ、神々が公然と戦争に介入してくる。こうした神の参戦は「戦の勝敗は時の運」という意識があったことをよく現していると思う。 それはともかく、神の加護を受けながら英雄たちが死闘を繰り広げるのがカッコイイ!!これは古代ギリシャ民はブチ上がるだろ。 そして、怒りのアキレウスが敵の死体を河にどんどん投げ込む。それに抗議する河の神『河の外で殺せ。マジやめて、死体投げ込みのマジやめて』はウケる。河神とばっちりで不憫すぎる。 そして最後、『イーリアス』ってヘクトルの埋葬で終わるの!?という衝撃の幕引き。 アキレウスのアキレス腱を射る話は?wトロイの木馬の逸話??wwイーリアスで描かれないんだwww 私が『イーリアス』と思ってた話、ほとんどイーリアスに入ってなかったwww アキレウスの「怒り」から始まり、親友パトロクロスの死、その仇ヘクトルとの死闘を経て、最後に描かれるのはヘクトルの葬儀。 老王プリアモスの嘆願により、失った哀しみを共有し、死を悼む。仇敵の遺体を返し、葬る。 「英雄の戦記」と思って読んでいたが、その結果に残ったのは、怒りと悲嘆、死者を悼む人間だった。 人間が激情に突き動かされ、報いを受け、神々に翻弄される。そういう人間を歌った物語なのかもしれない。 【オデュッセイアの感想】 イリアスが、定められた悲劇と運命を生き抜く人間の英雄譚で、かなり戦記っぽかったのに、『オデュッセイア』になると、途端にちょっと抜けた面白小噺っぽくなる。オデュッセウスそんな性格だっけ? ストーリーの中心にあるのは、故郷への帰還と家族への思慕。それなのに、その旅程がいちいち珍道中なのが、『イリアス』との空気感の違いを感じさせる。 いらんこと言ってポセイドンに呪われる。 命令を聞かずに罰を受ける部下。 難所のトンチみたいな切り抜け方。 神々に翻弄されながら、寄り道しまくるちょっとグダグダな旅程が面白い。 しかも、トロイア戦争の英雄たちの霊が「女は怖い」みたいなこと語ったり、死後すっかり変わってしまった姿で登場したり、登場人物の名前そのものが性質や個性を表していたり、どことなく日本昔話っぽい。 ナウシカア→船に巧みな アレテ→願いごとを聞き入れる人 アルキノオス→勇敢な心 ウーティス→「誰もない」 スキュレー→スキュロー(さらう) カリュブディス→カスコー(大口で呑む) カリュプソ→カリュプトー(隠す) アンティノオス→敵意 など、要するに、「桃から生まれた桃太郎」と命名法が一緒(笑) キャラクターの性質を名前にそのまま背負わせる。 昔話っぽい。 また、望郷と家族への思慕の念が強い一方で、オデュッセウスたちの行動は妙にユーモラス。 「神々に選ばれた英雄たちの壮大な帰還譚」なのに、読んでいると、「お前ら、もうちょっと落ち着いて行動しろよ!」と言いたくなる。 そして、この物語には明確な「因果応報」の構造がある。 『客人は神の変身かもしれないから、全力で饗せ』 という掟を軽んじ、他人の家と財を我が物顔で浪費する求婚者たち。これは、ある種戦後の混乱と荒廃に蔓延る無法、無秩序の象徴にも思える。 一方で、主人が乞食に姿を変えて帰ってきても忠義を尽くす豚飼いのエウマイオス、牛飼いのピロイティオス。父を信じる息子テレマコス。姿が違う主人に気づく乳母エウリュクレイア。 そして、悪意ある男たちの只中で恐怖に耐えながら、夫の帰還を待ち続けるペネロペ。 無法を働いた求婚者は報いとして誅罰され、掟と忠義を守った彼らは報われ、秩序は回復される。 この別軸のストーリーとして、アガメムノンの非道な暗殺に対して息子オレステスが仇を討つ話も、テレマコスが父の帰還を求める物語と重なってくる。 つまり、忠義にもとる者に対する因果応報の物語なのだ。 『オデュッセイア』では「客人をどう扱うか」がめちゃくちゃ重要になっている。 異国から来た客人を粗末に扱うのか。 見知らぬ乞食でも、まず食事と寝床を与えるのか。 客人の姿をした神かもしれないから、きちんともてなす。 この「客人を迎える掟」が、最後の因果応報につながっていく構造が、なんというか、『〇〇の恩返し』とか『笠地蔵』みたいな昔話を読んだときの感覚を覚える。 さらに言えば、乞食の姿で無法を働く貴族に接近するストーリーは、『暴れん坊将軍』とか『水戸黄門』みたいな、殿が市井に身をやつす系の時代劇感の爽快感のような、「ハッハッハ」と晴れ晴れとした笑いをしてエンドロールを流したくなる。 『イーリアス』とはジャンルと雰囲気がまったく異なる作品で面白い。
