ヒッタイトの歴史と文化
3件の記録
やん@grilledyangyang2026年5月30日読んでる読み終わったまえがきより「ヒッタイト人たちの復活の鍵は、(中略)すなわち、ヒッタイト研究が古典期と聖書の背景、つまり西洋の伝統の背景を理解する上で、その価値が認められるかどうかにかかっている」 それだけヒッタイトが、メソポタミアやエジプトに匹敵するようなヘブライ聖書の原典である可能性を秘めている。著者も「メソポタミアに並んで『西洋の祖先』の名に値する」と書いている。 ヒッタイトやフリ人といったアナトリア文化を侮っていた。彼らは古代パレスチナだけではなく、ギリシャやローマにまで影響を及ぼし、現在のヨーロッパ文化の基礎の一つになったと言っても過言ではない。 聖書考古学や史的批評に関心がある身からすると、東地中海世界の聖書記述の再構築はありがたいが、反面西欧での学術的価値を得るには、いまだ聖書というトピックの存在感が大きい。何ともまあ変わらん部分なんだなぁ、と苦笑い。気持ち的には日本人が古墳を発見して古事記や大和王朝の痕跡を探ることに心血注ぐのと変わらんだろうから、分からなくはないけど、そこが大陸と島国の感覚の違いだろうね。 ・ヒッタイト芸術は、エジプトやメソポタミアとは異なる独自の様式である。ミノア文明のクレタ島で知られるモチーフが出土しており、ミケーネ人(=アヒヤワ?)とヒッタイトの関係性が示唆される。 ・アジアの語源は、ヒッタイトに対抗するためにアルザワ諸国(アナトリア西部)が結成したアシュワ同盟。後にローマ帝国が属州アシアと名付ける。 ・ムルシリ2世、シュッピルリウマ1世の末子だったのか。カルケミシュとアレッポの副王(地方総督?)に兄たちが就いていて、よく内乱にならなかったな。 ・前12世紀のカタストロフの説が面白い。王権が弱体化、気候変動による深刻な飢饉、タルフンタッシャがヒッタイト帝国からの自立の動きを見せ、アナトリア西部やアッシリアの脅威。そうした末期的な情勢で、アナトリアの民衆が土地を捨てて大移動したことで起こったのか。ルッカ遠征に軍を駆り出され防衛力皆無のウガリトが、大移動する民衆=海の民に蹂躙されたのは哀れ。そして、ハットゥシャはすでに蜂起されていたところを、仇敵の北方民族カシュカに壊された、って流れか。 シュッピルリウマ2世がどんな最期を辿ったのか、知り得ない謎とは言え、気になるなぁ。 ・ビザンツを象徴する「双頭の鷲」は、ヒッタイトのレリーフだった!? ・ヒッタイトの法や属国との契約、神話・伝承は、出エジプト記やレビ記、申命記といったヘブライ聖書における伝承や神との契約関係に似ている。ヒッタイトの条約とイスラエル民族と神のシナイ契約の概念、ダビデとゴリアテやヤコブと神の決闘の文脈、贖罪の儀式は、アナトリアの伝承との類似が見られている。 ダビデの立身出世物語は『ハットゥシリ3世の弁明』がモデルになっているし、ヒッタイト条約は、神と古代イスラエル民族の契約のモデルとなっている。ヒッタイトの文学は前13世紀の広くシリアやパレスチナに広まっていようだ。 ・ヘブライ聖書の「焼き尽くす捧げ物」と似た屠殺儀式は、フル人の風習が濃いキズワトナからアナトリアに入った。また、羊の肝を調べる内臓占い(肉の神託)は、バビロニアからフリ人を通してアナトリアに伝えられた。東地中海におけるフリ人の影響力が計り知れない。 ・ラメセス二世がムワタリ二世と戦った、あの有名なカデシュの戦いと、ハットゥシリ二世との世界最古の国際条約で作られたヒッタイトとエジプトの平和は、パレスチナに多くの文化を伝えた。ウガリト語やヘブライ語には、ヒッタイトの儀礼用語が多く借用されている。 ・ヒッタイト滅亡後、北シリアに作られた新ヒッタイト諸都市は、古い伝統を残し、それらをパレスチナに伝える役割を果たした。新ヒッタイト都市ハマトと北イスラエル王国がアッシリアにより滅亡したことで、南ユダへの難民が流入。 そうした中で、ヒッタイト≒「ヘト人」は「イスラエル民族」の集団的アイデンティティと対抗する「他者」の例として物語に取り込まれた。「ヘト人」とは歴史的というより、文学的なレトリックの道具になった。
