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DN/HP
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積読を崩しながら再読もしている日々。 そろそろ新しい本も買いに行きたい。
  • 2025年5月26日
    カリフォルニア独立戦争
    カリフォルニア独立戦争
    「ニューヨーク州のロチェスター」というアメリカが舞台の小説でもあまり出て来なそうな地名を目にして、その土地のラッパーのアルバムを流し始める、というのはなかなかに気の利いた読書な気がしてきている。
    カリフォルニア独立戦争
  • 2025年5月25日
    カリフォルニア独立戦争
    カリフォルニア独立戦争
    ”午後ロー“狙いの一冊。解決しない話が好き、と言いつつ解決に向かっていく物語の推進力に身を任せたいときもあるよね。ちなみにこの推進力というのは、所謂ドライブする文章やグルーヴとはまた別のものという位置付けである。
    カリフォルニア独立戦争
  • 2025年5月24日
    99999
    99999
    青山南のエッセイ『本は眺めたり触ったりが楽しい』で出会ったブルース・ウィバーの発言を読んだら、小説のことが考えたくなった。小説のことを考えていたら、大好きな短編集が読みたくなった。デイヴィッド・ベニオフの『99999【ナインズ】』。ここにはオールタイム・ベストな短編小説『幸せの裸足の少女』も収録されているのだ。 久しぶりに冒頭の表題作から最後の一編まで順に読み通した。どれも、これが短編小説だ、と思えるような素晴らしさで改めて感動した。完全にクラシック。それでも、そのうえで、やはりこの一編は特別なのだった。 自分も未来も、世界すらも信じていた16歳。上級生の父親の車を盗んで体験する、輝いていた初夏の日、特別な出会い、幸せな数時間。 挫折し信じていたものにも裏切られたような14年後。なんとかやっている人生のなかで、甦るあの時、幸せだった記憶。しかし、そこにあったのは懐かしさや悦びよりも、世界と時間の冷淡さ、過去から現在を見つめ直すことの残酷さ、それに追憶することの哀しみだ。 わたしにも幾つかのことが信じられていた16歳があった。一年くらい前にもこの短編を読んで、つい最近もジャズを聴き中上健次の『路上のジャズ』を読んで思い出していた。今も思い出している。万引きした少女、溶けたチョコレート、新宿のリハーサル・スタジオ……輝いていた、かもしれないその時代と、なんとかやっている現在の間にも挫折も裏切り(自分を裏切る、か)も当然のようにあって、思い出し今を見つめ直せばやはり、哀しみが湧き上がってくるのだった。一年前より、今の方がそれを強く感じる気がするのは、ブルース・ウィーバー言うところの「自分の心の変化や成長」があったからだろうか。思い当たる節は、ある。 訳者あとがきで田口俊樹はこの短編集の収録作には「あきらめ」が「通奏低音のように流れているような気がする」と書いていたけれど、わたしは「あきらめ」を哀しみに入れ替えて、どの短編にもこの哀しみが流れている、と感じていた。レコード会社のA&R、ロシアの若年兵、元パートナーの嘘を暴いてしまった男のそれぞれの物語にも、その哀しみがあると思った。どんなかたちにせよ追憶には哀しみがついてくる。過去を思い出すことは、それが過ぎ去ってしまったという時点で、既に少し哀しい。 そうなのだとしたら、小説が基本的には過去形でしか表現出来ないアートフォームだということを考えると、そこに追憶の哀しみが「通奏低音のように流れているような気がする」のは当然なのかもしれない。そこでは哀しみは描かれるべきもの、少なくとも感じるべきものだ、とまで考え始めている。それは言い過ぎかもしれないとも思っている。 また小説のことを考えている。 今もまだ、少し哀しい。 この短編集は今2冊持っている。またみつけたら何冊でも欲しい。出来ればミント・コンディションだと嬉しい。理由は大好きだから。
    99999
  • 2025年5月23日
    99999
    99999
    大好きな、心のアンソロジーにも必ず編み込みたい一編が収録された短編集。その大好きな一編だけ何度も読み返していたけれど、今回は冒頭の表題作から読みはじめる。これも哀しくて、美しくて、素晴らしい短編だ、と改めて感じられた。途中まで読んでいる、この短編集をまた読むきっかけにもなった、青山南『本は眺めたり触ったりが楽しい』で引かれていたブルース・ウィバーの言葉を孫引くなら、この短編の読み心地や感じ方も「じぶんの心の変化や成長で、どんどん変わって」いたということかもしれない。そういうことにしておきたい。
