勝村巌
@katsumura
- 2025年10月11日夜になるまえにレイナルド・アレナス,Reinaldo Arenas,安藤哲行読み終わった(注意:ちょっと性的な表現があります) 1943年生まれ、キューバ出身の作家レイナルドアレナスが1990年にエイズで自死する前に、亡命先のニューヨークで書き上げた自伝的小説。キューバ革命の真っ只中でホモセクシュアルとして青春を過ごした作家の人生が凝縮して描かれている。 幼少期の記憶は朧げなところもあるのか、多少マジックリアリズム的な筆致だが、長ずるにつれて非常にリアリズムで妥協のない世界へ突入していく。 キューバ革命を経て成立したカストロ政権による、文学者や芸術家への弾圧と相互監視的な政策とその内情がほぼ実名で暴露されている。 ガルシア・マルケスなどはアレナスから見ると政権御用達作家でノーベル文学賞は獲ったものの、いかほどなものか、という感じ。他にもバルガスリョサとかボルヘスについても実名で言及あり。 自分が捉えていた評価とのズレに当事者性と視点というものについて考えさせられる。 また、若く反体制的な文学者が捕縛され拷問を受けて転向し、周囲の仲間を巻き込んで衆目の中で、団体的に総括させられる場面などは痛々しくて読んではおれない残酷さだった。しかし、そういうことがあったのだろう。現実はディストピア的だ。 また、夜景国家的社会主義政権下でのホモセクシャルのあり方もかなり赤裸々に描かれている。 社会は真っ暗だがホントに当時のキューバンホモセクシャルは奔放だな! という感じで、公衆トイレといえばハッテンするし、長距離バスの中とかチャットでも男と長時間一緒になるシチュエーションが来るとペニをしゃぶりまくるという有様。 本当にこんなに奔放にできるのかな? 性的快楽に対する文化の違いを思い知らされるが、まさに背徳、という感じで素晴らしい。 亡命後のニューヨークで、現地のホモセクシャルは細分化されており、原始的パワーに貧する、みたいな批判を繰り広げたりしており、そこは正直なところなのだろうな、と思った。海を越えると文化も違うというわけで。 ホモセクシャルの表現については、色々な愛の形があることは分かるが、そこにあったと思われるロマンス的な心情の昂りは直接的には描かれていない感じがして、面白かった。愛の感覚が欠如している感じ。ないわけではないのだが。 それは自伝的な小説なので、それぞれの人たちへの配慮なのだろうか。肉体的快楽、事象としてのセックスが描かれるのみなに感じた。しかし、それは僕の読み込みの浅さかもしれない。読まれた方の意見を聞きたい。 個人的にはヘンリーミラーの『南回帰線』や『北回帰線』、ジャックケルアックの『路上』とかを読んだ時の読後感。素晴らしく好みの小説。こういうのばかり読みたい。自由に生きることを希求し、そう生きた人だけが描ける小説だと思った。 素晴らしい本なので、今の世の中を生きる人にはあまねく読んでもらいたい。
- 2025年10月7日宗教とデザイン松田行正読み終わったキリスト教、イスラム教、仏教の三つの宗教がその成立過程からどのように形や色を活用してきたかについてを包括的に扱っている本。 いろんなところで読んだ本などで得た僕にとっての既習事項が総合的な知の力によって構成されているように感じた。 物事ってこういうふうに結びつくのか〜という感じ。マレーヴィチの黒い四角形が、究極の偶像表現だ、みたいな近現代美術の切り口もしっかり入っていて素晴らしいと思った。 松岡正剛さんからの引用も多かったので、こういう学際的な領域を攻める人たちにとっての巨人はやはり松岡さんなのかもしれない。一度お会いしていろいろ聞いてみたかったです。 車のマツダあるじゃないですか、あれってアルファベットではMAZDAですけど、その表記はゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダー(Ahura Mazdā)から来ているんだって。というのもアフラ・マズダーは光明神なのでエジソンじゃない方のイギリスのゼネラルエレクトリックカンパニーが自社の作った電球をMAZDAと命名してたので、マツダがアメリカ進出するときに、アメリカ人にも読みやすいようにその表記を採用したからなんだって。こういう話は面白いですよね。 なんかいろんなところで役に立つおもしろ知識が満載でした。『戦争とデザイン』という先行書もあるようなので、それも読むつもり。 いい本でした。おすすめです。
