勝村巌
@katsumura
- 2025年11月24日
読み終わった大塚英志の新刊。新書だが470ページとかある大部。とはいえ、内容は非常にエキサイティングで大変面白く、結構時間を忘れて読んだ。 1930年代にエイゼンシュテインが自身の映画技術であるモンタージュ論を日本の伝統表現と結び付けた評論がキネ旬により日本に紹介されたことをきっかけにこ、日本的🟰モンタージュという概念が市井にも広がった。 モンタージュは映像表現におけるカットと時系列のカットアップによる演出方法だが、それはロシア構成主義などによる平面のグラフモンタージュとも関連していく。 1937年のウィーン万博には日本も出展しており、これは日本国としては公式初参加の万博だが、そこには金のシャチホコなどと一緒に、観光日本と称された、高さ2.35m、長さ18mに及ぶ写真壁画が展示されていたという。 これは大仏や芸者などをあしらったフォトモンタージュ作品だったが、そういうものが展示された経緯や、その後、戦時下にプロパガンダとして国策で作られたグラフ誌「front』などの成立やピープルツリーを細かく紹介し、戦時下のプロパガンダとグラフモンタージュなどがどのように成立していったかを解説している。 そもそも、僕は美術教科書の編集の仕事をしているわけですが、自分の問題意識として、この美術教科書のレイアウトの形式ってどこからきたのか、意識したことはなかったのですが、なんかそれを想像させてくれるような資料的側面が強く、大変に惹きつけられました。 戦中のプロパガンダ誌には原弘とか名取洋之助とか木村伊兵衛、土門拳なんかも絡んでいるわけですが、それ以前には日本にはいわゆる雑誌などはなかったわけで、この辺りが今の雑誌レイアウトに与えた影響は大きく、そのあたりの人たちは戦後も出版や写真の世界で生き残っていくわけなので、もしかしたら美術教科書の源流はここかもしれないな、などと考えさせられた。 社内にある古い教科書の関係者にこういう人らが入っているかどうかを少しリサーチしてみようかと思う。 それ以外にも柳田國男とか手塚治虫とかの話もあって、大変に勉強になりました。面白い本なので、オススメです。 - 2025年11月24日
- 2025年11月4日
読み終わった現代のインクルーシブ教育まで連綿と続く第二次大戦後から1980年までの「特別なニーズを持つ子ども」に対応する教育の歴史を調べた本。 占領下の日本に対して米国式の教育を導入させた第一次、第二次の米国使節団の報告書、日教組の「分けない教育」に関連する実践報告、文部省の中央教育審議会の答申や大阪府豊中中の実践報告などが細かく時系列で述べられている。 いわゆる障害児教育では可能な限り一般教室で障害のある子どもを包摂して分けない教育と養護学校に押し込めて分ける教育という2つの方向性があり、戦後直後は福祉制度が未分化だったこともあり分けない教育が志向され、高度経済成長とともに田中角栄内閣による1972年の「重度障害児の全員収容制度」の公約など分ける教育に舵取りがされたが、やがて普通教育から障害児を排除する意識への警鐘から、共同教育の機運が高まり、分けない教育に再び目が向けられた。 この本は1980年代頃までをカバーしているが、2024年の障害者差別解消法の施行など、社会でも広く多様性や共生的な社会が望まれている側面もあり、そういう点で「合理的配慮」の基本的な考え方に結びつく歴史が学べる本だった。 - 2025年11月3日
読み終わった同僚の大久保さんに差し入れてもらった音楽評論本。480ページもあるがスルスルと一晩で読んでしまった。 タイトルにある通りプログレッシブロックにまつわる音楽評論。ロッキングオンで1993年まで原稿を書いていたというので、それはちょうど僕の高2までとなり、ネットや携帯のない青森の田舎者だった僕がクロスビートなどと並んで数少ない洋楽の情報源としてロッキングオンを1番読んでいた頃なので、かなりデジャビュ感があった。 90年代の僕はかなり素朴なハードロック小僧だったが、当時のロッキングオンにはツェッペリンやクリムゾンの記事はまだまだ載っていた気がする。そんなものを何度も何度も読み返したものだ。 