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勝村巌
@katsumura
  • 2025年8月16日
    日本写真史(下)
    1973年から2013年までの約40年間の日本における写真の動向を俯瞰的にまとめた本。元々の企画としてはこの辺りを新書でまとめよう、という話があり、そこを読み解くには前史が必要、ということになり上巻が書かれることになったらしい。 僕は1976年生まれなので、関連する一般史(ベルリンの壁崩壊、冷戦終結、ソ連解体、湾岸戦争、Windows95発売、阪神淡路震災、東日本大震災など)は大体体験してきた通りで、その中で雑誌ブームがあり、蜷川実花やヒロミックスとか川内倫子が出てきたみたいな感じだったので、その辺りを復習する感じで読んだ。 その時々の報道写真や、自然や動物を撮影したもの、ガーリーな写真などでエポックメイキングなものとか、あとはアートの世界で森村泰昌、杉本博司も紹介されていた。 一方、梅佳代、川島小鳥、浅田政志などは言及がなかった。そこまでは辿り着いていないという感じなのだろうか。 日本の写真の流れが上下巻で俯瞰できる良書でした。勉強になった。
  • 2025年8月14日
    日本写真史(上)
    日本における写真の歴史を時系列で詳細にまとめている新書。江戸期から幕末、明治維新における写真技術の日本での受容から、明治大正を経て1970年台の高度経済成長期までの期間に、写真が記録や報道と関連してどのような変遷を追ってきたかを、その時代ごとの代表的な写真家と合わせて紹介していく。 日本の初期の写真はペリー来航と深い関係があった、と言うのは面白い話だし、その後、日清、日露、二つの対戦、朝鮮戦争やベトナム戦争、というものの報道が写真の受容に大きな意味を持っていた、ということが分かる構成になっている。 写真の開発国のフランスやその後、写真の中心となるアメリカでもクリミア戦争や南北戦争が写真の初期の活躍の場であったことを考えるとそれもその通りなのだろうと思う。 しかし、日本では藤田嗣治、宮本三郎、熊谷守一なども従軍させて戦争記録画を描かせたわけだが、そこで写真と絵画の棲み分けを大本営がどのように捉えていたかについてはもう少し詳細に調べてみたい。 戦後には編集者、デザイナーと写真家が組んでフォトルポルタージュなどでセンセーショナルなものを発表するのが職業カメラマンの大きな苦れとなるわけで、全然戦後ではその辺りがベテランカメラマンと新人カメラマンの軋轢となり、そこに論争が生まれ表現が深まっていくわけだが、そういう在りし日の論争についても流れや文脈を知れて大変勉強になった。 名取洋之助、土門拳、木村伊兵衛、石元泰博、奈良原一高、東松照明、森山大道、中平卓馬などの理論や実践の文脈が簡潔にまとめられているし、それと合わせて、亀倉雄策、原弘、などグラフ誌で共に仕事をしたデザイナーなどの名前も聞き覚えのある人たちで、面白いエピソードもあり、大変勉強になった。 下巻がどうなるか非常に楽しみだ。
  • 2025年8月13日
    旅する画家 藤田嗣治
    旅をテーマに藤田嗣治の一生をコンパクトにまとめたムック本。藤田嗣治の足跡を分かりやすく辿ることができる。その時々の代表的な作品も大きく鮮明な写真で掲載されているため、藤田の作風の変化を捉えやすい。 エコールドパリ時代と戦争画の頃では藤田の画風はかなり異なっているが、その変化がどのように現れてきたかを知るには最適の本と感じた。 藤田は第二次大戦直前くらいには群像による構想画(ミケランジェロとかみたいな感じ)を試行した作品をいろいろ書いていて、その頃には白人女性の裸婦だけではなく、多様な人種を割とがっちり、多少マニエリスム的に描く傾向を持っていた。 そういった画風が秋田の行事や戦争画に結びついていったのだと感じる。 また、戦時中の藤田の足跡を丁寧に追っているのも好印象。記録はしっかり残っていたと思うが、よく調べたな、と思う。 アメリカに押収され1970年に永久貸与の形で東近美に収蔵された戦争記録画は153点。そのうち14点が藤田の作品と考えると、藤田にとっては戦争画は壮年期に集中して大作を描いた画題と言えるのだろう。 年表などもあり、読みやすい、しっかりしたムック本でした。
  • 2025年8月13日
    明るい部屋新装
    明るい部屋新装