- 2025年9月28日眼の冒険松田行正読み終わったすでに休刊となっている隔月誌『デザインの現場』にて連載されていた松田行正さんの原稿をまとめたもの。 編集や書籍デザインなどの印刷文化に携わっている諸兄には必読を強くお勧めする本だ。 書名の『眼の冒険』というだけあって、印刷される図案について、広く社会的文化的な分析を行っている。 しかも新書などのように何か大きなテーマや目的があるわけではなく、図案に関連するものであればなんでも百科事典的に取り扱うため、古今東西の様々な文化についてなにかと広く触れている感じがあり、面白い。 相似的な図版や形を世界中から集めてみると科学や歴史などに不思議な関連が現れる、という話とか、最近、映画で話題のレッドツェッペリンの4枚目のアルバムに描かれた4つのシンボルの話とか、日本の初の活版印刷機は天正遣欧少年使節が持ち帰っただとか、世界初の大学はパリ大学で、そこでは研究者はスコラと呼ばれ、主キリスト教の内容整理として分類を行なっていたため、アカデミックな研究というのはそもそも分類することであった、なんてことだったり、とにかく、なんか面白い話がてんこ盛りになっている。 もちろんフォントや図版、文字などの文脈についても大変に興味深い話がたくさん含まれているので、広く世の中のことを知りたいという人はぜひ読んでみてほしい。
- 2025年9月27日呪文の言語学角悠介読み終わったルーマニア在住の言語学者によるルーマニアの(主に)魔女が使う呪文についての研究所。 西欧の魔女と言えば魔女狩りですが、魔女狩りで魔女が駆逐されてしまったのは西側がメインで東欧にはまだ魔女が生き生きと生きており、生活の中に根ざしているのだという。 これは東欧のキリスト教がギリシア正教だったため、西側諸国のカトリックとは土着の宗教との関連の仕方が異なっていたからなのだという。そういうことなんかも初耳だったので大変面白く読んだ。 著者が言語学者なので、ルーマニアに残る呪文を文献調査して、その構造解析をするというのが切り口で、呪文の中に意味の通じる平文と、意味不明の暗号のような部分がある、というような解き方をしていて面白い。 つまり、アブラカダブラみたいな言葉の効能、みたいな音節だけの部分はなぜ存在するのか、という点を考えるところは面白かった。 ハリーポッターの「エクスペクト・パトローナム」はラテン語では平文で意味が通じる、とか「痛いの痛いの飛んでけ〜」の主語はなんなのかとか、アブラカダブラには亜種がいろいろあり、国によっては回文になっている地域もあるとか、そういう豆知識的なところも面白かった。 パスタードの呪文を必死で覚えた10代があったわけだが、あれなども平文と暗号文の組み合わせだったと言える。あれは作者の萩原一至が適当にヘビメタとか聴きながら組み合わせで作ったものなんだろうが、雰囲気や説得力は出ていたので、意識はしていなかったが、本物に近い言語的な構造に近づけていたのだろう。 ルーマニアという国と、著者の研究対象であるロマ(古くはジプシーと呼ばれた放浪の民)の関わりなどにも触れられて、そこも面白かった。 魔法というものが、テレビアニメのように派手なものではなく、腹痛が治るとか、日照り続きの土地に雨が降るとか、不倫して駆け落ちした元旦那の相手が不幸になるとか、そういうものが主で偶然起こりうる事象の確率が上がる、というものなのが生活に根ざしている点だと思った。 日本も極東の島国として相当独特の文化を持っていると思うが、ルーマニアなども大変に個性的な国なのだろうな、ということが実感できた。いつか行ってみたい。