この本では2010年代以降のトリプルドラム期→2010年代後半のダブルカルテット期→ライブ引退にかけてのキングクリムゾンのメンバーやフリップの考えていたことが解釈されていて大変学びが多かった。 ロバートフリップという人はキングクリムゾンの音楽的なコンセプトをかなりしっかりした方向性を持って演出しているが、案外共演者たるメンバーによってやることやできることが制限されたり、大きく舵取りされる人なんだなと感じた。 特にライブバンドとして70年代の初期クリムゾンの古典的名曲を今のキングクリムゾンで再解釈/再演したあたりは、ビルリーフリンの存在が大きかったということがよく分かった。 また、70年代のクリムゾンの楽曲というのはほとんど演奏されることがなかったというのも、フリップの性格からするとそうであろうな、とは思うものの、それをしっかりやり切ることをクリムゾンでやり切る、というのはある種の答え合わせのようで素晴らしい。 『ポセイドンの目醒め』とか高校生の頃、故郷の八戸の寒い冬の間、布団の中でよく聞いたアルバムなので、その辺りが大変な技量で再演されているのを聞くのは大変まともな体験に思える。 『暗黒の世界』とか『レッド』の楽曲の最近のライブでの演奏も好きでよく聞いていたので、そういう背景に触れられたのも良かった。 それ以外ではデビットシルヴィアンの話やピンク・フロイド、ニナ・ハーゲンの話なども僕ら世代向けの真っ当に軽薄な文体の音楽評論という感じで大変に楽しめました。 この本を片手に記述されている音源を片っ端からアップルミュージックで聴けるなんて、大変な時代ですわな。 そういえば、最近新しい音楽に触れていないのは、詰まるところ音楽評論を読んでないから、という考えに至った。昔は文章で読んで妄想して音楽に触れる、という順番だったですね。そういえば。 今、49歳ですけど、同世代の方におすすめです。 - 2025年10月31日
- 2025年10月31日
羊をめぐる冒険(上)村上春樹読み終わった村上春樹の『羊をめぐる冒険』をオーディブルでフル視聴した。フル視聴という言葉はフルシチョフと韻が踏めるな。ソビエト的である。 朗読は染谷将太で非常に巧みな朗読でした。男性の声と女性の声を上手く語りわけていて、感心した。それ以外にも完璧な耳を持つ彼女や、黒いスーツの男、羊博士、指が3本しかないトルフィンホテルの支配人、運転手などをしっかり演じ分けていて、素晴らしかった。 いわゆるネズミ三部作の最終作である。ネズミ三部作ではピンボールのやつが1番好きなのですが、久しぶりに読み直し(聞き直し)してみたらこちらも趣があってよかった。 最近の技巧を感じさせないすっきりした成熟みのある村上春樹も良いが、この頃のある種の迷いみたいなものを抱えたぎこちなさも大変によい。 構成力みたいなものが少し弱いが、戦争とかその後の『ねじまき鳥クロニクル』に流れ着くモチーフがすでに出ているのも良い。 ホテルの中でエレベーターでどこかの間の階に止まるみたいな印象的なシーンがあったと思っていたが、なかった。それは『ダンスダンスダンス』の方だったのかもしれない。 レイモンドチャンドラーの構成や雰囲気を出そうとした、というインタビューがあるようだが、そういったハードボイルドな雰囲気はよく出ている。 あとは秋口から冬の北海道の感じが感じられて大変よかった。お話の中で会社をたたむ話が出ているが、これは同時期に村上春樹が自分の経営していたジャズバー「ピーターキャット」を専業作家になるために畳んだことが影響しているのかな。 久しぶりに読み返して(聞き返して)、色々発見もあった。同じ本を繰り返し読むのは楽しいな。 - 2025年10月27日
