ヒッタイトの歴史と文化

ヒッタイトの歴史と文化
ヒッタイトの歴史と文化
ビリー・ジーン・コリンズ
山本孟
リトン
2021年6月1日
3件の記録
  • やん
    やん
    @grilledyangyang
    2026年5月23日
    まえがきより「ヒッタイト人たちの復活の鍵は、(中略)すなわち、ヒッタイト研究が古典期と聖書の背景、つまり西洋の伝統の背景を理解する上で、その価値が認められるかどうかにかかっている」 聖書考古学や史的批評に関心がある身からすると、東地中海世界の聖書記述の再構築はありがたいが、反面西欧での学術的価値を得るには、いまだ聖書というトピックの存在感が大きいというのは、何ともまあ変わらん部分なんだなぁ、と苦笑い。気持ち的には日本人が古墳を発見して古事記や大和王朝の痕跡を探ることに心血注ぐのと変わらんだろうから、分からなくはないけど、そこが大陸と島国の感覚の違いだろうね。 ヒッタイト芸術は、エジプトやメソポタミアとは異なる独自の様式である。ミノア文明のクレタ島で知られるモチーフが出土しており、ミケーネ人(=アヒヤワ?)とヒッタイトの関係性が示唆される。 アジアの語源は、ヒッタイトに対抗するためにアルザワ諸国(アナトリア西部)が結成したアシュワ同盟。後にローマ帝国が属州アシアと名付ける。 ムルシリ2世、シュッピルリウマ1世の末子だったのか。カルケミシュとアレッポの副王(地方総督?)に兄たちが就いていて、よく内乱にならなかったな。 前12世紀のカタストロフの説が面白い。王権が弱体化、気候変動による深刻な飢饉、タルフンタッシャがヒッタイト帝国からの自立の動きを見せ、アナトリア西部やアッシリアの脅威。そうした末期的な情勢で、アナトリアの民衆が土地を捨てて大移動したことで起こったのか。ルッカ遠征に軍を駆り出され防衛力皆無のウガリトが、大移動する民衆=海の民に蹂躙されたのは哀れ。そして、ハットゥシャはすでに蜂起されていたところを、仇敵の北方民族カシュカに壊された、って流れか。 シュッピルリウマ2世がどんな最期を辿ったのか、知り得ない謎とは言え、気になるなぁ。
  • とと
    とと
    @toto_chan
    2026年4月11日
  • めぐすり
    @eyedrops
    2026年4月3日
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