- 2025年9月24日地下室の手記(新潮文庫)ドストエフスキー,江川卓読み終わった東浩紀さんがドストエフスキーならここから読み始めると良い、という話をしていたので手に取ってみたが、かなり強烈な小説だった。 「僕は病んだ人間だ」から始まるこの小説は、ドストエフスキーの分身と思われる42歳のうだつの上がらない無職の男(それまでは八等官、係長クラス。多少の遺産が入ったので退職したと思われる)が主人公。 病んだ人間として、とにかく主人公が嫉妬や猜疑心、被虐心などを隠さずに生きていく、というストーリー。 嫉妬や猜疑心を抱えた人間の行動を明確に言語化しているのが特徴で、自分も似たようなところがあるので、非常に陰鬱な気分になる。 陰鬱な気分になるが、それを的確に描いているので、すごいな! と思う。僕もそういうふうに考えて、浅ましくもそういうふうに動いたことがあるし、みたいな感じを全体から受け取れる小説。 心の動きを書く、という小説の表現形式の特徴を最大限に発揮したマスターピース。読んで良かった。
- 2025年9月16日ひとまず上出来ジェーン・スー読み終わったラジオパーソナリティ/エッセイストのジェーンスーさんが女性ライフスタイルマガジンCREAに連載したエッセイをまとめた本。2016年からコロナを経た2021年くらいまでのスーさんの心の動きがしるされている。 かなり近い時期に書かれた『生きるとか死ぬとか父親とか』『介護未満の父に起きたこと』と合わせて読んだため、アラフィフかつサブカルの未婚女性の一つのメンタルをじっくり読むことができた。 スーさんのような女性がどのような考えに基づいて悩んだりしながら日々を過ごしているのかがかなり赤裸々に嘘がなく書かれている。ラジオの語りとは違い、より内省的なテキストが特徴で、心の動きをしっかりと書き込んでいる。 物事には正解ばかりがあるわけではなく、回答を先延ばしにしたりすることもあるが、そこまでにキチンと考えるべきことは考えているので、この過程を知れるのは素晴らしいと思った。 また、時系列で続いていくエッセイなので、あそこで書かれていたことが、ここでこういうふうに帰結するのか、というような感じでスーさんの生活と共に踊れるような作りになっているのも良い。 割とサバサバしているようです、案外、昔のことなどが忘れられずにクヨクヨしていたり、あんなにこだわっていたことが今となってはどうでもいい、みたいなことはよくある、というようなことがよく表現されているが、そういうところは程度の差こそあれ、誰にでもあるのだな、と共感した。 サラッと読めるが、つどつど引っかかる部分もあり、読み応えや共感のある本でした。
- 2025年9月16日介護未満の父に起きたこと(新潮新書)ジェーン・スー読み終わった2021年に新潮社から出ていた文庫『生きるとか死ぬとか父親とか』の正式な続編。あの2人にまた会える、というやつだ。 後期高齢者となり、母親にも先立たれた独居の82歳の父親が、どのように人生を健やかにフェードアウトできるか、娘として真剣に向き合った5年間の記録。 ジェーンスーさんはTBSラジオのお昼の顔として、午後に帯番組を続けているラジオパーソナリティandエッセイスト。 ラジオ番組の名前は『相談は踊る』であり、日々、世間の人たちの悩みに向き合っている。そんなスーさんが愛憎入り混じる父親の老いに真剣に向き合い、実感を込めて描いており、さまざまな事実がトライアルandエラーとして赤裸々に描かれており、参考になる。 介護に悩む人たちに、それを楽しめとは言えないが、ビジネス書を参考に、生存戦略とし生活の様々な点、曰く、体重を増やすとか、ペットボトルを開けられないとか、掃除とか洗濯とか、そういうことをシステム化して、やれることとやれないことを種わけしていくスタイルは心と生活を上手く切り離す手法として有効と感じた。 スーさんは色々な選択肢がある中で、如何ともしがたく今のような生活を選んでいるわけだが、そこにたらればは存在しないが、中動態的に事実を認識して、そこで出来る限りやってみる、という態度をとっており、とても素晴らしいなと思う。 物事を考える時に主体、ステークホルダーは誰なのかを考えるのは常に大切だが、ビジネス書を参考にしているだけあって、そこをブレずに進めているため、これは大変な親孝行だと感じた。 自分にとっても人ごとではない状況なので、先人の知恵として読み込んでおきたい。