遊びと人間ロジェ・カイヨワ,塚崎幹夫,多田道太郎読み終わった1958年にフランスで出版され1971年に翻訳版として出版された講談社版の文庫である。「遊び」を分析した本。 先行書としてホイジンガの『ホモ・ルーデンス』やシラーの『人間の美的教育について』を置き、そこで語られる遊びについて、カイヨワなりの批判的な補足説明を行なっている。 カイヨワによると遊びは競争、運、模擬、眩暈の4つに分類され、それらの組み合わせによって読み解くことができるという。 これを起点に文明や文化の発達を考察していく、という内容。 例えば原始的な文明では仮面を被り超自然な神的なものを模擬した存在がイニシエーションなどの眩暈を伴う活動で集団をまとめているが、そこがギリシアやローマ的に発展していくと、集団の母数が増えるため、よりルール化され、競争や運などに支配されることで合理化されていく、みたいなことが書かれていた。 競争は自力本願、運は他力本願という側面を持ち、自由な遊びの中にも、結果に対してフェアな態度が求められる、というか結果的にそうならざるを得ない、というようなことが書かれていたり、非常に面白い視点の本だった。 特に遊びの要素の中に身体的な眩暈の観点が含まれているのが独創的に思った。ジェットコースターに乗ってクラクラしたり、犬が自分の尻尾を追いかけたりする、というような行動を根源的な遊びの表れとして位置付けている。 遊びは自由だがルールがないと成立しない、とか、そういう考えだけだと身体性が薄れる。純粋な自己破壊的なシミュレーションのような形での眩暈は僕もよくやった。 何もない一本道で目を瞑ってどこまで歩けるか、とか、自転車に乗っているのに目を瞑ったり、手放しでどこまで行けるかとか試してみたくなる気持ちは眩暈の希求だと思う。 それがなんだ、という話はあるが、そういう事象が文明論にまつわる感じでスケール大きめに語られている。 少し時間は掛かるが、興味のある人は読んでみてください。 - 2025年10月27日
東京奇譚集村上春樹読み終わったAmazonオーディブルにあるイッセー尾形の朗読で聞いた。品川猿の話が好きで突然聞きたくなって聞いたら、面白かったので、全編聴いてしまった。 品川猿以外には、ゲイのピアノ調律士がひょんな偶然から仲違いしていた姉と仲直りする話、自分にとって本当に大切な女性と出会う話、高層マンションの26階から行方不明になった男の行方を探す探偵の話、サメに足を食いちぎられて死んだ息子がいる母親の話などが含まれている。 品川猿と大抵の話が個人的には好きである。 - 2025年10月12日
戦争とデザイン松田行正読み終わった戦争におけるデザイン、特に配色、シンボル、言葉の使い分けについて細かく解説してくれる本。初版は2022年の7月。プーチン・ロシアによるウクライナ侵攻の直後に書かれた論考がメインなので、第二次対戦中のナチスドイツの、デザインの話をしていても、どうしてもウクライナ戦争に話題が惹かれていってしまうような印象があった。 古くは十字軍の頃からキリスト教とイスラム教の間での戦いではお互いを認識できるように配色が工夫されていたとか、そういう話が続く。 また星のマークは識別のデザインとしてよく使われるが、形はともかく色で認識していたとか、ナチスの鉤十字をスワスチカと呼ぶのはなぜかとか、ユダヤ教のダビデの星についての話とか、さまざまなシンボルの由来やら使い方や受け入れられ方などが様々に語られていて興味深い。 とはいえ筆者の興味の赴くところなので、第二次大戦のナチスドイツが中心的に語られているので、網羅的ではない。 たとえば日本の戦国時代の旗印に関する言及などもあまりない。 戦争とデザインというタイトルではあるが、現在のウクライナ戦争に対する反対の気持ちが強く、その辺りのジャーナリズム的な言及がむしろ内容の大きな部分を占めているように感じた。 - 2025年10月11日
夜になるまえにレイナルド・アレナス,Reinaldo Arenas,安藤哲行読み終わった(注意:ちょっと性的な表現があります) 1943年生まれ、キューバ出身の作家レイナルドアレナスが1990年にエイズで自死する前に、亡命先のニューヨークで書き上げた自伝的小説。キューバ革命の真っ只中でホモセクシュアルとして青春を過ごした作家の人生が凝縮して描かれている。 幼少期の記憶は朧げなところもあるのか、多少マジックリアリズム的な筆致だが、長ずるにつれて非常にリアリズムで妥協のない世界へ突入していく。 キューバ革命を経て成立したカストロ政権による、文学者や芸術家への弾圧と相互監視的な政策とその内情がほぼ実名で暴露されている。 