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Chance Meeting.
- 2026年8月24日
- 2026年8月24日
散歩の達人 2026年 09月号 [雑誌]散歩の達人編集部乗代雄介さんによる小説連載「上野のおとしぶみ」の第六回、「始まりの石器」を読んだ。過去の歴史と現代の物語を互いに触発されるようなかたちで語っていくような物語、やっぱり好きだな。トーハク(東京国立博物館)の休憩スポットでの読書がとても調子が良さそうだったから今度真似してみたい。そのとき読みたいのは、この話で取り上げられている(かつ登場人物が読んでいる) 相沢忠洋の『「岩宿」の発見 幻の旧石器を求めて』で決まりだろう。今度みかけたら買っておこう。![散歩の達人 2026年 09月号 [雑誌]](https://d2vswqi5nxcpat.cloudfront.net/post-images/e21a857e-41d0-4b0d-b743-1dc091e25cd0.jpg)
- 2026年8月24日
小説宝石 2026年9月号小説宝石編集部連載企画の「ちょっと怖イイ物語」の鈴木捧「ダイオウイカの死体」を読んだ。 「イイ」の部分を完全に置き去りにした切実で切ない怖い話でとても良かった。帰り道は多分暗くなっているから、ちょっと怖いスポットがあるコース取りをして、夜道を歩きながらこの話を思い出して、嫌な気持ちになって、怖くて仕方なくなったら、わたしも思い切り下唇を噛もうと思う。
- 2026年8月23日
怪奇小説という題名の怪奇小説都筑道夫何気なく道尾秀介さんの「解説」から読んでみたら、これは「解説」というだけでなく、この小説を¥100の古本で買うことで人生も買った、という彼の「物語」でもあってめちゃくちゃ良かったし、こういうその人にしか書けない本の話は大好きだ。自分もそんな「物語」れる体験が出来るかもしれない、と思わせてくれるから。わたしも¥132でこの古本を買うと同時に、人生とは言わないけれど、何か別のものも買った気になってみたい。と、これから読む本編もより楽しみになっているから「解説」としての役目もバッチリというところか。それに「道尾」というペンネームの苗字は「道夫」の音から来ているらしい彼の小説も読んでみたくなってきている。
- 2026年8月23日
ウエスト・サイド・ストーリー〔新訳版〕アーヴィング・シュルマン,北田絵里子「その願いのいくつかは叶ったが、街にとってはなんのちがいもなかった。街はそこに住むすべての人々の一生を超えて存在しつづけるように造られているからだ。世のなかのありようとはそういうものだ。そして世のなかが変わらなければ、そのありようもずっと変わりはしない。」 映画もミュージカルも観たことがないけれど、小説はとても良かったのを思い出した。これも読みたかったニューヨークの話。いつの時代も「この世はままならない」という話。つまりは語られるべき話。街とそれを形造る人生の物語。
- 2026年8月23日
ニューヨーク亀井俊介買った「一九六二年六月二十五日、私はバスで初めてニューヨークに入った。いちばん安い入りかただ。私はアメリカの地方都市における三年間の留学生活を終え帰国前にどうしてもニューヨークを見ておきたかった。留学先で結婚した妻と小さな子供がいて、奨学金とアルバイトで親子三人が食いつなぐ貧しい極みの暮らしだったが、懸命にニューヨークへ行く金をためた。ニューヨークを見ずしてアメリカを語るなかれ、と自分で自分にいいきかせていたかのようだ。」 ニューヨークへの愛を感じる、まさにI LOVE NEW YORKな冒頭の一文である。このあと新聞広告をみて借りたアパートが『ウエスト・サイド物語』の舞台となった地区から数ブロックのところ(に日本人がいきなり暮らしはじめるのもなかなかな事態である)だったことを、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールで映画を観て気がつく、というエピソードも最高。
- 2026年8月22日