- 2025年9月15日生きるとか死ぬとか父親とかジェーン・スー読み終わったTBSの昼の帯番組、生活は踊るのパーソナリティのジェーンスーさんの私的エッセイ。早くして母を亡くしたスーさんが後期高齢者となった父親との関係を綴ったもの。 愛憎入り混じった、という表現がぴったりの内容で、かつてはイケイケであった父が母の死後、色々とうまくいかなくなり、全財産を失い、何とか生きているところに娘としてどのように付き合っているかを記している。 実際には父の生活費を捻出するために父に稟議を通して描いているエッセイだというのが面白い。印税や原稿料などはその父の生活費に回しているのだという。 生活は踊るやオーバーザ・サンなどで今やTBSの顔の1人となったスーさんだが、日々こう言った悩みを感じながら生きているのだな、と身近に感じることができた。 息子の玄が生まれた2010年代に夜に泣き止まぬ玄を抱えて近所を歩いて回る間、当時入手したてのスマホで聞き始めたタマフルで出てきた頃から聞いているので、その頃の彼女がこう言った心境だったのかと思うと、感慨が深い。 昔はラジオを聴いているとすぐに通信制限にかかって、課金などしながら聴いたものだ。粋な夜電波などもよく聴いたな。週一のタマフルが懐かしい。
- 2025年9月10日作り方を作る佐藤雅彦読み終わった2025年6月28日から11月3日まで横浜美術館にで開催されていた佐藤雅彦展の公式図録。ピタゴラスイッチのピタゴラ装置とかアルゴリズム体操でお馴染みの佐藤雅彦展というだけあって、展示は大いに人が入っており、日時指定の予約がなければ入れなかった。 展示は電通時代のCMからゲーム、書籍、テレビ番組での映像表現がわかりやすくまとめられていた。 その大回顧展の側面、佐藤雅彦の自分史が時系列で記されているのが本書である。 展示と連動して章立てされているので、展示をしっかりみた後であれば、それぞれの政策の裏側にあるストーリーがわかるようになり、展覧会を多角的に見られるようになる、という優れもの。 ミュージアムショップでも「この図録を読むことでこの展覧会は完結する」みたいな挑発的なキャッチで宣伝されていた。 確かに視覚的な展示の裏側にある佐藤雅彦さんの心の動きが記されていて展覧会をしっかり補完していて、意味のある図録と思った。 展示を見た人はぜひ読んだほうが良いだろう。展示だけでは分からない発想の生まれた瞬間などがしっかり明文化されている。 発想の生まれた瞬間に「きてる」みたいな言葉を使うなど、マリックとかフジテレビ的なものを感じたが、直感に従うということを意識的にやっており、そういう選択を間違わなかった人なのだなと思う。 CMの本質は商品の本質を捉えること、みたいなことを言ってる割には、企業名と商品名とコピーを短時間に印象的に繰り返す方法論みたいなものを自慢げに語ったり、なかなかおおらかだなと思った。
- 2025年9月1日H・P・ラヴクラフトスティーヴン・キング,ミシェル・ウエルベック,星埜守之ミシェルウェルベックの処女作らしいが、これが何故かHPラヴクラフトの評論。ラヴクラフト好きとして読むか、ウェルベックの処女作として読むかで、少し切り口は変わるが、ラヴクラフト好きは読んでおくと良い本でしょう。 近年、映画や小説などの世界ではクトゥルー神話をベースにしたものがよくみられるが、ラヴクラフト自身も大変に興味深い人物で、生前は全く売れることもなく若くして亡くなっている。 おどろおどろしい世界観や神話体系を創作しつつ、二次創作を広く受け入れる態度、膨大な書簡など、現代的な視点を持っていたが、人種主義者で恋愛や金銭的な価値観からは一定の距離をおいて、困窮しながらも後世に伝えられる作品を書いた。その概要がよく分かる評伝だった。 ラヴクラフトの往復書簡や二次創作への言及などについてはもう少し深掘りして調べてみたいと思った。