ガルシア・マルケスなどはアレナスから見ると政権御用達作家でノーベル文学賞は獲ったものの、いかほどなものか、という感じ。他にもバルガスリョサとかボルヘスについても実名で言及あり。 自分が捉えていた評価とのズレに当事者性と視点というものについて考えさせられる。 また、若く反体制的な文学者が捕縛され拷問を受けて転向し、周囲の仲間を巻き込んで衆目の中で、団体的に総括させられる場面などは痛々しくて読んではおれない残酷さだった。しかし、そういうことがあったのだろう。現実はディストピア的だ。 また、夜景国家的社会主義政権下でのホモセクシャルのあり方もかなり赤裸々に描かれている。 社会は真っ暗だがホントに当時のキューバンホモセクシャルは奔放だな! という感じで、公衆トイレといえばハッテンするし、長距離バスの中とかチャットでも男と長時間一緒になるシチュエーションが来るとペニをしゃぶりまくるという有様。 本当にこんなに奔放にできるのかな? 性的快楽に対する文化の違いを思い知らされるが、まさに背徳、という感じで素晴らしい。 亡命後のニューヨークで、現地のホモセクシャルは細分化されており、原始的パワーに貧する、みたいな批判を繰り広げたりしており、そこは正直なところなのだろうな、と思った。海を越えると文化も違うというわけで。 ホモセクシャルの表現については、色々な愛の形があることは分かるが、そこにあったと思われるロマンス的な心情の昂りは直接的には描かれていない感じがして、面白かった。愛の感覚が欠如している感じ。ないわけではないのだが。 それは自伝的な小説なので、それぞれの人たちへの配慮なのだろうか。肉体的快楽、事象としてのセックスが描かれるのみなに感じた。しかし、それは僕の読み込みの浅さかもしれない。読まれた方の意見を聞きたい。 個人的にはヘンリーミラーの『南回帰線』や『北回帰線』、ジャックケルアックの『路上』とかを読んだ時の読後感。素晴らしく好みの小説。こういうのばかり読みたい。自由に生きることを希求し、そう生きた人だけが描ける小説だと思った。 素晴らしい本なので、今の世の中を生きる人にはあまねく読んでもらいたい。 - 2025年10月7日
宗教とデザイン松田行正読み終わったキリスト教、イスラム教、仏教の三つの宗教がその成立過程からどのように形や色を活用してきたかについてを包括的に扱っている本。 いろんなところで読んだ本などで得た僕にとっての既習事項が総合的な知の力によって構成されているように感じた。 物事ってこういうふうに結びつくのか〜という感じ。マレーヴィチの黒い四角形が、究極の偶像表現だ、みたいな近現代美術の切り口もしっかり入っていて素晴らしいと思った。 松岡正剛さんからの引用も多かったので、こういう学際的な領域を攻める人たちにとっての巨人はやはり松岡さんなのかもしれない。一度お会いしていろいろ聞いてみたかったです。 車のマツダあるじゃないですか、あれってアルファベットではMAZDAですけど、その表記はゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダー(Ahura Mazdā)から来ているんだって。というのもアフラ・マズダーは光明神なのでエジソンじゃない方のイギリスのゼネラルエレクトリックカンパニーが自社の作った電球をMAZDAと命名してたので、マツダがアメリカ進出するときに、アメリカ人にも読みやすいようにその表記を採用したからなんだって。こういう話は面白いですよね。 なんかいろんなところで役に立つおもしろ知識が満載でした。『戦争とデザイン』という先行書もあるようなので、それも読むつもり。 いい本でした。おすすめです。 - 2025年9月28日