    99999
  • 2025年5月22日
    本は眺めたり触ったりが楽しい
    イラストも可愛くて楽しい。
    本は眺めたり触ったりが楽しい
  • 2025年5月22日
    本は眺めたり触ったりが楽しい
    「読者の仕事とは著者の意図を探すことではない」 引かれていた短編小説についてのブルース・ウィバーの言葉を読んで小説について考えたりした。 「だいいち、もしも小説がひとつのメッセージやひとつのテーマに圧縮できるのだとしたら、著者はそもそもなんで小説を書く必要があったんだろう?メッセージを一言書けば、それで済んだではないか。大事なことは、著者も、意味を探しながら、書いているということだ。それが、著者のつらい仕事なのだ。読者の仕事は、反応すること、である。読書とは、著者の意図や目的を、それがまるですばしこい小動物であるかのごとく、追いかけまわすことではない。本を楽しむためには、本の出来がどうだこうだと考える必要などないのだ。読者はみな、それぞれに認識する。書いてあることを、それぞれのじぶんの光のなかで、受けとめたり、受けとめ損なったりする。かくして、書いてあることの「意味」は、じぶんがどういう人間であるかということと密接にからまりあってくるのだ。そして、じぶんの心の変化や成長で、どんどん変わっていく」 わたしが小説を読む時も大体こんな感じに読めたら良いな、と思っている。とはいえ、ひとつのメッセージやテーマを小説というかたちに開いていくというのもまた「必要」というか本質のような気もしていて。「探すこと」なく自然と著者のメッセージやテーマが見つかるのであれば、その小説はきっと素晴らしい。「一言」よりも強く伝わる。強く伝われば、反応もまた強くなる。強い反応というのは、つまりはそれだけ「楽しんだ」ということでもあるだろうし、「自分の心」がより「変化や成長」することでもある。そうすれば小説もより楽しめることにもなる、のでは、とか。まあ、そもそも、「一言」では済まない、伝え切れないものもあるよね。
  • 2025年5月22日
    アクシデンタル・ツーリスト
    アクシデンタル・ツーリスト
  • 2025年5月21日
    深層地下4階
    深層地下4階
    SFな設定をエンタメ的なスピード感とフックのある演出で描いていくのだけれど、そのなかで印象的にしっかりと浮かび上がってくるのは、登場人物にたしかにある、あった、それぞれの解決していない人生だったりして。起こる“事件”の質や規模はだいぶ違うけれど、読み心地は犯罪小説のそれに近いような気がした。好き。思いがけず、これも“読みたかった”小説だった。 古本屋で読んだ裏表紙のあらすじを読んだときは、これは“午後ロー”みたいに読みたいな、なんて思っていたし、解説を読むと『ジュラシック・パーク』や『ミッション・インポッシブル』の脚本家が書いた小説で、なるほど、なんて思ったりもした。読み始めてみると、平日の午後になんとなくTVで観はじめる大作というより、平日の深夜にしっかり目にセレクトして観はじめる90分くらいのマイナー作、それも犯罪映画の感じだった。 というのは伝わりにくい気がするけれど、そんな映画が予想以上に素晴らしかったときには、これはわたしがみつけた傑作だ、的な勘違いと感動と喜びを感じる。この小説の読後にも同じものを感じていたのだった。傑作では。ちょっと無理して映画に喩えようとしているのかは謎である。 ハーパーBOOKSはあなどれない、というか信用できるレーベルになってきた。
    深層地下4階
  • 2025年5月21日
    深層地下4階
    深層地下4階
    SF的な設定でエンタメぽい演出だけれど、読み心地は犯罪小説のそれに近くて、今のとことかなり丁度よい。
    深層地下4階
  • 2025年5月21日
    深層地下4階
    深層地下4階
    “午後ロー”みたいに読みたくて買ったやつ。解説をちょっと読んだら、『ジュラシック・パーク』とか『ミッション・インポッシブル』とかの脚本の人が書いた小説だった。
  • 2025年5月20日
    短編小説のアメリカ 52講 こんなにおもしろいアメリカン・ショート・ストーリーズ秘史
    平凡社ライブラリーの増補版はタイトルも違ったんだった。読んだのこっちだけど、『アメリカ短編小説興亡史』の方がかっこいいから、そっちで覚えていた。
  • 2025年5月20日
    本は眺めたり触ったりが楽しい
