杉浦康平と写植の時代

2件の記録
- Aruiwa@atodeyomu2025年4月1日読み始めた「けれども、写研という企業の存在意義は、本質的には日本の文字環境(組版)の特殊性を賭け金にしていた(書体の品質は写研の大きなアドバンテージだったが、写研ないし写研二代目社長の石井裕子は、それを組版システムと分離すべきでないという意思決定を堅持した)。ゆえに、その特殊性自体を丸ごと飲み込み、他の言語と共存させられる上位の技術(つまり、PC以降の、アメリカのシリコンバレー主導のデジタル技術)が登場すると、必然的に隘路に陥ることになった。それは、すべてのイメージを含むすべてのメディア記号が、文字(メタな文字としてのバイナリーコード)から生み出される世界、アルファベットの論理があらゆる人間の文字の実現の下部構造になった世界の到来だったとも言える。そのような時代にあって、写研が活動を終息させていったことは、たんに技術的な孤立化の帰結や汎用的先進技術による淘汰(いわゆるガラパゴス現象)という問題だけでなく、知を物質化する一つの理念形としての「本」、杉浦が目指し続けた「書物」の姿が離散化していく時代の始まりでもあった」