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Chance Meeting.
  • 2026年10月8日
    歯ごたえと喉ごし
    書影出てた。装丁(帯を意識してない)も良い感じぽくて楽しみ。
    歯ごたえと喉ごし
  • 2026年10月8日
    骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー キ 1-1 スケルトン・クルー 1)
    映画にもなっているこの文庫の殆どの分量を占める中編「霧」を読んだ。 「なにかがやってきた——またもや、わたしが確信を持っていえるのは、これだけである。霧のために、かすかにしか姿をとらえられない、というのが実情だったかもしれないが、人間の頭脳が断じて受けつけないようなものが存在する、ということもまた、おなじようにあり得るとわたしは思う。人間のちっぽけな知覚の扉を通りぬけることのできない、暗黒と恐怖が存在するのだ——それと同様な、壮大な美が存在するのとおなじょうに。」 絶対的で逃れようのない暗黒や恐怖に突然襲われたとき、人は何を考えどう行動するのか。希望は見出せるのか、あるいは絶望するしかないのか。小説とは違う結末を迎える映画では(昔観たけど忘れていたからさっきインターネットで調べた)世界に希望の兆しが見えることで、個人の絶望が深まり、小説では絶望の世界の中にも希望を見出す。その二つだったらやっぱり後者の方が良いよな、でもよく考えたら両方厳しくて残酷な結末だよね。とか思いながら、そんな状況でわたしなら何を考えどう行動しどんな決断をするだろうか、と想像してみている。希望を見出せるのか、絶望するだけか……今は情けない姿しか思い浮かばなくて、そういう意味でも怖い小説だな、と思ったりした。
    骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー キ 1-1 スケルトン・クルー 1)
  • 2026年10月7日
    群像2026年2月号
    群像で今月号から始まる滝口悠生さんの新連載、あの袋小路の話だ、と嬉しくなってこの号に掲載されている同じ袋小路を舞台にした「庭野広の駄洒落と陰謀」をちょっと読み返してみたら、やはり素晴らしかったので、当時の感想をもう一度載せておきたい。しかし、これ読んだの今年の一月とか、時の流れが早すぎると言わざるを得ないのが現状。 2026.1.10 思いがけず発売日に買った文芸誌、目当てだった大好きな小説家、滝口悠生さんの短編「庭野広の駄洒落と陰謀」を早速読んだ。すぐ後にもう一回読んで、翌日にももう一回読んだ。 ある袋小路、フランス語だと「Cul-de-sac」——という表記に纏わる話、あれは小説では均されたり切り捨てられてしまう、現実にはたしかにあった歪さや間違いを小説で表現する試み、かもしれない。とにかく最高だ——を舞台に、その突き当たりに建つ家のベランダから「袋小路と袋小路に面した家々の人々」、その景色、「社会」を眺めながら庭野広氏の巡らす物思いや考えごと、思い出、口には出されない思い浮かんでは取り下げられる(しかし笑える)「駄洒落」と密かに微かに実行される「陰謀」の話。 庭野氏はわたしよりも大分年上のおそらく70代なのだけれど、毎朝訪れる寂しさを抱きしめながら、他人からの指摘や諭し教えを喜びとともに受け入れる。世界に立ち現れる微かな悪意や敵意以前の翳りを帯びた光景、不穏な予感、歪みを見過ごさず、あるいは見過ごせず、それに抗するように見えない「親切や配慮を用意する」。密かに微かな「自分の陰謀」を巡らす。そんな彼の生き方は理想的にも思えてくる。これからわたしはそんな生き方に辿り着けるだろうか、一回目にはそんなことも思っていた。 続けてニ回目を読んだ後には、「陰謀論にはまりかけた」庭野氏の窮地を救い、「自分の陰謀」を企てるきっかけを図らずも作った彼とは「五十ほども年の違う」大学生、風呂田くんのことを思っていた。わたしは彼の年齢はもうとっくに過ぎてしまったけれど、同じ袋小路に暮らすという「だけ」の関係の庭野氏を助け、諭し、その後には良好な関係性を築きながら年上の友人、とも言える人物に影響と変化も与えていく。そんな彼の振る舞い、生き方もまた理想的に思えた。わたしはあんな風には生きてこれなかったな、と思う。 