

DN/HP
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READING IS MY THERAPY
- 2025年11月24日
晩年太宰治かつて読んだまた読みたい古本屋で手に取ったとある怪談本のエピグラフにとても印象に残っている『葉』の冒頭の一文をみつけた。その文章をはじめて読んだ街のことや、その時の状況、感情、思索が蘇ってきた。少し狼狽えて、少し悲しくもなる。それでも、また違った状況や心持ちで過ごしている今、またその文章から始まる小説を読んでみたくなった。今度はどんなふうに感情が動き、なにを考えることが出来るだろうか。それに『道化の華』についてもまだ考えたり書いたりしたい、と思っていたのだった。あの時読んだ文庫本は読みかけのままあの街に置いてきてしまったから、改めてもう一冊手に入れたい。今度は手元に置いておければ良いな、と思っている。
- 2025年11月23日
写真の読みかた名取洋之助小説がなにをどう書いたか、絵画がなにをどう描いたか、の「どう」の部分に興味があるし注目出来るようにはなってきた気がするけれど、写真に関してはどう写したかよりも、なにが写っているかに注目してしまう。そうするべき写真もある気がするけれど、やはり写真のどう写したかの部分も「読める」ようになってみたい。 - 2025年11月23日
- 2025年11月22日
面妖目録箱我妻俊樹全体的にもそうだけど、最後の三章目の「妖気纏身」がめちゃくちゃやばかった。ドライヴし過ぎて振り落とされそうになるというか、バウンスしまくって、そのまま放り出されたような気もするけれど、章題の通り不安感や分からなさの「妖気」が纏わりついているような読後感。それが端正な文章で書かれているというのもやばい気がする。
- 2025年11月21日
禍家三津田信三引っ越して来た家で襲われる事態に立ち向かう少年を力付けるのは、知り合ったばかりの少女、そして隣家で暮らす犬のコロ、というところが良かった。怪異に限らずだけど、やっぱり犬はそういう存在ですよ。 - 2025年11月21日
禍家三津田信三「自分が遭遇している怪異それ自体が、そもそも有り得ないような現象である。その非合理的な出来事に対して論理的に考えようとすることの愚を、遅蒔きながら彼なりに悟り、無駄に悩むのは止めにした。」 というスタンスはハードな怪異に襲われる中学入学を控えた少年にしては冷静過ぎる気もするけれど、わたしが怖い本を怖がるときのスタンスにも近いものがある。
- 2025年11月21日
禍家三津田信三これは移動中に読もう。だって部屋で読むと怖いから。と思ってたけど、結局帰ってきてからも読んじゃうから怖い。最近は寒いから閉めている廊下へのドアの向こうになにかがいるのでは、という妄想が捗ってしまう。
- 2025年11月21日
メキシコ三角みづ紀水分をはらんだ空気と この身体が天気を予報する 砂漠が靴にとどまって わたしたちは たしかに失ったのだが なにを得たのか知らない というカバーにも掲載されている一編がとても良くて、管啓次郎の文章に感じる魅力と同じようなものを感じているのだけど、どうだろうか。詩には苦手意識があって、詩集も買ったことがないのだけれど、これは手にとってみたいと思った。 - 2025年11月21日
バッド・チリジョー・R.ランズデール何度目かに集めはじめた寺田克也ジャケの角川ランズデール。二冊目。この小説にはランズデールでも屈指のパンチラインがあるのだ。とりあえずそこだけ読みたいな、とペラペラとめくり始めたけれどみつけられなかったから、結局最初から読み直すことにして二日かけて読了した。再会したパンチラインの最高さも確認しつつ、小説自体もやはり最高だった。 🎲 「おれはくりかえし考えていた。どうしておれや、おれの愛する人間にばかり恐ろしいことが起こるのだろう?おれがいったいなにをしたっていうのか?運命のサイコロを振っているのは誰なんだ?それが誰であれ、今回だけは、おれがサイコロを振ってやる。キング・アーサーの喉元に、おれがそれを投げつけてやるんだ。」 ハップとレナード。