質屋の女房安岡章太郎以前読んだ旧カバーの文庫本はとある街に置いてきてしまったから、新しいカバーの方で買い直した。 —— 安岡章太郎の「質屋の女房」に収録された短編たちがフレッシュだった。小島信夫がこの文庫の解説で「ガラスの靴」について書いている「新鮮」さとは少し違う意味で。 それぞれの短編で描かれる、戦争、徴兵までの、童貞喪失、“男”になるまでの、決めかねる将来までの、あるいは占領下、“戦後”という時代にあったモラトリアム。そこには熟れる寸前に残った青さのようなギリギリのフレッシュさがあった。 モラトリアムは猶予された期間ではあるけれど、そこには気楽さや安心感、希望よりも「漠然とした不安の未来」「前途には悲惨なものが待っている」という思いが渦巻き不安や焦燥感が募る。それでも、周りが動いたり決めたりし始めるなか、なにも決められないまま動き出せないまま『相も変わらず』過ごすうちに時間や時代や他人が前途や未来、将来を”決めて“しまったとき、猶予期間が終わったと「そうわかった瞬間」「ふと安堵に似た溜息がもれ」る。ああ、モラトリアムとはそういうものだった。と感傷的に昔を思い出し、わたしも素晴らしい小説を読んだことに感傷が加わった溜息をもらす。 しかし”大人“に父になったことで、時代が変わったことで、そして母親の死(を実感する様を描いた「海辺の景色」は本当に傑作)によって終わったはずのモラトリアムは最後の「家族団欒図」「軍歌」という二篇で父親の姿をして帰ってくるのだった。ああ、そうか。モラトリアムという期間は、若者だけのものではなかったのか。先の予定や期限が切られた決断、作らなくてはいけない金や時間、生きている限りある、将来や未来。幾つもの猶予と不安と焦りが人生には常にある。わたしにはある。今もある。それらを抱えながらも、決めたり決められなかったり、動いたり動かなかったり、右往左往や思い悩みながら、(わたしの人生では)多くは時間に押しつけられるように訪れるモラトリアムとその終わりがこの短編集のように繰り返される。そして何度も安堵に似た溜息を漏らす。そうやって人生は続いていくのか、ともう一度溜息が漏れたのだった。 安岡章太郎の書く小説はその時代的には「遠い」のだけれど、そこで主人公が起こす、あるいは起こせない行動、感慨や思い悩みは普遍的というか、わたしに「近い」と思ってしまえるのだった。そして安岡章太郎も小説がめちゃくちゃうまい。毎回、うまい素晴らしい小説を読む喜びと一緒に、自分を省みたり気がついたり、人生を思ったりしてしまう。ちょっと落ち込んだりもするけれど、やはり素晴らしい読書体験なのだった。
- 2026年8月20日
- 2026年8月20日
- 2026年8月20日
- 2026年8月20日
- 2026年8月19日
アメリカ夏象冬記 (中公新書)安岡章太郎「ブロードウェイ・午前二時~四時」という最初の章。安岡章太郎が八年ぶりに歩いた深夜のブロードウェイで、道にたむろする「黒人の娼婦」たち、そこでダンスする坊主頭の女性に圧倒されつつ「それは恐怖というよりも、なまなましい猥褻さで訴えてきた」と思うとき、それはつまり彼女たちのファンクを感じたと言えるのではないか、などと思ってちょっと感動している。 1969年当時の安岡章太郎の「人種感覚」は文章を読む限り「進んで」いたようにも読めるけれど、それでもやはり現代から考えればやはり「遅れて」いると思わざるを得ない。ということはつまり、私たちの感覚は確実に進歩しているのだ、と思えば少し安心したりもする。 勿論現代が完璧だとは全然思えないし、「感覚」なんてものは簡単に後戻りもしてしまうものだけれど、それはたしかに良い方向へ進んできたのだし、これからも進めていけるのだ、みたいなことは意識しておきたいと思ってみている。 改題された角川文庫版の『アメリカそれから』で読んでいるけれど、そちらは登録がなかったぽいのでこちらで。
- 2026年8月16日
灰の王S・A・コスビー,加賀山卓朗優れた「犯罪小説」にはいつも音楽が流れている。というのはマイケル・コナリーが推薦コメントに書いている「優れた犯罪小説に必要なもの」のひとつだ。多分。特にS•A•コスビーはいつもその趣味も良いというか、好みが合いそうな気もしている。 「ダンテは自動車修理工場に着くと、レンタカーを通りの向かいに駐めた。衛星ラジオで九〇年代ヒップホップ専門チャンネルを聴いていた。ゲトー・ボーイズの『マイ・マインド・プレイング・トリックス・オン・ミー』がスピーカから大音量で流れ、窓ガラスを震わせた。」 … 「ダンテは立ち上がり、銃を腰に差してドアに向かった。『ヘイ、タグ。いろいろありがとな』『ああ、またあとで』タグが言った。『ああ、ほんとにありがとな』ダンテは言った。そしてTLCの『ホワット・アバウト・ユア・フレンズ』を鼻歌で歌いながら去った。 … 「ラジオの曲が変わった。R&Bのヒット曲で、映画『ビート・オブ・ダンク(アバブ•ザ・リム)』のサウンドトラックに収録されている、スウィート・セイブルの『オールド・タイムズ・セイク』だった。 ここは実際には哀しさや無力感も漂うようなシーン。そんなときにも音楽は流れている。それは現実でもそうなはずだけれど、それが省かれずしっかりと書かれていて、その曲たちに覚えがあることにはかなりあがってしまったりもして。まあそれはその場面に合いすぎているような気もするけれど、映画で流れる音楽とかはそういうものだし、それを小説でやったって良いわけだ。
