アニメーション美術の世界(334)

アニメーション美術の世界(334)
アニメーション美術の世界(334)
ステファン・リーケレス
明貫紘子
平凡社
2026年6月29日
2件の記録
  • 勝村巌
    勝村巌
    @katsumura
    2026年7月6日
    大変に力の入った一冊。アニメーション好きの方にはぜひ読んでもらいたいオススメの冊子です。 アニメーションの背景美術に特化した内容で、商業アニメーションの黎明期から最近の作品まで、日本のアニメの背景を手掛けている人たちをかなり突っ込んで言及しています。 アニメーションについて語る際の多くはりんたろうとか宮崎駿とか高畑勲とか出崎統とか押井守とか大友克洋とか庵野秀明とか今敏とか湯浅政明とか細田守とか新海誠とかの監督が前面に押し出されることが多いわけですが、この冊子ではそういった監督が共同制作者として選んだ美術監督の方々をフィーチャーしています。 この冊子ではアニメ監督は冒頭にりんたろうと四宮義俊が対談として大きくフィーチャーされている以外では安彦良和や新海誠が小さい囲みの中で紹介されているくらいで、基本的には背景美術の当事者の言葉が生で記されている。 監督が作品を語る時は作品を通して表現したいことのコンセプトや主題などがメインとなり、いわゆる観念的な話題が展開されることが多いですが、この冊子では、それぞれの背景美術の人たちが具体的にどうやってスキルを身につけたとか、画材は何を使っているとか、背景美術として大量の絵を描くためにどうしたか、というような唯物的な視点が語られていて、具体的なので、とてもわかりやすい。 冊子としては草森秀一、馬島亮子、小倉宏昌、大野広司、木村慎二、林孝輔、日野香緒里、久保友孝のインタビューとそれぞれの作家についての論考に加えて、小林七郎、椋尾篁、山本二三、男鹿和雄といった巨匠たちの記事もある。 背景美術の人たちは自身の作家性や個性を保ちつつも、職人として求められたビジュアルを視覚化するために手を動かす。この冊子ではそういった背景美術の話が作品横断的に出てくるので、アニメーション監督を中心にした紹介をしているときには見えてこない、時代時代における世代的なアニメーション作品の連続性が見られるのが素晴らしい。 この作品とこの作品の美術は同じ人がやっていたのか〜、などという繋がりがわかるのはこういう作りの本ならではと感じた。 僕は1976年生まれなので、オタク第二世代に属しているといわれる年代です。『アリオン』『ラピュタ』『ヴイナス戦記』『トトロ』『火垂るの墓』『AKIRA』『魔女の宅急便』『パトレイバー』などが毎年のように劇場で見れた世代です。すごい時代だったと思う。 この前の世代にはうる星やつらとかあって、この後の世代には攻殻機動隊とエヴァンゲリオンとかがくるわけです。 今から見るとこの1980年代後半というのはCGなどはほとんどなく、手描きのセルアニメの全盛期と言ってもいいのかもしれません。それこそ命を削って描いていたと言っても過言ではないような。 そういったところで、この冊子ではもはや神代の時代とも思われる手描きオンリーの時代の話から、より最近の背景美術の話になるので、デジタルによる作画、コンピューターの導入などについても詳しく述べられています。 細田守などは大変意識的にやっている、手描きとCGのそれぞれの特性が等価で語られているのが現代的な視点と思いました。 新海誠がゲーム業界からアニメに入ってきて、彼のビジョンを具体化するためにそれまでのアニメーション業界の人間ではなく、美大卒の人間が集められて、コンピューターによる背景描画のノウハウが極まっていった、というような話は大変に興味深かった。 美大卒のそういう人たちには日本画の方がより多く入っている印象で、そこは、なるほど、と思った。 各有名美大の卒展などを定点観測的に見に行っているが、今となっては油の人達はより現代的なアプローチで現代美術的なインスタレーションなどにかまけており、具象的な絵を描いているのはやはり圧倒的に日本画の方々というのが、僕の感覚で、そう考えると日本画の方がアニメに多く入ってきているのは肌感として納得できる。傾向の話ではあるのだけれど。 また、背景美術で功を成した人たちの言葉として「美大で絵画を学んだが、このままでは作家にはなれないと感じて〜」みたいなことを言っている人が複数いたのも面白いと思った。 やはり大学で美術を学ぶということは作家を目指すという観念が強いのだろうか。作家になるというのは一つの生存戦略だが、描写技術と比例しないのが、難しいところと思う。価値観が多様になりすぎていて、現代美術の世界のスキームはまた別のベクトルにある気がする。現代ではより社会学的な興味が大切なのかも。 そういう意味において、作家性ではなく、平面表現の技術を身につけた人たちの受け皿としてアニメーションがあるというのは、昨今の美術大学にアニメやゲームなどのコースが増えていることとも連動しているように思われる。 アニメーションはとにかく大きな共同作業だし、資本や当たった時のマネーの動きも大きい。特に最近の商業アニメーションの国内作品の興行収入を考えても、産業規模はものすごいことになってるし。そして、そういう複合的なスケールの作品がアート的でないとは必ずしもいえない。商業的でもアート的な表現は両立できると僕は信じるし、そういう作品もすでに存在する。 多様な社会の包摂と作品の持つスケールを考えるときに、かつての西洋絵画の世界よろしくギルドや工房のような美術のスタジオが多くあるのは、芸術とはなんなのかを考える上で、示唆に富む。 また、後半には日本のアニメーションにおける背景美術の歴史を辿る発展の系譜の論考もあり、これはこういう論考を読むのは初めてなので大変に勉強になった。 アニメーションの抱える文脈は広大だ。単に絵が動くという技術的なところ、つまり錯覚の作り方を始め、産業として考えた時の手塚治虫の功罪とか、あらゆる天才的アニメ監督のそれぞれのあり方とか、アートアニメーションの話とか、手描きかデジタルかとか、世代によって見てきたものが異なることとか。 また国内のアニメだけでなく、海外のアニメにも深い文脈がある。デズニーとかフライシャー兄弟とか、フルデジタルアニメのピクサーとか、スパイダーバースとか、なかなか一筋縄ではいかないリテラシーだ。 とはいえ、そういうリテラシーを理解していなくても、アニメには単純に見てわかる、という強さがある。本来は静止している一枚の絵が動く、というアニメーションはあらゆる角度から人の心を打つ表現だ。 それはやはり手描きであろうがデジタルであろうが、人間が工夫して創造しているものだからなのではないかと思う。 動いたり喋ったりすることで、キャラに命が吹き込まれるということが語られがちなアニメだが、そのキャラが生き生きと動くためには、説得力のある、実在感のある世界が必要で、それは背景美術が担う部分で、それらはスタティックな一枚の絵として動かずにそこにあるが、その存在感が認知に与える影響は無視できない。 そこのあり方を読み取れるとアニメを見る時の視点がより深まることは確実で、この本はそのヒントとなる切り口を大量に示してくれる。 それぞれのアニメ作品の持つ世界観をあくまで視覚的に表現するために様々な工夫を凝らしている人たちがいる、ということがヒシヒシと伝わってくる一冊でした。
  • noisebox
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    2026年6月16日
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