  • 2026年9月16日
  • 2026年9月16日
  • 2026年9月15日
    名画で味わうギリシャ神話の世界
    美術史の知識もなければ、絵画の審美眼もないので、こういう本は助かる。 ギリシャ神話そのものの解説だけでなく、アトリビュートや寓意、画家やパトロンとヨーロッパ時代背景や社会まで説明してくれるのマジでありがてぇ。 絵画をただ「美しいもの」として鑑賞するのも勿論素敵なんだけど、描かれた人物や小道具、色、構図、神話を拾っていくと、作品の主張や皮肉、社会風刺まで読めるんだな。 ヨーロッパのアッパー階級の風習として、新婚祝いにロマンティックな絵を贈ったり、パトロンや依頼主を神話の題材に絡めたり、神に扮して描く文化は面白い。 けど現代人の感覚だと、新婚の寝室用装飾画として、夫婦がモデルになった裸婦画とかエロ画を贈られるのイヤじゃない?(笑) ギリシャ神話の解説・考察も興味深かった。 本書ではギリシャ神話を、母権制から父権制の社会へと移行する象徴と読んでいる。 オリュンポスの主神ゼウスと女王ヘーラーの関係性にしても、そうした社会構造の変化が見える。 ギリシャ先住民の大地母神だったヘーラーは、インド・アーリア語族の侵入により、彼らに信仰されていたゼウスが優勢になる。(※石井桃子編・訳『ギリシア神話』で語られていた天空神『父なるダイアーウス』のことだろう) ゼウスがヘーラーと聖婚したことで取り込んだ結果、出産を司る大女神は嫉妬深いスケールの小さい女神に格下げされた。こうした経緯は、母権制から父権制へ社会が移行したと見ることができるのは面白い。 他にギリシャ神話が母権制から父権制への移行を象徴的に示す例として、知恵の女神アテナがゼウスの頭から産まれたことも示している。 原初の神が「大地の女神ガイア」であったが、父権制を象徴するゼウスが主神の座を奪った。男神がアテナを産んだことは、大地母神の権能(生殖)を奪い、男性優位社会が完成したことを示している、という。 また、女性蔑視の最たる例としてパンドラの神話が挙げられている。パンドラは後のキリスト教社会では、イヴとも関連して描かれた。男を惑わし罪と災いの根源である女性の象徴だ。 こうした古代ギリシャに端を発する父権制と女性蔑視思想は、ヨーロッパに受け継がれ、現在もなお引きずっている。そう著者の実体験を踏まえて書かれていた。 神話という荒唐無稽に思われる伝承は、当時の社会の価値観を映し出す鏡になっているんだな。 さて、ギリシャ神話の神々に視点を移すと、神々の序列関係がなんか思ってたんとだいぶ違ってワロタ。 アフロディーテとエロスって、ゼウスらオリュンポスの神々よりめちゃくちゃ古い世代だったの!? エロスなんてカオスから産まれたガイア、タルタロスの弟という、原初の神々の一柱!そんな超古参の神が人間の小娘プシュケにあーだこーだされてんのウケる。 以下、興味を引いた神話などの備忘録。 ・ゼウスって末っ子なの? まあ、あの奔放さは末っ子っぽいっちゃ末っ子っぽいが。 ・ギガントマキアにヘラクレス参戦してるとか、お前いつの世代なの??? もう時代とか伝承とかスターシステムで超越してて、これもうわかんねぇな。 ・母ガイアを助けるため、クロノスが鎌でDV父ウラノスの男性器を切り落とす。すると、海に落ちた男性器の周囲にできた白い泡が集まり、愛と美の女神アフロディーテが生まれた。 は??? ・ゼウスが息子ヘラクレスを不死にするため、眠っているヘーラーの乳を吸わせようとする。