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Chance Meeting.
- 2026年7月11日
44 小田イ輔怪異聞集小田イ輔「報告」という一話は保育園から大学まで同じで20何年殆ど一緒にいた「家族」とも呼べるような親友がいたけれど、疎遠になってしまってそこからまた20年、バイパスで踊って飛び跳ねている彼にしか見えない親友を目撃する、という話で。 その疎遠の理由というのは、結婚して子供が出来たことで気持ち、価値観が変わり「身一つでふらふらしてるやつとは見える世界が違ってきちゃうんだよ」ということで、まあ、それはそれで良いんだけど、その自分の結婚して子供を育ててという人生、世界だけが「まとも」で、それ以外「身一つでふらふらしてる」とみなした人たちの生き方は「まともでは」なくて、確認することもせずに「間違いなくまともな死に方」していないし怪異になってもおかしくない、と思い込み言い切ってしまう、その体験者の思考がめちゃくちゃ怖かったし、なるほど怪異というのはそうやって自分と生き方の違う人たちを、「まともではない」自分とは違う「世界」を生きている、とみなすことで生まれるものでもあるのか、と思ったりもした。
- 2026年7月10日
裂神加門七海「恐怖というのは感情だから、その大きさも、深さも、質も、他人と分かち合うことはできない。 喜怒哀楽すべてがそうだ。 感情は言葉や態度で、外に出した分しか伝わらない。 文章にしたところで同じだ。 どんなに言葉を尽くしても、いや、尽くせば尽くすほど、もどかしいほど気持ちは届かず、間に空虚が入り込む。」 という一文を読んで数日前から読んでいる小田イ輔さんの『44 小田イ輔 怪異聞集」というか小田さんが書いている怪談のことを思い出した。「他人と分かち合うことはできない」とももしかしたらわかりながらも、体験者と作家、それに読者の間にある空虚を埋めるように、なんとかそこにあった個人の恐怖、感情、「解決しようのない怖い思いや、普通は話せない突飛な経験」を「共有」しようとする怪談という試み。 「共有したいんだよ。解決しようのない怖い思いや、普通は話せない突飛な経験を、話して貰う事で共有して、更に文章化することで普遍的なものにする。そうすれば個人の経験を皆が擬似的に体験できるでしょ。一人で抱えてた荷物を降ろせるじゃない、それって楽になることに近くないか?」 ——小田イ輔『『呪の穴』 「嘘って言うなよ?」 『裂神』も怪異によって不条理に押し付けられた感覚、感情に憑かれた人間に、はじめは拒絶しながらも、自らの過去の経験——「怪異に追われた身に立ちはだかるのは、嘲笑と否認の壁だった(『203号室』はそういう苦しみを描いた話だった)」を省みて、それらを「共有」しようと歩み寄ろうとする話だった気もする。途中までは。 「他の誰にも視えない、感じないのだから、自分の世界にも存在しない。たとえ、恐ろしいモノが嘲笑して前に立ちはだかっても、無視して突き抜け、歩けばいい。」 一方で「嘲笑と否認」を避け「共有」もしない、結果的に怪異も存在しない、ことにする。という考え方も勿論あるし、それが「正しい」場合もあると思うけれど、もしそのまま歩き続けた先に……と考えるとその逃げ場のなさに怖くなるし「共有」するということは、やはり必要では、と思ったりしている。
- 2026年7月10日
自省のすすめ岸見一郎気になる - 2026年7月10日
悪魔の涎・追い求める男 他八篇コルタサル,木村榮一「岩波文庫の誕生日」(来年100周年)に便乗して「わたしの岩波文庫」を発表してカッコつけようと思ったけど、そんなことを言うほど読んでなかった。でも、コルタサルのこれは好き。100周年の企画で『愛しのグレンダ』を文庫でも出して欲しい。あれに入っている「グラフィティ」は手元に置いておきたい短編小説。 2025.5.5 深夜から早朝にかけて読んだコルタサルの『追い求める男』がとても良かった。目が覚めてしまった夜明け前の時間帯に読み始める短編が思いがけず素晴らしかった、ということが良くある。これも信じるべき偶然だろうか。 「『これは明日吹いている曲だぜ』その言葉の本当の意味が突然啓示のように閃いた。つまり、ジョニーはいつでも最初の数拍子で今日を楽々と飛び越えて、明日を吹くのだ。そして、他のものはあたふた彼のあとを追いかけているにすぎない。」 ここでいわれている「明日を吹く」ということやサックス・プレイヤーのジョニーが「追い求め」ているものは、「ぼくは誰よりも速くなりたい 寒さよりも、一人よりも、地球、アンドロメダよりも」や「俺は季節を超えるスピード感を持ちたい」といった阿部薫の求めたスピード感と同じもののような気がしてくる。 阿部薫の山崎弘とのDUOをかけて読み進めていく。ジョニーと彼の伝記を書いた評論家のブルーノの物語は、阿部薫と間章の関係も思い出す。ブルーノの評論は独立したアートではなく、対象のアートの付随物のように描かれているのだけど。 そこにあるプレイヤーになれない(と諦めている)“評論家”、あるいはスペクテイターの哀しみのようなものを感じて、今度は『孤独の要塞』のディランとミンガスの関係も思い出した。あの物語にもスペクテイターの哀しみがある。そこがとくに染みた。わたしにもある哀しみも湧き上がってくる。今もサックスとドラムの音と一緒に染み込み、その分だけ湧き上がってきている。ああ。 そんな読書、体験には明け方の青い色がよく似合う、とカッコつけて言ってみたくもなる。そんな感じもこの時間帯の特別な効果なのかもしれない。そんなところも含めて、わたしはこの時間帯が好きなのだ。