眼の冒険松田行正読み終わったすでに休刊となっている隔月誌『デザインの現場』にて連載されていた松田行正さんの原稿をまとめたもの。 編集や書籍デザインなどの印刷文化に携わっている諸兄には必読を強くお勧めする本だ。 書名の『眼の冒険』というだけあって、印刷される図案について、広く社会的文化的な分析を行っている。 しかも新書などのように何か大きなテーマや目的があるわけではなく、図案に関連するものであればなんでも百科事典的に取り扱うため、古今東西の様々な文化についてなにかと広く触れている感じがあり、面白い。 相似的な図版や形を世界中から集めてみると科学や歴史などに不思議な関連が現れる、という話とか、最近、映画で話題のレッドツェッペリンの4枚目のアルバムに描かれた4つのシンボルの話とか、日本の初の活版印刷機は天正遣欧少年使節が持ち帰っただとか、世界初の大学はパリ大学で、そこでは研究者はスコラと呼ばれ、主キリスト教の内容整理として分類を行なっていたため、アカデミックな研究というのはそもそも分類することであった、なんてことだったり、とにかく、なんか面白い話がてんこ盛りになっている。 もちろんフォントや図版、文字などの文脈についても大変に興味深い話がたくさん含まれているので、広く世の中のことを知りたいという人はぜひ読んでみてほしい。 - 2025年9月27日
呪文の言語学角悠介読み終わったルーマニア在住の言語学者によるルーマニアの(主に)魔女が使う呪文についての研究所。 西欧の魔女と言えば魔女狩りですが、魔女狩りで魔女が駆逐されてしまったのは西側がメインで東欧にはまだ魔女が生き生きと生きており、生活の中に根ざしているのだという。 これは東欧のキリスト教がギリシア正教だったため、西側諸国のカトリックとは土着の宗教との関連の仕方が異なっていたからなのだという。そういうことなんかも初耳だったので大変面白く読んだ。 著者が言語学者なので、ルーマニアに残る呪文を文献調査して、その構造解析をするというのが切り口で、呪文の中に意味の通じる平文と、意味不明の暗号のような部分がある、というような解き方をしていて面白い。 つまり、アブラカダブラみたいな言葉の効能、みたいな音節だけの部分はなぜ存在するのか、という点を考えるところは面白かった。 ハリーポッターの「エクスペクト・パトローナム」はラテン語では平文で意味が通じる、とか「痛いの痛いの飛んでけ〜」の主語はなんなのかとか、アブラカダブラには亜種がいろいろあり、国によっては回文になっている地域もあるとか、そういう豆知識的なところも面白かった。 パスタードの呪文を必死で覚えた10代があったわけだが、あれなども平文と暗号文の組み合わせだったと言える。あれは作者の萩原一至が適当にヘビメタとか聴きながら組み合わせで作ったものなんだろうが、雰囲気や説得力は出ていたので、意識はしていなかったが、本物に近い言語的な構造に近づけていたのだろう。 ルーマニアという国と、著者の研究対象であるロマ(古くはジプシーと呼ばれた放浪の民)の関わりなどにも触れられて、そこも面白かった。 魔法というものが、テレビアニメのように派手なものではなく、腹痛が治るとか、日照り続きの土地に雨が降るとか、不倫して駆け落ちした元旦那の相手が不幸になるとか、そういうものが主で偶然起こりうる事象の確率が上がる、というものなのが生活に根ざしている点だと思った。 日本も極東の島国として相当独特の文化を持っていると思うが、ルーマニアなども大変に個性的な国なのだろうな、ということが実感できた。いつか行ってみたい。 - 2025年9月24日
地下室の手記(新潮文庫)ドストエフスキー,江川卓読み終わった東浩紀さんがドストエフスキーならここから読み始めると良い、という話をしていたので手に取ってみたが、かなり強烈な小説だった。 「僕は病んだ人間だ」から始まるこの小説は、ドストエフスキーの分身と思われる42歳のうだつの上がらない無職の男(それまでは八等官、係長クラス。多少の遺産が入ったので退職したと思われる)が主人公。 病んだ人間として、とにかく主人公が嫉妬や猜疑心、被虐心などを隠さずに生きていく、というストーリー。 嫉妬や猜疑心を抱えた人間の行動を明確に言語化しているのが特徴で、自分も似たようなところがあるので、非常に陰鬱な気分になる。 陰鬱な気分になるが、それを的確に描いているので、すごいな! と思う。僕もそういうふうに考えて、浅ましくもそういうふうに動いたことがあるし、みたいな感じを全体から受け取れる小説。 心の動きを書く、という小説の表現形式の特徴を最大限に発揮したマスターピース。読んで良かった。 - 2025年9月16日