その流れも意味わからんのだが、さらに赤ん坊ヘラクレスがヘーラーのお乳を乱暴に吸ったせいで、乳が爆散して飛び散って天の川になった。 ......つまり、どういうことだってばよ? ・ディアーヌ・ド・ポワティエ。アンリ2世の寵姫。アンリ2世より20歳年上で、王が19歳から40歳で亡くなるまでメロメロだった、ってどんな女性だったんだ。実質王より実権を持ち、公式文書に署名して国政に手腕を振るう。名前がすでにディアナ(アルテミス)なのスゴイ。名前を覚えておこう。 ・西洋絵画においては、右側は正しい側、左側は悪の側という法則。 ・聖母の衣装、慈愛の赤と、天上の真実を示す青。色彩そのものにも意味が込められている。
  • 2026年8月30日
    ギリシア神話
    ギリシア神話
    クリストファー・ノーラン監督『オデュッセイア』公開前の予習を兼ねて、断片的な知識しかないギリシア神話の世界を横断的に知ろうと、まずは初歩として児童書から読んでみる。 ギリシア神話、面白いッスわ。 しかし、各都市の伝承が集められ、人気英雄はスターシステムよろしく別の伝承にも顔を出すので、時系列や世代がごちゃごちゃしてくる。特にアルゴー号周りの連中。 ヘラクレスとかペルセウスとかメディアとかテセウスとかキルケーとか、時代入り乱れすぎじゃない? お前ら何歳だよ。神の子らは旧約聖書みたいに長生きだったりするんけ? 以下、気になったことメモ。 ・ペルセウスの装備、無法すぎんか。 ・イアソンとメディアの顛末が書かれてないのは、やっぱ児童向けだからか。ということは、他の収録された話も子どもには耳に毒なエグい内容が省かれてるってことか。 ・ベルレフォーンって人間の名前だったのか。てっきりペガサスを操る手綱の名前かと...(Fate脳)(ライダー好きです) ・ミダス王って、パクトロス川=リュディアの人だったのか。 ・王様の耳はロバの耳ってミダス王なの!?って、紀元前7世紀説あるの!?!?トロイア戦争のずっと後世の人じゃん!!! ・ヘラクレスのママ、青銅の盾をゆりかごに使うのはやめて差し上げて(笑) ・コルキスの魔女が、メディア王国の名前の由来ってマ? ・神々の承認欲求と気まぐれと我儘で翻弄されるトロイア戦争、マジ哀れ。 ・しかし、人の決闘も戦争も、神々の代理戦争だという古代オリエントの価値観からしたら、人間からしたら理不尽に感じる気持ちも、人の思惑も、天上から見ればそのなんと小さきことか。 神々が身内の報復に天罰を下すのも、神ご自身が好ましいと思う人間のために手を差し伸べるのも、人間が他者や子どもに手を差し伸べる理屈とそれほど違わないのかも知れない。 ・神々を実に人間らしく、ありのまま動的に描く文学的側面と、自然現象の雄大さや理不尽さに従って生きるしかない人間の倫理観を同時に形作る、非常に面白い文学体系だ。
  • 2026年8月28日
    コーランと聖書の対話 (講談社現代新書 1169)
    コーランと聖書についての比較・議論をする本かと思いきや、著者がエジプトで見た現地人の生活と信仰、教会や修道院、聖人ゆかりの土地や史跡を巡るエッセイっぽい本書。コーランの話は最後の30ページくらい。 コプト教徒とエジプトの現在、ムスリムの素朴な信仰心を知る興味深い本であるが、なんかこう、思ってたのと違ったな(笑) カイロ大学で教鞭を執っていたクリスチャンの著者が、エジプトでのムスリムとの生活を通して感じた事柄を語る本書。啓典の民として、クリスチャンはムスリムの信仰のあり方に習うことがあるはずだと語る。 ユダヤ教徒、クリスチャン、ムスリムがモーセまで立ち返ることができれば、そこに一体感が持つことができる基盤がある。それを身を持って経験することで、互いが兄弟である自覚を持てるはず。 事実、歴史上には啓典の民が平和共存していた時期は確かにあり、お互いの信仰や制度の良い部分を学び合うことが再び出来れば理想的だろう。