ホワイトトラッシュとその親友の「ゲイの黒人」。二人を中心に東テキサスで世界に痛めつけられながらも、なんとかやっていこうと足掻く人たちの物語。 これはある種の「負け犬たちのonce again」ものだけれど、シリーズ化されているということは、負け続けている、未だ勝ったことはない、ということでもあって。人生のように解決しない物語。それでも何度でも、世界を社会を彼らを痛めつけようとしてくる奴らを口汚く罵りながら、お互いに憎まれ口を叩きながら、その隙間に譲れない人生の哲学や信念、あるいは決意を思い口にしながらトラブルに立ち向かっていく。 勿論その言葉があるだけで、思い通りに生きられるほど世界も人生も物語も優しくはないのだけれど、それがあれば何度でも世界に、人生に立ち向かっていくことが、物語を続けていくことが出来るのだ。そんな言葉がわたしの心を打つパンチラインになる。希望にもなる。小説全体、その世界のなかで不意に放たれるそれらに出会うとより響くものがあった。読み直して良かった。しかし、汚い言葉をスピットしながら、要所でパンチラインが出てくる。それってラップ・ミュージックみたいだ。UGKを聴こう。 そんな小説のなかで出会った、興奮して感動もした幾つものパンチラインを集めている。最高の言葉は読むだけで元気が出るし、人生の幾つかの場面で思い出しては力付けて貰ったことだってある。だけど、やっぱり自分だけの言葉も思ったり口にもしたい。世界も人生もこの小説がそうであるようにスッキリ解決することはないけれど、いくら痛めつけられてもそれを思い口にすることで何度でも立ち上がれるような言葉があれば、希望だってある。はず。わたしだけのそれはまだ口にしたことがないけれど、いつかはものに出来ると信じて、今まで手に入れたパンチラインに助けて貰いながら、そんな言葉を探しながらなんとかやっていきたい、いける。そう思ってみたい。というのは、簡単に言えば最高のラインがある面白い小説を読んだら元気が出たよ、という話なんだけど、その最高や面白さの意味を自分なりに言葉にしておきたい。それもやっぱり解決しない人生の希望になる、かもしれない。 今回読み直して改めて気がついたのだけれど、この小説にも人生を自らでコントロールしようとしている女性、わたしの言葉で言うなら「クウィーン」が登場する。DV夫の頭をシャベルで殴り、ライター用のオイルと台所用マッチでで火を付けるタイプの「クウィーン」。彼女の自らのコントロールを他人から取り戻す、受け渡さない生き方は、登場人物たちをメンタル的にもフィジカル的にも救うことになるし、行動自体は過激で過剰だけれど、性別問わず誰しもの指針にもなりえる。わたしの指針、手本にもなるかもしれない。彼女の生き方、活躍を読むとまた元気が出てくる。ランズデールやっぱり最高だぜ、という気持ちにまたなったのだった。
- 2025年11月21日
バッド・チリジョー・R.ランズデール「おれはくりかえし考えていた。どうしておれや、おれの愛する人間にばかり恐ろしいことが起こるのだろう?おれがいったいなにをしたっていうのか?運命のサイコロを振っているのは誰なんだ? それが誰であれ、今回だけは、おれがサイコロを振ってやる。キング・アーサーの喉元に、おれがそれを投げつけてやるんだ。」 ようやく大好きなラインに辿り着いた。
- 2025年11月19日
- 2025年11月19日
AIとSF日本SF作家クラブちょっと開いた買った読んでる津久井五月の「友愛決定境界(フラターナル・ディシジョン・バウンダリ)」が良かった。AIにコントロールされる前の感情をフィジカルなコミニケーションで取り戻す、鵜呑みにしていた偏見のベールが少しだけ捲られる話。わたしはAIにはそれこそ偏見も含んでいそうな反感を持っているから、こういう話を読むと妙に納得してしまって、それはそれで危険というかフェアではない気もするけれど、それでもこんな物語は書かれて欲しいし、読みたい。この話でトラブルを起こすのはAIそのものではなくて、人の思惑と不手際だったりするのも重要かもしれない。 津久井五月は同じくハヤカワのアンソロジー『ポストコロナのSF』の「粘膜の接触について」も良かったけど、数年前にWIREDのSF特集で読んだ「地下に吹く風、屋上の土」がとても良かった。Webでも読めるからあとでまた読んでみよう。