- 2025年8月16日日本写真史(下)鳥原学読み終わった1973年から2013年までの約40年間の日本における写真の動向を俯瞰的にまとめた本。元々の企画としてはこの辺りを新書でまとめよう、という話があり、そこを読み解くには前史が必要、ということになり上巻が書かれることになったらしい。 僕は1976年生まれなので、関連する一般史(ベルリンの壁崩壊、冷戦終結、ソ連解体、湾岸戦争、Windows95発売、阪神淡路震災、東日本大震災など)は大体体験してきた通りで、その中で雑誌ブームがあり、蜷川実花やヒロミックスとか川内倫子が出てきたみたいな感じだったので、その辺りを復習する感じで読んだ。 その時々の報道写真や、自然や動物を撮影したもの、ガーリーな写真などでエポックメイキングなものとか、あとはアートの世界で森村泰昌、杉本博司も紹介されていた。 一方、梅佳代、川島小鳥、浅田政志などは言及がなかった。そこまでは辿り着いていないという感じなのだろうか。 日本の写真の流れが上下巻で俯瞰できる良書でした。勉強になった。
- 2025年8月14日日本写真史(上)鳥原学読み終わった日本における写真の歴史を時系列で詳細にまとめている新書。江戸期から幕末、明治維新における写真技術の日本での受容から、明治大正を経て1970年台の高度経済成長期までの期間に、写真が記録や報道と関連してどのような変遷を追ってきたかを、その時代ごとの代表的な写真家と合わせて紹介していく。 日本の初期の写真はペリー来航と深い関係があった、と言うのは面白い話だし、その後、日清、日露、二つの対戦、朝鮮戦争やベトナム戦争、というものの報道が写真の受容に大きな意味を持っていた、ということが分かる構成になっている。 写真の開発国のフランスやその後、写真の中心となるアメリカでもクリミア戦争や南北戦争が写真の初期の活躍の場であったことを考えるとそれもその通りなのだろうと思う。 しかし、日本では藤田嗣治、宮本三郎、熊谷守一なども従軍させて戦争記録画を描かせたわけだが、そこで写真と絵画の棲み分けを大本営がどのように捉えていたかについてはもう少し詳細に調べてみたい。 戦後には編集者、デザイナーと写真家が組んでフォトルポルタージュなどでセンセーショナルなものを発表するのが職業カメラマンの大きな苦れとなるわけで、全然戦後ではその辺りがベテランカメラマンと新人カメラマンの軋轢となり、そこに論争が生まれ表現が深まっていくわけだが、そういう在りし日の論争についても流れや文脈を知れて大変勉強になった。 名取洋之助、土門拳、木村伊兵衛、石元泰博、奈良原一高、東松照明、森山大道、中平卓馬などの理論や実践の文脈が簡潔にまとめられているし、それと合わせて、亀倉雄策、原弘、などグラフ誌で共に仕事をしたデザイナーなどの名前も聞き覚えのある人たちで、面白いエピソードもあり、大変勉強になった。 下巻がどうなるか非常に楽しみだ。
- 2025年8月13日旅する画家 藤田嗣治林洋子読み終わった旅をテーマに藤田嗣治の一生をコンパクトにまとめたムック本。藤田嗣治の足跡を分かりやすく辿ることができる。その時々の代表的な作品も大きく鮮明な写真で掲載されているため、藤田の作風の変化を捉えやすい。 エコールドパリ時代と戦争画の頃では藤田の画風はかなり異なっているが、その変化がどのように現れてきたかを知るには最適の本と感じた。 藤田は第二次大戦直前くらいには群像による構想画(ミケランジェロとかみたいな感じ)を試行した作品をいろいろ書いていて、その頃には白人女性の裸婦だけではなく、多様な人種を割とがっちり、多少マニエリスム的に描く傾向を持っていた。 そういった画風が秋田の行事や戦争画に結びついていったのだと感じる。 また、戦時中の藤田の足跡を丁寧に追っているのも好印象。記録はしっかり残っていたと思うが、よく調べたな、と思う。 アメリカに押収され1970年に永久貸与の形で東近美に収蔵された戦争記録画は153点。そのうち14点が藤田の作品と考えると、藤田にとっては戦争画は壮年期に集中して大作を描いた画題と言えるのだろう。 年表などもあり、読みやすい、しっかりしたムック本でした。
