FKB 怪談五色

2件の記録
DN/HP@DN_HP2026年6月21日「ここにワタナベケンみたいなシミがある」 朱雀門出さんの「まにあ」というか話にあった単体でも文脈的にも意味のわからない可笑しみのあるフレーズ。 「可笑しい」という印象は「普通とは違うところがあって笑いたくなる」と同時に「言動や状況が不審である。いぶかしい。怪しい。」ということで、まさに怪談から受けるに相応しい、受け取りたい印象なのかもしれない。というのは、そのなんとなく使っていた言葉について調べてみて思ったこと。

DN/HP@DN_HP2026年6月21日読んでる真っ先に読んだ朱雀門出さんのパートが素晴らしかった。 ひとつひとつ独立しているはずの怪異の体験談を、そこで起こる出来事や現れるモチーフで微かに、それでも気づかずにはいられないように繋げていく、繋がっているのでは、と疑いはじめる。というのはある程度まとまった話数の怪談を書くときのテクニックで、それを読むときにどうしても受けてしまう印象だったりする。 そんなテクニックが巧みに施された、逃れられない疑いを持たせてくれる怪談を読んでいけば、それがテクニックでも疑いでもなく、本当にそうだったのだ、みたいに思い込みたくもなる。作家が幾つかの怪異を聞き取ったことで体験したもうひとつの怪異体験という新たな「物語」と「真実」みが浮き上がってくる、ような気もしてくる。 そして全ての話の最後に、それらの話をここに纏めた意図が明かされれば、その構成の巧みさに、新たな恐怖に、それを読んでしまったわたしにもそこに連なる怪異が訪れるのではないか、「人間がまだ知らない、闇の仕組みやルールがあって、それに触れてしま」うのではないか、という微かな予感と不安に震えるしかないのである。 優れた文芸作品を読む喜びと、怪談で味わいたい恐怖が同時にあった。こういうのが読みたいのだ。