滝口さんとは大体同世代だから、彼もわたしもこの二人とは世代が大分違うのだけど、そんな世代の彼らのようなキャラクタが描かれた意味を考えてみる。それはやはり、そう出来なかった生き方、それと、これからはもしかしたらそう出来るかもしれない生き方、自分の前後にあるふたつの理想的な生き方を描いているのではないか。というのは勿論妄想よりの想像だけれど、たしかにそんな風に読んでいた。読んでいる。 今の私の前後にある理想は、その中間にいるが故に、まだ取り戻せるかもしれないし、今後手に入れることが出来るかもしれない。それを意識して「ナイス」に生きようと出来れば。そんな宣言とエールのようにも、これもまた勝手に受け取っている。 三回目に読んだ時には庭野氏と同世代の母親のことを思っていて。彼女は寂しさを抱きしめることが出来ているだろうか、家のなかが中心の生活が続くなかで生じる滞りに追われる恐怖に襲われてはいないだろうか。陰謀論にはハマっていない、とは思いたいけれど…… 哀しいような寂しいような気持ちになってきたけれど、今度タイミングをみてそんなことも話にいってみようとも思えている。この小説を持っていっても良いな。そのときには風呂田くんのように振る舞えたら良いのだけれど。 そんな個人的で世代的なものを超えたところでも、この短編小説が書かれて、読めることには感動している。 「ならば、というか、だから、というか、見えないところに少しの親切や配慮を用意することが、全部を嘘と疑うことを半ば強いられるこの世界に抵抗を示すことにはならないだろうか。枠井梓に『ガン無視』された窓川夫人にネギを持っていこうとしたのは、庭野広のそのような心の動きだった。これが自分の陰謀。」 「全部を嘘と疑うことを半ば強いられるこの世界」にこの小説が書かれ読まれるということも、その「世界に抵抗を示す」ことになっているのではないか。読んだ人たちが庭野氏のように世界に蔓延る翳りや不穏な予感、歪みを見過ごさず、優しく「自分の陰謀」を企てはじめれば、世界も変わっていくのではないか。大袈裟な話をしはじめている。これはそれこそ「理想」だけれど、わたしはこの小説を読んで、「理想」に向けて、少しだけ生き方を、世界や他人との向き合い方を変えようと思っている。 わたしにとってこの短編小説を読んだことは、庭野氏の会社員時代に「駄洒落中毒」から救ってくれた同僚の説論や、(彼自身はまだわからないというけれど)風呂田君との出会いと関係の深まりがそうだったように、人生における「画期的な出来事」だった、と思ってみたい。 重要なことも考えられた気がしているけれど、同時に、というかそれ以前に、その文体とそこから生み出されるフロウの読み心地は当然最高で、読んでいると純粋に楽しく嬉しくもなってくる。ああ、良い小説を読んだ。今日からも持ち歩いて四回目以降も読みたい。という思いで短編小説を雑誌から抜き出す(アイロンで背表紙のノリを溶かすやり方)。表紙をつけてステープラーで閉じたら、そっとOPPの袋に入れてお気に入りのビートとアンビエント・ミュージックのテープと一緒にバッグに入れて散歩に出かける。快晴の、土曜日の午後一時過ぎ。風が強い。いつもは会釈で通り過ぎてしまう家の前の駐車場でなにやら作業をしているおじいさんに、今日は声に出して挨拶をした。
    群像2026年2月号
  • 2026年10月7日
    群像 (2026年11月号)
    滝口悠生さんの新連載「枠井梓の独り言とその宛先」ってあの袋小路の東ニ戸の枠井梓さんの話か。同じ袋小路の北一戸の「庭野広の駄洒落と陰謀」がめちゃくちゃ良かったからこれも楽しみ。
  • 2026年10月7日
    骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー キ 1-1 スケルトン・クルー 1)
    ヒント15、気になる古本をみつけたら速やかに買おう。 ということで、先日買わなかった扶桑社文庫のキングを回収してきた。
    骸骨乗組員 (扶桑社ミステリー キ 1-1 スケルトン・クルー 1)
  • 2026年10月6日