- 2025年11月18日
- 2025年11月18日
- 2025年11月18日
- 2025年11月18日
- 2025年11月18日
- 2025年11月17日
怪談実話傑作選 磔黒木あるじさっきポストの上に放置された片方だけの手袋をみかけて、この本に収録された「軍手」という話を思い出した。 怪談本って一冊読むと続けて読みたくなりますよね。ということで、黒木あるじさんのベスト版2作目を読む。 まず最初の一編「爪先」。不発に終わりそうな取材の描写から一転、二転して最終的には怪談を聞き取っている著者自身の体験談になる。こういう“私の話”に着地するタイプが好きなんですよね。かなり小説に近い書き方な気もする。黒木さんは結構この書き方する印象もありますね。 次は「空き巣」。これはビジュアルを想像させる系かつ、家という誰もが遭遇してしまいそうな気がしてくる場所で起こる怖さがある。帰りの電車で読んでいたら帰宅が怖くなるやつだ。 3編目は「残像」。意味が分かって“解決”する話というのもある。わたしは怪談でも小説でも、わからなさをわからないまま受け止めるのが好きなのだけれど、黒木さんは“意味”や“理由”まである話も書いていく感じなんですよね。「確率」みたいに意味がわかる事自体も怖い話もあるし。この話はしっとり良さげなところに軟着陸するタイプだけど、怪異を経てホッと出来るオチに至る怪談というのもある、気がする。 次は……とずっと語っていってしまいそうな気もする、さすがのベスト版。あとは“現代”と頭にとつけたい怪談である「黒い」と「謝罪」や長尺で二転三転して“私の話”に至る「写真」に“家”で“意味”が分かる話の「侵入」も怖かった。怪談に対する、それを収集するスタンスは一貫しつつも、個人の体験談だから様々なタイプがあるし、書き方も様々にある。それに、それを読んで動く感情も様々なんですよね、とまたそんなことを思いつつ怖がり震えていました。 あ、やっぱり後一編だけ。「軍手」が良かった。これはエピソード自体も怖いのだけど、そこから“解明”される路上に落ちている軍手の真実に、ああなるほど怖い、と思った。「路上に片方だけ落ちている手袋」を研究している片手袋研究家の方のルールにも「絶対触らない」があるのは、もしかしたら観察研究だからという理由以外にここに書かれている真実も関係しているのかもしれない、と思うと真実味が加わってさらに怖がれたのでした。
- 2025年11月16日
本は読めないものだから心配するな管啓次郎「フィクションであろうとなかろうと、人間の文章はリアリズムの言語(指示する実在物があるのだと少なくともいちおうは信じようという取り決めに基づく言語)以外の表現材料をもたず、したがって(酷なことだが)他人の経験がフィクションなのか事実なのかの区別は、結局はつかない。作り事と事実性のあいだの水面のような分割は、多くの場合、書き手の自己申告にしたがうしかない。そんな自己申告的作品提示をうけて、読者であるわれわれはある旅がかつてほんとうにありそこで語られた出来事はたしかにあったのだと信じつつ、紀行を読む。読んで得られるのが、たとえ土地に関する曖味な伝聞の知識と、書き手の「私」として名指される不確実な幽霊の印象にすぎなくても。」 「つまらないことだろうか、無為な読書に終わるだろうか。だがそんな危うい、いわば事実性の「甘やかし」(インダルジェンス)とでもいったものをもって書かれる紀行のいくつかは、他のジャンルでは得難い輝きとリズムにより、読者の心に軽快な高揚感と未来への希望を与えてくれることがある。」 これは紀行文についてだけれど、実話怪談のことを思ったりして、『怪談に至るまでVOL2』に収録の酢豆腐「怪談の〈弱さ〉によせて」という文章も思い出した。
- 2025年11月15日
ナルコトピアパトリック・ウィン,加賀山卓朗気になる読みたい
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