えまり
@emari0626
2025年3月19日

自由論
J.S.ミル
まだ読んでる
p.76 その問題に関して、自分の主張を知るに過ぎない人は、その問題に関してほとんど知らないのである。
p.80 なぜならば、自由のない教養は、闊達で寛容な精神を生み出した事はないが、或る主義のための怜悧な訴訟弁護士(巡回裁判における民事訴訟の弁護士は、概ね小利口であるから、かようにいったに過ぎない)を作ることができるからである。
p.81 しかし実際には、論争の行なわれない場合には、意見の根拠が忘却されるだけではなく、また実にしばしば意見そのものの意味が忘却される、というのが事実である。意見を伝えるための言葉は、全く思想を表示しなくなるか、或いは、最初その言葉が伝えようとしていた思想の一小部分を表示するに過ぎなくなる。鮮明な概念と生命ある信仰とは失われて、機械的に暗記された少数の文句が残るに過ぎなくなる。或いはまた、意味の一部が辛うじて記憶されるとしても、単にその外殻と外皮とが記憶されるに止まり、純美なる精髄は忘却されてしまうのである。このような事実が占めまた満たす人類の歴史の重要な一章は、いかに熱心に研究せられ熟慮せられても過ぎるということはない。