    現代のフランスを代表する記号学者、哲学者による写真論。写真論と言っても写真表現のあり方などを論じているのではなく、ある特定の時間、特定の風景や人物を捉えた写真という現象をエクリチュール的に記号として読み解くというアプローチ。 写真に写された情景が、撮影者の意図などを超えて、単に物質としては過去の定着という意味の死を代弁する、という切り口から、具体的な表層“見えているもの)をストディウム、そこから見る人が感じ取るプンクトゥムという二つの概念を分けて考えていく。 プンクトゥムというのは、ベンヤミンの言うアウラのようなものだと思う。写真から鑑賞者が個人的に感じ取る何らかの郷愁などの感情的な享受のようなもので、それは写真が時間の中で演劇的に持ちうるもの、というような解釈なようだ。 ここはなるほどと思う。僕などは置いてきたものが多いので学生時代の写真などあえてみたいとは思わないが、それはつまり自分が感じ取るであろうプンクトゥムに煩わしさを感じているからなのかもしれない。 写真撮ったり、それを見返したりするときに心に発生する感情を丁寧に改題している本。写真というものは本当に面白い発明だと感じる。
  • 2025年8月9日
    複製技術時代の芸術
    複製技術時代の芸術
    1936年の著作。写真や映画というものが発明され、それまでの絵画や演劇とは異なるベクトルの芸術表現として世の中に定着されつつあった時代。 映画や写真は複製される大量生産が可能な表現媒体であるため、元々の絵画や演劇にあった一回生の芸術やオリジナルの作品一点だけが持ち得た、作品固有の芸術の本質的な核となる「アウラ」が失われていくという問題意識のもとに論じている本。 それから約100年が経ち、今ではむしろAIが作成した作品にアウラが宿るかどうか、という点が争点になっている気がしました。 社会の変遷期に哲学がどういうことを扱っていたのか、ということを考えることのできる本でした。
  • 2025年8月5日
    ラーメンと瞑想
    編集者・評論家の宇野常寛のエッセイ(?)。宇野さんは知り合いの編集者のTさんと早朝のジョギングをしてはその後に瞑想をして、その後、昼食を共にする。その中で交わされた対話やお互いの変化が記されている。 『ラーメンと瞑想』というタイトルだが、ラーメンの方はラーメン以外の場合もある。トンカツや立ち食いそば、回転寿司など、高田馬場を中心にしたお店に2人は果敢にチャレンジしていく。 この本、大変不思議な構成になっている。趣味や性格のそれなりに異なる40代後半の男性2人が、なかなか難解な哲学的対話を交わしながら、美味しいものを食べる、ということが永遠に繰り返されるのだ。 このTという人間が本当に実在するかは不明だが、僕が高田馬場に住んでおり、店や地名が本当に僕の近所にあるものに集中しているので、行動範囲も近いと思われて、非常な親近感を抱いている。 フェミニズムなどで女性の権利などについて細かく語られることは増えたが、それでは40代男性についてはどうなのか。そういうことについてほのかに考えさせる内容だった。 宇野常寛さんの著書『庭の話』と合わせて読むと色々発見があるはずだ。このTさんというのは宇野常寛さんにとっては自信を写す鏡のような存在でもあるのだろう。スタイルに拘泥する頑迷さからTさんが脱して、心身が本来の人間に近づいていく過程が前向きにも語られている。 「お父さんはいつから中二病になったの?」と娘に聞かれるなど、僕も人ごとでないキラーフレーズがあった。ちょっと変わった問答集のようにも読める、不思議に哲学的な内容。激しくおすすめです。
  • 2025年8月3日
    ジョン・デューイ
    現代アメリカを代表する哲学者、教育学者ジョンデューイの90年以上にわたる生涯の研究の全体像をざっくりと分かりやすく紹介してくれる本。 プラグマティズム的に体験や経験を重視する教育の理論と実践を大きな規模で体現していた知の巨人のような人。アクティブラーニングや探求的な学び、対話的な学び、クリティカルシンキングやワークショップ、シティズンシップ教育など、現代的な日本の教育が取り入れ始めている切り口を20世紀からアメリカの教育に取り入れてきた、その過程が詳しく紹介されている。 1951年没なので第一次大戦、世界恐慌、第二次大戦などを経て、ソビエトの教育などにも関与した事例が時系列で紹介されていて、大変面白かった。 弟子筋のリチャードローティの話なども、今後の宿題として読んでいきたい。
  • 2025年7月20日
    カラー版 世界写真史
    19世紀前半に開発されたカメラ。カメラが捉える写真には記録的な側面と芸術的な側面がある。記録性と表現性が写真技術の発展、社会の変化などとどのように関連してきたのかが、分かりやすく整理されている本。 時代時代のおさえておくべき作品が図版としてしっかり掲載されているので、直感的に分かりやすい。少し古い本なのでデジタルやSNS時代の写真論まではカバーできていないが、基本はこれでおさえられる。カルチャーとしての写真に興味のある方はまずはここから、という一冊。
