自由論

自由論
自由論
J.S.ミル
岩波書店
1971年10月16日
16件の記録
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月7日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月6日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月5日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月4日
  • orange10s
    @orange10s
    2025年4月3日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月3日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月2日
  • えまり
    @emari0626
    2025年4月1日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月30日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月28日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月27日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月25日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月23日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月22日
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月20日
    p.86 これらの数説は、普通の有者に対しては、なんらの支配力をももたず、彼らの精神の内部における力ではない。彼らは、これらの教説の言葉の響きに対しては習慣的な尊敬を払っているが、しかし、これらの言葉から発してこれらの言葉の意味する事柄へとひろがってゆき、精神をしていやおうなくその事柄を取り入れさせ、これを[与えられた条の)方式に一致させるそのような感情は全くもっていないのである。 実際の行為に関するかぎりは、彼らは常に、自己の左右に甲氏あるいは乙氏を探し求めて、どの程度までキリストに従うべきであるかの指示を仰ごうとする。
  • えまり
    @emari0626
    2025年3月19日
    p.76 その問題に関して、自分の主張を知るに過ぎない人は、その問題に関してほとんど知らないのである。 p.80 なぜならば、自由のない教養は、闊達で寛容な精神を生み出した事はないが、或る主義のための怜悧な訴訟弁護士(巡回裁判における民事訴訟の弁護士は、概ね小利口であるから、かようにいったに過ぎない)を作ることができるからである。 p.81 しかし実際には、論争の行なわれない場合には、意見の根拠が忘却されるだけではなく、また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される、というのが事実である。意見を伝えるための言葉は、全く思想を表示しなくなるか、或いは、最初その言葉が伝えようとしていた思想の一小部分を表示するに過ぎなくなる。鮮明な概念と生命ある信仰とは失われて、機械的に暗記された少数の文句が残るに過ぎなくなる。或いはまた、意味の一部が辛うじて記憶されるとしても、単にその外殻と外皮とが記憶されるに止まり、純美なる精髄は忘却されてしまうのである。このような事実が占めまた満たす人類の歴史の重要な一章は、いかに熱心に研究せられ熟慮せられても過ぎるということはない。
読書のSNS&記録アプリ
hero-image
詳しく見る
©fuzkue 2025, All rights reserved