ひとまず上出来ジェーン・スー読み終わったラジオパーソナリティ/エッセイストのジェーンスーさんが女性ライフスタイルマガジンCREAに連載したエッセイをまとめた本。2016年からコロナを経た2021年くらいまでのスーさんの心の動きがしるされている。 かなり近い時期に書かれた『生きるとか死ぬとか父親とか』『介護未満の父に起きたこと』と合わせて読んだため、アラフィフかつサブカルの未婚女性の一つのメンタルをじっくり読むことができた。 スーさんのような女性がどのような考えに基づいて悩んだりしながら日々を過ごしているのかがかなり赤裸々に嘘がなく書かれている。ラジオの語りとは違い、より内省的なテキストが特徴で、心の動きをしっかりと書き込んでいる。 物事には正解ばかりがあるわけではなく、回答を先延ばしにしたりすることもあるが、そこまでにキチンと考えるべきことは考えているので、この過程を知れるのは素晴らしいと思った。 また、時系列で続いていくエッセイなので、あそこで書かれていたことが、ここでこういうふうに帰結するのか、というような感じでスーさんの生活と共に踊れるような作りになっているのも良い。 割とサバサバしているようです、案外、昔のことなどが忘れられずにクヨクヨしていたり、あんなにこだわっていたことが今となってはどうでもいい、みたいなことはよくある、というようなことがよく表現されているが、そういうところは程度の差こそあれ、誰にでもあるのだな、と共感した。 サラッと読めるが、つどつど引っかかる部分もあり、読み応えや共感のある本でした。 - 2025年9月16日
介護未満の父に起きたこと(新潮新書)ジェーン・スー読み終わった2021年に新潮社から出ていた文庫『生きるとか死ぬとか父親とか』の正式な続編。あの2人にまた会える、というやつだ。 後期高齢者となり、母親にも先立たれた独居の82歳の父親が、どのように人生を健やかにフェードアウトできるか、娘として真剣に向き合った5年間の記録。 ジェーンスーさんはTBSラジオのお昼の顔として、午後に帯番組を続けているラジオパーソナリティandエッセイスト。 ラジオ番組の名前は『相談は踊る』であり、日々、世間の人たちの悩みに向き合っている。そんなスーさんが愛憎入り混じる父親の老いに真剣に向き合い、実感を込めて描いており、さまざまな事実がトライアルandエラーとして赤裸々に描かれており、参考になる。 介護に悩む人たちに、それを楽しめとは言えないが、ビジネス書を参考に、生存戦略とし生活の様々な点、曰く、体重を増やすとか、ペットボトルを開けられないとか、掃除とか洗濯とか、そういうことをシステム化して、やれることとやれないことを種わけしていくスタイルは心と生活を上手く切り離す手法として有効と感じた。 スーさんは色々な選択肢がある中で、如何ともしがたく今のような生活を選んでいるわけだが、そこにたらればは存在しないが、中動態的に事実を認識して、そこで出来る限りやってみる、という態度をとっており、とても素晴らしいなと思う。 物事を考える時に主体、ステークホルダーは誰なのかを考えるのは常に大切だが、ビジネス書を参考にしているだけあって、そこをブレずに進めているため、これは大変な親孝行だと感じた。 自分にとっても人ごとではない状況なので、先人の知恵として読み込んでおきたい。 - 2025年9月15日
生きるとか死ぬとか父親とかジェーン・スー読み終わったTBSの昼の帯番組、生活は踊るのパーソナリティのジェーンスーさんの私的エッセイ。早くして母を亡くしたスーさんが後期高齢者となった父親との関係を綴ったもの。 愛憎入り混じった、という表現がぴったりの内容で、かつてはイケイケであった父が母の死後、色々とうまくいかなくなり、全財産を失い、何とか生きているところに娘としてどのように付き合っているかを記している。 実際には父の生活費を捻出するために父に稟議を通して描いているエッセイだというのが面白い。印税や原稿料などはその父の生活費に回しているのだという。 生活は踊るやオーバーザ・サンなどで今やTBSの顔の1人となったスーさんだが、日々こう言った悩みを感じながら生きているのだな、と身近に感じることができた。 息子の玄が生まれた2010年代に夜に泣き止まぬ玄を抱えて近所を歩いて回る間、当時入手したてのスマホで聞き始めたタマフルで出てきた頃から聞いているので、その頃の彼女がこう言った心境だったのかと思うと、感慨が深い。 昔はラジオを聴いているとすぐに通信制限にかかって、課金などしながら聴いたものだ。粋な夜電波などもよく聴いたな。週一のタマフルが懐かしい。 - 2025年9月10日