- 2025年8月13日明るい部屋新装ロラン・バルト,花輪光現代のフランスを代表する記号学者、哲学者による写真論。写真論と言っても写真表現のあり方などを論じているのではなく、ある特定の時間、特定の風景や人物を捉えた写真という現象をエクリチュール的に記号として読み解くというアプローチ。 写真に写された情景が、撮影者の意図などを超えて、単に物質としては過去の定着という意味の死を代弁する、という切り口から、具体的な表層“見えているもの)をストディウム、そこから見る人が感じ取るプンクトゥムという二つの概念を分けて考えていく。 プンクトゥムというのは、ベンヤミンの言うアウラのようなものだと思う。写真から鑑賞者が個人的に感じ取る何らかの郷愁などの感情的な享受のようなもので、それは写真が時間の中で演劇的に持ちうるもの、というような解釈なようだ。 ここはなるほどと思う。僕などは置いてきたものが多いので学生時代の写真などあえてみたいとは思わないが、それはつまり自分が感じ取るであろうプンクトゥムに煩わしさを感じているからなのかもしれない。 写真撮ったり、それを見返したりするときに心に発生する感情を丁寧に改題している本。写真というものは本当に面白い発明だと感じる。
- 2025年8月9日複製技術時代の芸術ヴァルター・ベンヤミン,佐々木基一読み終わった1936年の著作。写真や映画というものが発明され、それまでの絵画や演劇とは異なるベクトルの芸術表現として世の中に定着されつつあった時代。 映画や写真は複製される大量生産が可能な表現媒体であるため、元々の絵画や演劇にあった一回生の芸術やオリジナルの作品一点だけが持ち得た、作品固有の芸術の本質的な核となる「アウラ」が失われていくという問題意識のもとに論じている本。 それから約100年が経ち、今ではむしろAIが作成した作品にアウラが宿るかどうか、という点が争点になっている気がしました。 社会の変遷期に哲学がどういうことを扱っていたのか、ということを考えることのできる本でした。
- 2025年8月5日ラーメンと瞑想宇野常寛編集者・評論家の宇野常寛のエッセイ(?)。宇野さんは知り合いの編集者のTさんと早朝のジョギングをしてはその後に瞑想をして、その後、昼食を共にする。その中で交わされた対話やお互いの変化が記されている。 『ラーメンと瞑想』というタイトルだが、ラーメンの方はラーメン以外の場合もある。トンカツや立ち食いそば、回転寿司など、高田馬場を中心にしたお店に2人は果敢にチャレンジしていく。 この本、大変不思議な構成になっている。趣味や性格のそれなりに異なる40代後半の男性2人が、なかなか難解な哲学的対話を交わしながら、美味しいものを食べる、ということが永遠に繰り返されるのだ。 このTという人間が本当に実在するかは不明だが、僕が高田馬場に住んでおり、店や地名が本当に僕の近所にあるものに集中しているので、行動範囲も近いと思われて、非常な親近感を抱いている。 フェミニズムなどで女性の権利などについて細かく語られることは増えたが、それでは40代男性についてはどうなのか。そういうことについてほのかに考えさせる内容だった。 宇野常寛さんの著書『庭の話』と合わせて読むと色々発見があるはずだ。このTさんというのは宇野常寛さんにとっては自信を写す鏡のような存在でもあるのだろう。スタイルに拘泥する頑迷さからTさんが脱して、心身が本来の人間に近づいていく過程が前向きにも語られている。 「お父さんはいつから中二病になったの?」と娘に聞かれるなど、僕も人ごとでないキラーフレーズがあった。ちょっと変わった問答集のようにも読める、不思議に哲学的な内容。激しくおすすめです。