聖書もコーランも慈悲や慈愛を説いている。 ただ、宗教の教えや信仰心だけでは、この問題の解決は成し得ないのではないか。同時に政治的な問題として考える必要があるように思う。 現にアレキサンドレイア図書館の破壊も、イベリア半島でのユダヤ人・ムスリムの追放、十字軍、そして現代のパレスチナ問題に至るまで、も政治力学が宗教対立や弾圧を助長した側面を否定できないだろう。 宗教だけで、信仰のあり方だけで解決を図ろうとするのではなく、政治権力に利用される構造を見なければならない。 アズハル大学の医学部では、一年次にコーランを徹底的に学ぶという。また、ヨーロッパやイスラムの大学には教会やモスクの礼拝堂があるという。 まさに著者の言う「ヘブライズムの宗教的発想と、ヘレニズムの科学的発想は切り離して考えることはできない」のである。 「最も解放された場・空間」としての「礼拝」が、他者への暴力になっている現代の宗教問題を考える上で、かつて宗教が入り混じって共存できていた「解放の場」を振り返り、今どう作り直すかに思いを巡らすことができる本だった。 そして、コプト聖伝など、エジプト土着の伝承は興味深いが、知らん話が当然のようにされて「えっ?」となる(笑) 『聖家族のエジプト逃避の旅に同行した乳母のサロメ』って誰?え、知らん人なんやが。え、ヨセフの前妻なの?コプト教徒には周知の登場人物なの? バルナバの福音書を読んでる前提で書かれても困るんですけどね。 このように、『共同体の中で生きている物語』としての伝承、それらが作り出させる背景もまた興味をそそられる。
  • 2026年8月26日
    聖書の起源 (講談社現代新書 448)
    半世紀前の古い本だが、とても面白く読ませていただいた。この内容が最新の研究でどのように考えられているのか、この本をベースに更新していきたい。聖書伝承の形成、カナン神話との連続性、治癒心としてのイエス信仰とアスクレピオスなど、私の関心のドンピシャだった。 神話から、そのまま史実を取り出すことはできない。 しかし、なぜその共同体が、そのような物語を必要としたのかを問うことで、その背後にある人々の経験や願いを読み取ることはできる。 その意味で、本書は私がこれから聖書を読み直していく上で、面白い出発点になりそうだ。 以下、読書メモ ●旧約聖書 ・カインの『しるし』は、生贄を屠って穢れた祭司が身につける『逃亡祭司のしるし』だったのではないか。そこに、遊牧文化を否定した農耕民への断罪の響きがある。その罪を洗い流すのが、ノアの洪水だった。 ・アブラハム〜ヤコブの族長物語は、終始一貫して弱小の寄留民が『土地を手に入れる』切実な願望が描かれている。 ・出エジプト記に端を発するペサハ(過越祭)は、元来カナン地方に伝わる『冬季宿営地から夏季の牧草地へ旅立つ前夜祭』であり、シリアの遊牧民によると『初子を狙う悪魔に備える』夜の祭りだった。 ・出エジプト記前半部は、祭儀で朗誦される式文だった。また、シナイ山の神顕現伝承は『仮庵祭』で朗誦された祭儀劇だった。古代オリエントの儀式にイスラエル的演出をし、それを正確に想起し反復することで、歴史性と現実性を獲得する。 ・ヘブライ語の平和(シャローム)が意味することは、全てに渡る力の満ち溢れた動的な状態を意味する。そのために、協力な団結、不動の盟約が不可欠だった。 ・十戒の原文は「断言的形式」で書かれている。例えば、 「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」 の原文直訳は 「あなたにとって、わたしの他に神々はないだろう。あるはずがない」 ●治癒心イエス ・イエスの活動したガリラヤ地方は、ユダヤの辺境であり、がーリール(円・地域)が語源。王国時代には『異邦人のガリラヤ』『諸民族の地域(ゲリール・ハッゴーイム)』と呼ばれ、ヘレニズムとの混在地帯だった。 ・ギリシャ神話の治癒神アスクレピオス信仰の拠点シドン(フェニキア)とガリラヤは隣接している。