作り方を作る佐藤雅彦読み終わった2025年6月28日から11月3日まで横浜美術館にで開催されていた佐藤雅彦展の公式図録。ピタゴラスイッチのピタゴラ装置とかアルゴリズム体操でお馴染みの佐藤雅彦展というだけあって、展示は大いに人が入っており、日時指定の予約がなければ入れなかった。 展示は電通時代のCMからゲーム、書籍、テレビ番組での映像表現がわかりやすくまとめられていた。 その大回顧展の側面、佐藤雅彦の自分史が時系列で記されているのが本書である。 展示と連動して章立てされているので、展示をしっかりみた後であれば、それぞれの政策の裏側にあるストーリーがわかるようになり、展覧会を多角的に見られるようになる、という優れもの。 ミュージアムショップでも「この図録を読むことでこの展覧会は完結する」みたいな挑発的なキャッチで宣伝されていた。 確かに視覚的な展示の裏側にある佐藤雅彦さんの心の動きが記されていて展覧会をしっかり補完していて、意味のある図録と思った。 展示を見た人はぜひ読んだほうが良いだろう。展示だけでは分からない発想の生まれた瞬間などがしっかり明文化されている。 発想の生まれた瞬間に「きてる」みたいな言葉を使うなど、マリックとかフジテレビ的なものを感じたが、直感に従うということを意識的にやっており、そういう選択を間違わなかった人なのだなと思う。 CMの本質は商品の本質を捉えること、みたいなことを言ってる割には、企業名と商品名とコピーを短時間に印象的に繰り返す方法論みたいなものを自慢げに語ったり、なかなかおおらかだなと思った。 - 2025年9月1日
H・P・ラヴクラフトスティーヴン・キング,ミシェル・ウエルベック,星埜守之ミシェルウェルベックの処女作らしいが、これが何故かHPラヴクラフトの評論。ラヴクラフト好きとして読むか、ウェルベックの処女作として読むかで、少し切り口は変わるが、ラヴクラフト好きは読んでおくと良い本でしょう。 近年、映画や小説などの世界ではクトゥルー神話をベースにしたものがよくみられるが、ラヴクラフト自身も大変に興味深い人物で、生前は全く売れることもなく若くして亡くなっている。 おどろおどろしい世界観や神話体系を創作しつつ、二次創作を広く受け入れる態度、膨大な書簡など、現代的な視点を持っていたが、人種主義者で恋愛や金銭的な価値観からは一定の距離をおいて、困窮しながらも後世に伝えられる作品を書いた。その概要がよく分かる評伝だった。 ラヴクラフトの往復書簡や二次創作への言及などについてはもう少し深掘りして調べてみたいと思った。 - 2025年8月16日
日本写真史(下)鳥原学読み終わった1973年から2013年までの約40年間の日本における写真の動向を俯瞰的にまとめた本。元々の企画としてはこの辺りを新書でまとめよう、という話があり、そこを読み解くには前史が必要、ということになり上巻が書かれることになったらしい。 僕は1976年生まれなので、関連する一般史(ベルリンの壁崩壊、冷戦終結、ソ連解体、湾岸戦争、Windows95発売、阪神淡路震災、東日本大震災など)は大体体験してきた通りで、その中で雑誌ブームがあり、蜷川実花やヒロミックスとか川内倫子が出てきたみたいな感じだったので、その辺りを復習する感じで読んだ。 その時々の報道写真や、自然や動物を撮影したもの、ガーリーな写真などでエポックメイキングなものとか、あとはアートの世界で森村泰昌、杉本博司も紹介されていた。 一方、梅佳代、川島小鳥、浅田政志などは言及がなかった。そこまでは辿り着いていないという感じなのだろうか。 日本の写真の流れが上下巻で俯瞰できる良書でした。勉強になった。
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