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    この小説で少年たちが参加する「ロングウォーク」というのは、死“へ”のロングウォークであり、つまりは人生なわけで、少年たちは凝縮された人生を一足先に擬似体験するわけだ。と言っても実際には脱落者は射殺されてしまうわけで、擬似も何もないわけだけれど、それを読むわたしたちは彼らを通して歩き終わるまでの凝縮された人生を擬似体験しているといえなくもない。そんな風に読んでみれば、人生とはなんと過酷で残酷なのか、と落ち込んでしまうし、少年たちの言動や葛藤、思索を通して人生だけではなくて己の残酷さや薄情さ(少年たちにも勿論良心や正義があるけれど)にも気付かされたりして。それでも、そこには人生を歩き続けるためのヒントもあるような気もする。「ヒント6、ゆっくり気楽に歩くのがこつ。」とかね。 めちゃくちゃ面白かった、という感じでもなくて、小説的にもの凄いわけでもない気がするけれど、それでも珍しく二晩ほどで一気に読んだから、良い小説を読んだんだなという気はしているし、幾つかゲットしたヒントはわたしのロングウォークにも活かしていければと思っている。とりあえずは日々の散歩からかな。
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
  • 2026年10月6日
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    「ヒント6、ゆっくり気楽に歩くのがこつ。」
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
  • 2026年10月3日
    靴と自転車
    靴と自転車
  • 2026年10月3日
    アパートメント暮らしの動物寓話集 その他の物語
    キジ・ジョンスンの新しい短編強い出るんだ。
  • 2026年10月2日
    本は読めないものだから心配するな
    「われわれは、思想をかけて、歩かなくてはならない。かといって、別に気負う必要もない。無用の歩行、気まぐれな小さな旅を、少しずつ、しかし確実に、自分の暮らしの中にとりもどすことにしよう。そのときふと考えはじめる何かが、ぼくらに思いがけない道を、つねに新しくさししめしてくれるにちがいない。」 「歩行には、それ自体としての目的はない。だがそれは偶然の出会いを、いくつも用意する。その偶然のつみかさねによって、『社会』という本当には捉ええない全体に対する観察と考えが深まってゆく。目的のない旅だけがもたらすことのできる、大きな認識の図柄がある。」 管啓次郎さんには歩くことに関しても影響を受けている。 ちなみに『本は読めないものだから心配するな』のことは、文庫が出たタイミングで本屋で見かけていたから知っていたけれど、いや別に心配してないですけどね、とか思って時は結構積極的にスルーしていて。数年後にとある古本屋さんのリニューアル・オープンのときにタイトル買いした『コヨーテ読書』がめちゃくちゃ素晴らしくて、著者名で検索したら、これあれの人か!!と分かって急いで買ったのだった。今ではとても大切な一冊です。これもやっぱり「読書はチャンス・ミーティング。」多分。
    本は読めないものだから心配するな
  • 2026年10月2日
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
    読みたかった小説が買えたから、もう少しだけ生活との緩衝材としてのショートウォーク、散歩、無用の歩行を続けよう。
    バックマン・ブックス〈4〉死のロングウォーク (扶桑社ミステリー)
  • 2026年9月30日
    アメリカ
    アメリカ
    古本屋で買ったばかりの文庫本に早速コーヒーのシミをつける。三十年前に出版されたこの本が今までに何人の手を渡ってきたのかはわからないけれど、いまこのコーヒーのシミをつけたことで、なんとなくこの本がわたしのものになったという気がしないでもない、と納得するわけでもなく、単純に結構ショックである。
    アメリカ
  • 2026年9月30日
    別れを告げない
    別れを告げない
    別れを告げない
  • 2026年9月28日
    歯ごたえと喉ごし
  • 2026年9月28日
    僕は珈琲
    僕は珈琲