- 2025年8月3日ジョン・デューイ上野正道現代アメリカを代表する哲学者、教育学者ジョンデューイの90年以上にわたる生涯の研究の全体像をざっくりと分かりやすく紹介してくれる本。 プラグマティズム的に体験や経験を重視する教育の理論と実践を大きな規模で体現していた知の巨人のような人。アクティブラーニングや探求的な学び、対話的な学び、クリティカルシンキングやワークショップ、シティズンシップ教育など、現代的な日本の教育が取り入れ始めている切り口を20世紀からアメリカの教育に取り入れてきた、その過程が詳しく紹介されている。 1951年没なので第一次大戦、世界恐慌、第二次大戦などを経て、ソビエトの教育などにも関与した事例が時系列で紹介されていて、大変面白かった。 弟子筋のリチャードローティの話なども、今後の宿題として読んでいきたい。
- 2025年7月20日カラー版 世界写真史飯沢耕太郎19世紀前半に開発されたカメラ。カメラが捉える写真には記録的な側面と芸術的な側面がある。記録性と表現性が写真技術の発展、社会の変化などとどのように関連してきたのかが、分かりやすく整理されている本。 時代時代のおさえておくべき作品が図版としてしっかり掲載されているので、直感的に分かりやすい。少し古い本なのでデジタルやSNS時代の写真論まではカバーできていないが、基本はこれでおさえられる。カルチャーとしての写真に興味のある方はまずはここから、という一冊。
- 2025年7月20日写真論スーザン・ソンタグ,近藤耕人読み終わった写真について述べた論考では古典的名作と言われている本。1977発行。日本語訳は初版1979年とのこと。 今、生成AIが急激に発展して、人の仕事を奪いつつある。それは、カメラや写真が発明された19世紀にも芸術や美術などの表現分野で同様なことが起きていたのかもしれないと感じて、写真のことを調べている。 この本はある程度写真の歴史的な知識が求められるので、少し敷居は高いが、芸術としての写真と記録としての写真の違いや、写真自体が持つアウラとはどういうものなのか、被写体と写真の芸術性の関係などといった切り口について、述べている。 ダゲール、ニエプス、タルボットなどの開発者から、初期の写真家して、スティーグリッツ、ブレッソン、ウェストン、ロバートフランクなどが図版のない形で紹介されているので、彼らがどういった写真を撮ってきたか、くらいは頭に入っていないと、読み進めるのは難しいだろう。 美術出版の『世界写真史』を事前に読んでおいたので、なんとか追いつくことができた。 写真史的な部分は基礎知識としてある程度知っていないと理解し難いが、基本はアートの世界で写真をどのように芸術として確立されていたのかの方に比重が重く、報道写真の流れで、キャパなどにはあまり触れられていなかったので、それについては別の本をチェックしたい。 なかなか手強い本だが、読んでいて勉強になった。
- 2025年7月15日ひとりあそびの教科書宇野常寛読み終わった河出書房の「14歳の世渡り術」というシリーズのうちの一冊。未来が見えない今だから考える力を鍛えたい、というキャッチフレーズで、現代的な切り口の世渡り術を紹介してくれている。 この本では評論家の宇野常寛さんが、ランニングや虫捕り、旅、コレクション、ゲームなどの切り口で一人の時間を充実させる方法を紹介している。 中学生〜高校生をターゲットに語りかけるような文体で書かれているので、親しみやすい。学校の体育が嫌いだったとか、仕事での飲み会が大嫌いとか、文型オタク気質の人が共感できるような自分語りが共感を呼ぶ。 他人の評価をSNS上のプラットフォームでやり取りすることに夢中になることがエスカレートすると、人の悪口ばかりが無限に増殖していく現代社会。 その不健全さに警鐘を鳴らし、自分と向き合うことで自分を自分で承認できるようになることが、ひとり遊びのススメと言えるのだろう。 YouTubeの配信ではこの著者が40代の孤独との向き合い方、みたいな話をしているものも聞いた。その孤独は僕(48歳)も実感しており、共同体幻想みたいなことではなく、孤独に生きることをエンジョイできるように人間関係を設計する大切さも感じた。そういうこともあって読書は大切にしていきたい。
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