  • 2025年7月20日
    写真論
    写真論
    写真について述べた論考では古典的名作と言われている本。1977発行。日本語訳は初版1979年とのこと。 今、生成AIが急激に発展して、人の仕事を奪いつつある。それは、カメラや写真が発明された19世紀にも芸術や美術などの表現分野で同様なことが起きていたのかもしれないと感じて、写真のことを調べている。 この本はある程度写真の歴史的な知識が求められるので、少し敷居は高いが、芸術としての写真と記録としての写真の違いや、写真自体が持つアウラとはどういうものなのか、被写体と写真の芸術性の関係などといった切り口について、述べている。 ダゲール、ニエプス、タルボットなどの開発者から、初期の写真家して、スティーグリッツ、ブレッソン、ウェストン、ロバートフランクなどが図版のない形で紹介されているので、彼らがどういった写真を撮ってきたか、くらいは頭に入っていないと、読み進めるのは難しいだろう。 美術出版の『世界写真史』を事前に読んでおいたので、なんとか追いつくことができた。 写真史的な部分は基礎知識としてある程度知っていないと理解し難いが、基本はアートの世界で写真をどのように芸術として確立されていたのかの方に比重が重く、報道写真の流れで、キャパなどにはあまり触れられていなかったので、それについては別の本をチェックしたい。 なかなか手強い本だが、読んでいて勉強になった。
  • 2025年7月15日
    ひとりあそびの教科書
    河出書房の「14歳の世渡り術」というシリーズのうちの一冊。未来が見えない今だから考える力を鍛えたい、というキャッチフレーズで、現代的な切り口の世渡り術を紹介してくれている。 この本では評論家の宇野常寛さんが、ランニングや虫捕り、旅、コレクション、ゲームなどの切り口で一人の時間を充実させる方法を紹介している。 中学生〜高校生をターゲットに語りかけるような文体で書かれているので、親しみやすい。学校の体育が嫌いだったとか、仕事での飲み会が大嫌いとか、文型オタク気質の人が共感できるような自分語りが共感を呼ぶ。 他人の評価をSNS上のプラットフォームでやり取りすることに夢中になることがエスカレートすると、人の悪口ばかりが無限に増殖していく現代社会。 その不健全さに警鐘を鳴らし、自分と向き合うことで自分を自分で承認できるようになることが、ひとり遊びのススメと言えるのだろう。 YouTubeの配信ではこの著者が40代の孤独との向き合い方、みたいな話をしているものも聞いた。その孤独は僕(48歳)も実感しており、共同体幻想みたいなことではなく、孤独に生きることをエンジョイできるように人間関係を設計する大切さも感じた。そういうこともあって読書は大切にしていきたい。
  • 2025年7月15日
    人生のレールを外れる衝動のみつけかた
    何かを行うときに、それをやめられない、またはやらずにはおられない、やむに止まれぬ心持ちである「衝動」について、掘り下げている書籍。 異端と言われようと命をかけて地動説を研究する人々を描いたマンガ作品『チ。」などを例に読み解いていく。 美術の世界では衝動に導かれた作品というものに出会うことがある。また根本敬の言うところの「でもやるんだよ」精神の成り立ちを読み解いているようだった。 途中、少し回りくどいところやこじつけに感じたところもあったが、「取り憑かれてしまう」という点で衝動を幽霊のメタファーで論じているのは面白かった。
  • 2025年7月13日
    私たちと情報 情報社会探究編
    私たちと情報 情報社会探究編
    小学生向けの情報活用のテキスト。一つ前にレポートした「わたしたちとじょうほう」の続刊。こちらはタイトルが漢字になっている。「わたしたちと〜」は3、4年、こちらの『私たちと〜』は5、6年に対応している。 こちらは探求型学習の切り口を示しており、情報を収集したものをどのように集約し理解を深めてプレゼンするか、というところまでを扱っている。 身の回りのコンピュータについて調べたり、キャッシュレス決済や、インターネットの光と影など、一般的に理解しやすい内容が示されて、それをプレゼンするためにポスターを作ったり実際に発表するときの心構えや気をつけることなどが記されている。 非常に教科書的で面白いものではないが、必要な情報がわかりやすく整理されている本だとは感じた。 ただ、会話が続くところなどは情報科らしくLINEのような感じで対話するそれぞれのアイコンを左右に散らせたりするなど、もう少し情報科らしいレイアウトの工夫はできる気がする。 オッサンが限られた予算の中でなんとか作った資料みたいなところが全体として拭えず、子供の発言もロボっぽくて少し気持ち悪い。