    片岡義男さんの「雨の柴又慕情」という『男はつらいよ 柴又慕情』を観て語りあい、最後には演じ出す短編小説をこの前読んで、最高で大好きになったのだけど、ここでもまた『男はつらいよ』が取り上げられていた。やっぱりお好きなんですね。今回は柴又で喫茶店を経営しているマドンナが登場する八作目の『寅次郎恋歌』(「柴又慕情」は九作目)。でも「寅さんは珈琲を飲まない。」なるほど。そんな話を淹れたばかりの珈琲を飲みながら読んでいる。日本語の台詞を聞きつつ英語字幕を見れるようDVDを設定し、幾つかの台詞を取り上げてその「翻訳」を評していく。最後にとある台詞の字幕を確かめる、そのためだけにこの映画をもう一度観るのも一興だろう、と作品への愛着を書いた後、少し唐突にけれども実感を込めて「寅さんは、ある時ふっと、柴又へ帰ってくる。そこにマドンナがいる。マドンナとの確執が終わると、寅さんはふらっと旅に出る。こういう設定は魅力的だと思う。」と書かれ文章は締め括られる。この唐突さとあっけないような終わり方、こういう構成は『男はつらいよ』と同じように魅力的だと思う。今日の珈琲はなんだか酸味が強いから、ミルクを加えてカフェ・オ・レにしようかなとも思っている。
    僕は珈琲
  • 2026年9月28日
    IQ2
    IQ2
    「アイゼイアはコルトレーンの『アセンション』をかけた。四十五分間に及ぶ即興の騒乱と音楽的才能。音楽のおかげで、いくらか落ち着いて考えられるようになった。ニューロンが否が応でも音に対抗するしかなくなる。音色が思考と思考の隙間を埋め、もっと心地よい”誘惑”を頭から追い出してくれる。」とこのシリーズは音楽やミュージシャンの扱い方、描き方もなかなか良いのだけれど、2冊目以降翻訳出なくなっちゃいましたね。わたしも一旦コルトレーンの『アセンション』を聴くか。
    IQ2
  • 2026年9月27日
    すべての美しい馬
    すべての美しい馬
    「かりに居心地悪い感じがしてるのになぜだかわからんとするな。するとそいつはいるべきでない場所にいるのにそれに気づいてないってことか? いったい何の話だ? わからん。何でもないよ。歌でも歌うか。」 というのは、昨日も思い出していたこの小説のなかでも特に大好きなシーンのひとつだけれど、その大好きなシーンに倣ってわたしが今「歌でも歌うか」と思うとき、その「歌」というのはやはり「うさぎラップ」ということになるだろう。ハヤハ プゥルゥプゥルゥ ヤハ イイイヤハ プゥルゥ🎶
  • 2026年9月26日
    すばる 2026年10月号
    特集『100人が書く「百年後」』から福田節朗「戦争」を読んだ。 読書に関してはわりとコンサバなところがあるから、沢山の作家が書いている企画とかを読むとき、というか文芸誌自体を読むときも、目当ての作家や既に読んだことのある作家の作品だけを選んで読んでしまう感じがあるんだけど、今回はそういえばSNSで言及している方がいたな、と思い出して初めて読む作家の作品も読んでみた。 リアルに想像出来てしまう「最悪」の百年後との邂逅とその末の「現在」の決断。ユーモラスで惚けたようなシュチュエーションや書き口だけれど、本質にはかなりリアリティをもった怖さもある。一文の長さとか段落の区切り方も好みで読んでいて気持ちよかったし、これはとても良い「SF」掌編、と言いたい一編だった。 これもとても良い「偶然の出会い」だった、と思ってみたい。ということで、これからは好きな作家の作品を目当てに手に取った文芸誌でも、未知の作家の作品もちゃんと読んでいこうと思ったのでした。
    すばる 2026年10月号
  • 2026年9月26日
    すばる 2026年10月号
    100人が書く「百年後」から 「みちひ」小山田浩子 「What's human」金原ひとみ 「リピーター」柴崎友香 「百年の収拾」滝口悠生(再読) 「本音党」多和田葉子 「砕けた虹のつま先の穴」乗代雄介 「戦争」福田節朗 を読んだ。 「百年前のことを百年後に知るにはひとりじゃ足りないね、と誰かが言った。ふたり、できれば三人、四人と、違う年のひとのあいだを伝わっていかないとね、波千鳥みたいに。」 ——滝口悠生「百年の収拾」
    すばる 2026年10月号
  • 2026年9月25日
    サイボーグになる
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