- 2026年7月10日
つまり、それがルッキズム 〜23の事例と解説〜前川裕奈,ウィルソン麻菜気になる - 2026年7月10日
- 2026年7月10日
橘外男日本怪談集 蒲団橘外男気になる読みたい - 2026年7月9日
暗闇のなかの希望 増補改訂版レベッカ・ソルニット,井上利男,東辻賢治郎「大衆を指して『眠れる巨人』ということがある。それが目覚めるとき、つまり私たちが目覚めるとき、私たちはただの大衆であるだけではない。私たちは市民社会という強大な力となる。その非暴力という方法は、時として、束の間の輝かしい瞬間においては暴力よりも強力であり、体制や軍隊よりも強力である。私たちは自分の足と、存在と、集められた声とヴィジョンによって歴史を書く。」
- 2026年7月9日
犬は生まれながらにして哲学者であるマーク・ローランズ,梅田智世気になる読みたい - 2026年7月9日
灰の王S・A・コスビー,加賀山卓朗「たとえ兄と弟が助けはいらないと言っても、ネヴェアはいまのひどい事態を解決する方法を見つける。これまでもそうしてきた。それは人生が彼女に与えた運命だった。自分を助けることはできなくても、兄弟を助ける、そのことだけはできる。」 1/3位読んで、地元でトラブルを起こした弟はお人よしで無責任だし、そのトラブルを解決しようとした「主人公」、都会から帰ってきたエリート兄貴はさらにトラブルを大きくするし、家父長制とか女性蔑視を内面化している雰囲気もあるし(みたいなヤダみをしっかり感じるのはよく書けた小説ということでもあるけど)、物語もドライヴしはじめないし、ちょっとダルいかも、と思いはじめたところで、完全に「脇役」として読んでしまっていた妹に関するこの描写である。結構あがった。まあ、「自分を犠牲にしても家族を助ける女性」というの設定はちょっとアレかもだけど、タイトルの「灰の王」というのは家族が経営している火葬場にもかかっているわけだけれど、その火葬場を今取り仕切っているのは、そもそもその妹だ。つまりここからは「灰の女王」たる彼女の物語としても読める、かもしれない。期待。
- 2026年7月9日
ミニチュアの妻マヌエル・ゴンザレス,藤井光買った古本@ ゆうらん古書店昨日の午後もそうだったんだけど、古本屋さんがSNSにあげていた新入荷の写真に探していた本をみつけて、数日後にお店に行ってみたら既に売れていた、ということが何回かあって。わたしが探している本て、絶版ぽいけど特別レアな本でも話題でもない地味目な本だから、まだあるだろうって毎回思うんだけど、しっかり売れてるんですよね、毎回。まあそれは残念なんだけど、そういう本が入荷してわりとすぐに売れていって棚が回転していくお店ってやっぱり名店だよな、とかって勝手に納得して嬉しくなったりもして。そんな名店だから、もちろん目当てだった本とは別の、読みたい、読みたかった本も見つかるわけで、お店を出るときにはにっこりですよ。これも毎回。 この本はそんな風に出会って買ったのでした。
- 2026年7月9日
- 2026年7月9日
- 2026年7月8日
スコッパーの女山白朝子気になる読みたい - 2026年7月8日
- 2026年7月8日
長い一日滝口悠生「私は花の名前は詳しくなくて、すぐ間違える。」 ——「二〇一七年八月一六日(1)」 この言葉が書かれたあと、7年(多分)の年月を経て、『たのしい保育園』収録の「連絡」という短編では、娘と散歩することで花の名前に少しづつ詳しくなっていく父親の胸中が語られることになるんだよな、と別の小説、作中人物と作家は分けて考えるべき、ということを踏まえたうえでもその年月と変化に深くなる感慨を止めることが出来ない。 わたしが花の写真を撮って名前を調べるようになったのは、完全に去年の夏に読んだその短編の影響で。作中の「ももちゃんのお父さん」は「ももちゃん」にその覚えた名前、言葉を向けるわけだけれど、わたしにはそれを向ける先がないのでSNSに投稿しているのだった。久しぶりに読んでいる『長い一日』で以前はあまり注目もせずに読んでいたかもしれないその言葉に再開したことで、わたしの行動には、その変化への少しの羨望や年月への哀しみもあったわけだ、と気付いたりしてもいる。わたしの好きな花はサルビア・ミクロフィアです。
- 2026年7月8日
- 2026年7月8日
- 2026年7月7日
テスカトリポカ佐藤究近くを流れている多摩川の支流で鷺が佇んでいるのをよく見かける。今までは、ああ、いるな、と思うくらいだったけれど、最近は『テスカトリポカ』のことを思い出す。あの小説最高だったよねって。 「アステカは湖の上の小さな島に暮らしていた。そこには水鳥——〈鷺(アサトル)〉がいたから〈驚の地(アストラン)〉というのさ。島に住んでいるのは〈鷺の地の人(アステカ)〉さ」
- 2026年7月7日
川のある街江國香織気になる読みたい
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