福音書でも「シドンは奇跡の起こりやすい町」という記述がある。 ・エルサレムの原始キリスト教団が『キリスト伝承の担い手』なら、ガリラヤ教団は『イエスの奇跡伝承の担い手』 ・福音記者マルコは、辺境ガリラヤをエルサレムと対置させる独創性を持って、治癒神イエスを登場させた。 ・ヘレニズム時代、アスクレピオス教団はその特筆すべき外科手術技能により、オリンポスの神々との競合に打ち勝った。 ・アスクレピオスもイエスも、病人を求めて遊行する神だった。 ・アスクレピオスのエピダウロス碑文には驚異的な外科手術の物語が刻まれている。果たしてイエスは、精神疾患(ギリシャにおける神聖病)や汚れた人、罪人への『言葉』を駆使し、古代医術のタブーに挑戦したのではないか。その結果、ローマ時代にアスクレピオスとの競合に打ち勝った。 ・ミラノ勅令により公認され、礼典主義化していったことで、治癒神としてのイエスは急速に失われる。 ●新約聖書 ・元々原始キリスト教共同体は、イエスの口承伝承を持っていたが、それらは物語ではなく、イエスの言葉の断片的だった。福音書はマルコでさえありのままの史的イエスの再現ではない。それらを神話的創作という虚像を作ることで『信仰告白』として結集させた。 ・イエスの言葉の断片に、場所や登場人物といった「変数」を組み合わせることで、初期キリスト教の各共同体は、さまざまなイエス伝承のバリエーションを形成していった。 ・口承文学における細部の明細化というのも面白い。後世になればなるほの、古い伝承における曖昧な部分が明細化される。 ・そして、福音書で語られる『山上の垂訓』や『論争』は、記者によって明細化される中で、初期共同体が必要に迫られ、イエスの言葉の断片をまとめられたもの、もしくは差し迫って論敵と戦うために生み出された手引きである。 ・伝承を生み出したのは、教団自体の生活に根ざした要求であり、マタイにおいてパリサイ人や律法学者が“敵”という図式に当てはめられるのは、まさにマタイ記者の共同体が直面してる脅威だった。 ・福音書の物語は、ある意味でイエスの言葉の集積だが、他方ではその一部は明白に、後のキリスト神学による虚構にすぎないとも言える。 ・しかし、新約聖書は各々の目的意識から編集されたものであるが、どの書も一様に『救い主キリストを証言する信仰告白の声』の結晶であることに意義がある。
  • 2026年7月30日
    アフターダーク
    とても不思議な面白い『私たち』という視点が、この無機質で状況を網羅的に説明する文体にとてもマッチしている。 真夜中の繁華街という、人の欲望渦巻く舞台と『私たち』の口調とのミスマッチ感も綺麗に収まっていて、それが冬の夜の乾いた北風を何となく感じさせる。気持ち良く深呼吸したくなるのに、目一杯吸い込むと肺がキリキリするし、肌は少し痛いような、なんだか奇妙な雰囲気の本だった。 「結局なんの話だったのか」を考えると、はて、なんの話だったんだろう? きっとこれは、過去の傷について見た、益体もない一夜の夢だったのだ。 全員が何らかの挫折や傷を抱え、今の現象界を生きている。普段は社会の中で表面的なペルソナは取り繕っていても、その人の奥深い部分にある傷が『夢』として観測されている。 登場人物全員、過去の傷の夢を見る。 浅井エリも夢を見ている。 それは、誰もいない孤独な部屋だ。 いや、テレビという無意識への扉を通して、見ていた誰かがいた。 顔のない彼は、『浅井エリという役割に期待するが浅井エリという個人を見ない(見てくれていると浅井エリが思えない)周囲の人々』のイメージなのではないか。 そう解釈すると、『私たち』という視点の人物もまた、都市に渦巻く『集合的無意識』だったのではないだろうか。 そうした“傷の夢”を癒すのは、“何か理解してくれそうな”誰かの“好奇心”という名の関心なのかも知れない。 ......などと、読み終わりたての放心した脳に浮かんだ言葉を、つらつらしたためているけれど、この小説にこんな考証など無意味である。忘れてくれて構わない。 結局どんな話だったのかと問われても、はて、答えに窮する。これは一夜の夢なのだ。ゆえに、特筆する物語はない。 オシャレな音楽雑学と、洒落臭い文章、含蓄ありそうな「そんな歯に物が詰まったような喋り方する大学生がいるかよ」と思うセリフが、落ち葉のように積もっているだけだ。 それが、妙に心地よい。深呼吸すると肺が少しキリキリ痛むのに、それでももう一度、大きく息を吸いたくなる。冬の夜長のような作品。
