ポジティブ病の国、アメリカ

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北本新聞縦覧所@kitamoto_juran2026年6月21日読み終わった大変面白かった。 米国では科学的な根拠の薄い、そして病的なまでの「ポジティブ・シンキング」が蔓延しているのではないかという指摘の書。15年以上前の本だが、全く古びない。 感想を一言にすると「ポジティブ・シンキングとは究極の自己責任論である」 仕事の失敗や成功、人生の不平不満、貧富、それは全て自らがポジティブであるか否かで決まる。 前向きに日々の暮らしに感謝し、目標を書き出し本気で願うことが夢を引き寄せる。 反対に自らの感情をポジティブにコントロールできなければ、幸せは逃げる。 この思考は乳がんの闘病にすら当てはまる。第1章から「乳がんになったことがいかに幸福か」を快活に語り合うピンクリボン運動のグロテスクですらあった。 本来の由来を探っていくと、カルヴァン主義の悲観的運命論へのアンチテーゼとしてポジティブ・シンキングは誕生した。 1980年代に米国企業がレイオフに乗り出すにあたり、去る社員を納得させ(「チーズはどこへ消えた?」)、残った社員の士気を維持するための方便として、ポジティブ・シンキングは大ブームとなる。 さらに人口へ膾炙するようになったのは、ポジティブ・シンキングを商売にする者、研修講師であるとかメンタルコーチ(いずれも少々怪しげな)者たちが、大した元手も大した根拠も不要な“心の持ちよう“に目を付けたことも大きい。 その帰結がリーマンショックであったのではないかというのも本書の独自性のある指摘だ。 サブプライムローンの危険性や市場全体への警鐘を鳴らすような金融アナリストは、「思考がネガティブである」という理由で金融機関内での評価が下げられていた。 ポジティブ・シンキングを利用した企業経営者という属性が数十年の時を経て、自らがポジティブ・シンキングにどっぷり浸かり、誤った判断を下す。寓話的ですらあるエピソードだった。 今日の日本においても「ポジティブ」であることは無条件に良いことと捉えられがちだと感じていた。 直近の衆議院選挙において自民党が圧勝したのも高市首相の「ポジティブ」な振る舞いや「前向き」な言葉が有権者に受け入れられたからだと感じている(この文言は社会的事象への感想を意図したものであり、高市政権への支持不支持、特定政党への支持不支持ないしは肯定や批判を意図していない)。 こうした日本におけるうっすらとしたポジティブ肯定は、今後ひょっとするとネガティブな影響を社会に及ぼすのではないか、そんなことに思いを馳せた。