- 2026年8月16日
灰の王S・A・コスビー,加賀山卓朗発売日直後に買ったけれど、乗り切れなくて一ヶ月の間を開けてようやく読み終わった一冊。これはたしかに帯にあるようにこの作家の「最高傑作」かもしれない。と綺麗に素早く手のひらを返しているところ。 隠し通すはずだった秘密は暴かれ、誰もが罪を犯し、あるものは死にあるものは去り、またあるものは新たな王になる。タイトルの意味も完全に理解した気になっている。 中盤あたりまでに主人公(最後までいけすかないぜ、というのにも理由があるけれど)にも読者(わたしには)にもかかるプレッシャーやストレスは、その後に訪れるカタルシスを予想というか渇望させるけれど、この小説も優れた「犯罪小説」の殆どがそうであるように、完全に「この世はままならない」、「解決しない物語」だった。 そこにはわかりやすく解放されるようなカタルシスは勿論ないけれど(気持ちの良いどんでん返しとかはある)、そう考えてみればあの中盤までの不快感さえもそこにあるべき、感じるべきものだったとも思えてくる。 ひとつのトラブルは去ったけれど、根本的にはなにも解決することのない、それどころか新たなトラブルや問題の予感、この世のままならなさをたしかに残して終わるような小説を読み終わった後に、なにを思えば良いのかは未だわかっていないけれど、たしかに素晴らしい小説を読んだことだけはわかっている。そんなことも思える小説。 読み終わってみれば最初の乗り切れなさはなかったことにして、全部素晴らしかったと都合よく思っているし、こういうのがやっぱり好きなんだよな、というのも改めて実感している。ちゃんと最後まで読んで良かった。
- 2026年8月16日
ザ・ドロップデニス・ルヘイン,加賀山卓朗ミステリマガジンの70周年記念号にこの小説の元になった最初の短編(が映画化されそのセルフ・ノヴェライズがこの小説)が再掲載されているのを図書館で発見して久しぶりに読んだ。 短編は短編として勿論素晴らしかったけれど、やっぱり短編、映画化を経て完全に仕上がり切ったこの長編小説は完全に傑作。また読みたくなった。 —— 男の罪や孤独に、それぞれの“間違った”やり方で人生を解決しようと踠く人々の姿に、自分の人生を重ねていた。本の中でも現実でも、世界も人生も残酷だ。 それでも、それぞれがそれぞれの理由で“間違って”いくなかで、男に訪れたような、偶然で特別な、罪を忘れられる、人生を変える、あるいは取り戻そうと思える、幸せだと気づける瞬間は訪れる。そうも信じたい。信じている。そんな瞬間が訪れたとしても「この世はままならない」のかもしれないけれど。そこに犬が居れば。そんなことを思う。 読み終わった本をポケットに入れていた帰り道、SNSで流れてくる犬の皆さんの写真をスクロールして、この小説で救われるアメリカン・スタッフォードシャー・テリアにつけられた聖人の名前を、まだ見ぬ仔犬に呼びかけている人生を想像していた。いつもの道ですれ違う犬を少しだけ長く目で追っていた。「おれはあの犬を育てたいだけだ。」追い詰められたときに男に浮かぶ言葉を思い出す。ああ、わたしの隣にも犬がいればなあ。 読み終わったときの気分は決して明るくはならないし、この気分をどういう言葉で表せば良いのかも分からなかった。それでも世界、人生を残酷だけれど真摯に描いた小説は、ままならないけれど、やはり素晴らしいし大好きだと思えた。きっとまた何度も読むと思う。いつかのそのときには、隣に犬が居てくれれば最高なのだけれど。
- 2026年8月16日
- 2026年8月14日
frottage:あの子が残したこわい話多故くららこれ勝手なイメージとは違って、湿度というか粘度高め、情念濃い目の怖いやつだった。そういうのちょっと苦手な気がしてたんだけど、文章自体は粘り気なく読みやすいからどんどん読めてしまうからどんどん怖い。 - 2026年8月14日
- 2026年8月14日
- 2026年8月13日
移動時間が好きだpha気になる読みたい
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