  • 2025年7月13日
    わたしたちとじょうほう 情報活用スキル編
    わたしたちとじょうほう 情報活用スキル編
    小学生向けに情報活用を分かりやすく伝えることを目的としたテキスト。高校からは情報科という昭和世代は受けたことのない科目が新設されているが、そのベーシックなところで、この辺りを理解しておこう、という内容。 大変教科書っぽい作りで、それなりに読みにくいが、こういうことを今の小学生は学ぶのか、というところが知れて良かった。
  • 2025年7月13日
    黒人音楽史 奇想の宇宙
    黒人音楽の歴史を、奇想的な側面から読み解いた良書。めちゃくちゃ面白かった。 アメリカにおけるポピュラー音楽の歴史を黒人史観で解読していくというもの。黒人霊歌に始まり、ブルース、ジャズ、ファンク、ヒップホップを奇想という切り口でマニアックに掘り上げていくスリリングな構成だった。 特に黒人霊歌には、脱走黒人のための逃げ道レジスタントのための道標となる暗号が込められている、という地下鉄道の話は真のアンダーグラウンドな話で大変驚きだった。 そのほかにもブルースにおける動植物モチーフの奇想、フリージャズにおけるアルバートアイラー、サンラーの奇想、ファンクにおけるジョージクリントンとミンストレルショーの関係、ヒップホップにおける、ホラーコアというサブジャンルなど、知っていることと知らないことが綴織になっており大変、興味深かった。 黒人音楽好きは、ぜひ一読をオススメする。
  • 2025年7月10日
    僕に踏まれた町と僕が踏まれた町
    中島らもが三宮、灘高で落ちこぼれて浪人となり大阪芸大に入った頃の青春期の思い出を文庫本2ページずつの短いエッセイで綴った本。三島の割腹自殺とか東大紛争とかそういう時代のフーテンやらヒッピーやらの奇人たちとの儚いメモリーの数々が、愛おしさと共に描かれている。思い出はいつも儚い。その思い出が輝かしいものであればなおさら。今はもう誰もいなくなってしまった。そういう祭りの後の感じを振り返る切ない読後感がたまらない。いい本でした。
  • 2025年7月8日
    「山田五郎 オトナの教養講座」 世界一やばい西洋絵画の見方入門3
    1巻、2巻と読んできた山田五郎のYouTube番組からの抜粋本。過去巻で大まかな美術史の流れが見えてきているので、それなりにマニアックな内容が紹介されていて面白い。 この第3巻では日本の近代の画家や最近のオークションでの高額取引作品が値段とともに紹介されていて興味深かった。絵画の値段のことって、興味あるけどなんとなく知らないことが多いので面白いと感じた。
  • 2025年7月8日
    藤本壮介建築への思索
    藤本壮介建築への思索
    2025大阪万博の大屋根リングを設計した藤本壮介へのインタビュー集。2019年初版なので万博の話は出てきていないが、現代の建築に関する話や大規模建築の大きなプレゼンの話などが述べられていて興味深い。
  • 2025年7月8日
    「山田五郎 オトナの教養講座」 世界一やばい西洋絵画の見方入門 2
    山田五郎の『オトナの教養講座』の抜粋本の第二巻。QRコードがついててYouTubeと接続しているのもとても良い。視点も斬新なものがあり、贋作について詳しく紹介してくれているのが新鮮。
  • 2025年7月8日
    「山田五郎 オトナの教養講座」 世界一やばい西洋絵画の見方入門
    山田五郎のYouTube番組『大人の教養講座』の内容を抽出して本にしたもの。作家を中心に作風を語っていく形式なのでとてもわかりやすい。
  • 2025年7月6日
    庭の話
    庭の話
    ちょっと何が書いてあるのかほとんどよく分からなかったが一通りは通読した、という感じ。 SNSなどのプラットフォームの中での承認ゲームから逃れるためには、いわゆる共同体ではなく、もうちょっと個人個人が孤独でいられる場、が必要なのではないか。そういう場所として「庭」という概念を提唱していた。國分功一郎の『暇と退屈の倫理学』や『中動態の世界』なども引用されていた。これらの本も今一度、読み解く必要がありそうだ。 高円寺の小杉湯の例があって、そういうところが宇野常寛の考える「庭」に近いところらしい。ただ、それが小杉湯的な場所なのか、それとも銭湯全般を指しているかがよく分からなかった。 最後にアーレントの「労働」「制作」「行為」の「制作」へのモチベーションを取り戻すことの大切さを語っているところは、ぼんやり共感できた。 もうちょっと理解したいので、解説動画など探してみよう。
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