  • 2026年7月6日
    天は赤い河のほとり(第2巻)
    最古の「またオレ何かやっちゃいました?」(笑) 「ただの鉄剣を選んだだけなんだけど」という流れだが、鉄剣で城壁を崩せるかは別にして、着実に仲間と装備を集めて強敵を倒してるのは王道展開ながら、ユーリの魅せ方といいストーリーテリングが巧いよなぁ。 カイルに頼り切りに見えて、しっかりユーリ自身で問題解決しようとしてるのが良い。 街の人たちの心を動かすのは、戦記物の王道展開だけど熱い。
  • 2026年7月6日
    天は赤い河のほとり(第1巻)
    『海の闇、月の影』で知ってる作者。流水と流風の超能力ホラーめっちゃ好き! 一話目、普通にホラー演出として面白い。これ、当時何も知らずに読んだ人はラストでユーリと同じ叫びを上げたんだろうな(笑) ・古代東地中海世界を当然詳しくない15歳の女の子も、日本人なら誰でも知ってる「ツタンカーメン」で膝を打った!なんて、なんて自然にキャラクターに状況説明するんだ! ・「身分ってのは上の者が下の者を守るためにあるんじゃないの!?」 ユーリかっけぇ...この状況でこの啖呵を切れる15歳ってスゴイな。しかも、ヒロイン自ら戦う覚悟のキマり方。ティトへの振る舞いや気丈さが、カイル・ムルシリの「厳しい要求」をクリアしてるじゃん。 発展途上ながら、全編通して「愛嬌・可愛い」より「キメる時にキメる・カッコイイ」なんだよな。 ・四頭立ての重戦車を単身で乗り回す蛮族ってなに...? ・そんなズワの異質性を描写した上で、鐙や鞍なしの暴れ馬で鵯越えの逆落としを成功させた上に、敵陣を単騎駆するユーリ、なんだこれ...?カッコ良... ・全員勘違いさせる、ユーリの天稟。
  • 2026年6月28日
    ババヤガの夜
    叙述トリックにまんまとしてやられた!(笑)こんなに「そうきたか!」と唸ったのは、『ハサミ男』以来かも。 作品上必要なもの以外を限界まで削ぎ落とした簡潔な筆致が生み出す疾走感。それでいて、依子と尚子の熱や情感はしっかりと掘り下げられており、繊細でありながら重いストレートを真正面から喰らったような力強さに引き込まれる。短いながらも、隅々まで緻密に作り込まれた小説を読んだという達成感を味わえた。 全体の枠組み、プロット自体は奇を衒ってはいない。しかし、ヤクザものというバイオレンスな物語の中心にシスターフッドを据え、さらに女性が心と身体の自由を勝ち取る戦いにフォーカスして描いている点が面白い。 その中で、「女性が暴力を振るうのは、育ちに理由があるはず」「女性らしい格好をするのは当たり前」といった、我々が男女問わず薄っすら抱いている偏見を指摘されたような感覚を覚えた。 ヤクザという男尊女卑の極致ともいえる社会で、抑圧され、役割を強いられる女性たち。そこから飛び出し、自分のしたいことを選び、自らの天稟を大切にして生きる。理想的なシスターフッドによるエンパワメントを力強く描いている。 暴力描写は極めてエンタメ性が高いが、バイオレンスはマクガフィンにすぎない。依子と尚子がようやく自分自身の人生を選び取ったという静かな解放感。胎児のような姿勢と眠り、二人に寄せる波音がババヤガの産声のようで、その爽やかな余韻がゆっくりと寄せてくるようだった。
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