    このエッセイ集は完全にわかる、とジャケットを眺めながら思っているところ。 青山南さんといえば、『アメリカ短編小説興亡史』には友人を経由してかなり影響を受けている。
    本は眺めたり触ったりが楽しい
  • 2025年5月14日
    にっぽん怪盗伝 新装版
  • 2025年5月14日
    アナキズム
    アナキズム
  • 2025年5月14日
    イスラエル=アメリカの新植民地主義
    イスラエル=アメリカの新植民地主義
  • 2025年5月13日
  • 2025年5月13日
    新装版 鬼平犯科帳 (10) (文春文庫)
    カッコ書きの台詞から地の文に繋げていくのを多様するのは池波スタイルのひとつだけれど、こう連続して繰り出してくると、「独特のフロウが出る……」のである。
    新装版 鬼平犯科帳 (10) (文春文庫)
  • 2025年5月9日
    路上のジャズ
    路上のジャズ
    コルタサルからジャズを媒介にして中上健次。路上のジャズ。路上の読書。 「その頃を、小説に書きたくない(書いてるけど)」、振り返れば大切で哀しかった、ジャズと共にあった青春。繰り返し語られる、「1960年代、新宿、ジャズ喫茶」。特別だった時代と街、音楽。フリージャズ。 カルチャーのムーブメントが沸き立つ時代と、青春時代が重なる世代というのがある。耽溺しそのことだけを考え、このカルチャーは自分のためにある、そう思える、思い込んでしまうような人間がいる。多分、どの世代でも。青春とはそういうのもだ、これも多分。 そんな人間が音楽を通して書いた青春時代を読む。熱くて哀しい、捻じ曲がっているけれどまだかたちの定まらない、苦悩と衝動が同居していた、音楽と”薬“のなかで語られるそんな時代の話。ここにあるのは青い情念だ。少しくらう。その時代にはまだ鳴っていなかった阿部薫のジャズをまた思い出す。と同時にわたしの青春時代も湧き上がってくる。 わたしにもそんな時代と街、「自分のためのカルチャー」がたしかにあったのだ。1990-2000年代、新宿(幾つかの街にも入れ替えられる)、ハードコア・パンク。そのなかのひとつのムーブメント。そこで流れていた音楽は「破壊せよ」ではなく「自分でやれ」と言っていた。その“言葉”に受けた影響は今も残っている。 その時代と街と音楽に思いを馳せる。制服で行った小瀧橋通りのレコードショップ、その裏のリハーサル・スタジオ、初めて体験したスタジオでのショウ。封筒に入ったデモテープ。A4サイズのファンジン。エモーショナルで哀しみ“も”表現しようとしていたハードコア・パンク。印象的だったエピソードと街の情景、そこにいた人々の顔も、音学と一緒に久しぶりに思い浮かんだ。もう失くしてしまったと思っていた、大切に繰り返し語りたい物語に思いがけず再会した気がした。そういえば、ジャズ、特にフリージャズを聴きはじめたのは、このとき大好きだったバンドのメンバーの影響だ。そのときに知った音楽は今でも大切に聴いている。アイラーもその時に知った気がする。 当時使っていた言葉でいうなら、これはエモい話だ。その頃からずっとそんな音楽と、今ではそんな文章、物語が好きなのかもしれない。好きなのだ。読みながら流していた、アルバート・アイラーのゴーストも、今はとてもエモかった。少し泣きたい、と思った。 本文中にコルサタルの名前に出会って、解説には読んでいた短編のタイトルも出てきた。嬉しくなる。この読書のフロウ、それにわたしの青春時代も間違っていなかった、と少し強引に思いはじめている。間違っていても良いというか、間違いなどないのかもしれないけれど。上向いた気分で、苦手かと思っていたマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」を聴いてみる。少し分かった気がした。
    路上のジャズ
  • 2025年5月8日
    あらくれ
    あらくれ
    中上健次がエッセイのなかで「徳田秋声の小説がジャズに似ていると突然思いつい」ていて、読んでみたいと思った。
  • 2025年5月7日
    路上のジャズ
    路上のジャズ
    目次で気になったページを開く。 「すべてなにもかもあの時、耳にしていたアイラーのフリージャズが悪いのだ、とひとりごちた。フリージャズ。フリー。あの時も、今もその言葉が好きな事には変りない。十八歳の時、こんな小説を書いた。読んでみてくれ。」 読んでみるしかないではないか。
    路上のジャズ
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