慟哭 小説・林郁夫裁判

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咲@mare_fecunditatis2026年4月19日読み終わった@ 図書館被害を受けた側の「知りたい」という気持ち。 癒やしようがない傷を受け、苦しみが刻まれ、失われたものはもう戻ってこない中で、せめてもの拠り所があるとしたら、この被害に、苦しみに、喪失に、何か「意味」を見いだすこと。 被害により踏みにじられた尊厳をも超越するような「意味」があったと、こじつけだとしても結びつけられるような何か。 だとしたら、被害者の「なぜ」に答えることは、加害者の償いにおける大切な要素。 傷付くと分かっていても遺体を見たい。加害者の気持ちを聞きたい。 傷付いても知りたいという、突き動かされるような欲動。 地下鉄サリン事件被害者の会の高橋シズヱさんは、本事件の実行役であった林郁夫の裁判において、 〈私が被告人らに望むのは、①教団が起こした犯罪だと認めること②被害者に謝罪すること③二度とこのような事件を起こさないように真実を明らかにすることです。林郁夫の公判はほとんど傍聴しており、右の3点がすべて満たされていることがわかりました。少なくとも法廷における林郁夫の態度は、私の悲しみや怒りを増大させるものではありませんでした〉と伝えた。 他の実行犯はみな「死刑」の判決となったが、林郁夫のみ「無期懲役」の判決を受けた。 それは、まだ実行犯の疑いすらかかっていない別件逮捕の時点で自分が携わったことを自白し、自身の裁判のみでなく共犯者たちの裁判にも証人として30回あまり参加し、事の詳細を話し、伝え、責めを当然のものとして負い、謝罪し続ける姿を社会にさらし続けたその末の判決だった。 被害者は、事件そのものだけでなく、事件が社会からどう扱われるか、加害者が裁判で何を言うかなど、多くの周辺から、幾度も幾度も、さらなる被害を受ける。 高橋シズヱさんが挙げられた3点を満たせない者がいかに多いことか。それがいかに苦しみを増大させることか。