中井正一全集 第1巻 哲学と美学の接点

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- yh@yh2026年7月3日借りてきた図書館少し読んだ@ 自宅澤地久枝『ひたむきに生きる』に出てきた、「合理主義の問題」を読みたくて借りてきた。一読目はちんぷんかんぷんだったが、同論文の肝であろう5,6,7章を2時間後に再度、再再度と読んだら、5,6章はようやく言っていることが何だか分かりかけてきた。分かりかけてくるほど、寒々とした気持ちになる。それをどうにか乗り越える方法を与えてくれている最終7章後半の、技術の合理への飛躍がうまく掴めない。 以下、改編しつつのメモ。 人々が対立物としているのは利潤機構であるのに、利潤機構はその従僕である合理主義を攻撃せしめ、利潤機構自身は姿を隠している。人々は完全にそのトリックに陥っている。 合理主義は今や利潤機構の従僕となっており、金融ブロック経済の利潤機構が要求してやまないものに完全に一致してくる。統制主義・全体主義は、合理主義を完全かつじゅうぶんに従僕化することで、完成する。 「否定のない拒否」=「否定すべき現実があって、その否定の論理がわからない時、そこには単なる拒否が残っている」。これが現代人の特徴(どうやら否定のない拒否は、時間的に細切れにされたもので無力である、一方、否定ができれば連続的な(それゆえ有力な)拒否となり得る、ということだと思われる)。考えてもわからなくなることと、現実の矛盾に対する拒否とが、具体的には行動となって現れる場合、この行動を支えるものは信念といったような、やりきれない気持ちを盛った非合理主義となる。テロリズムのような行動となってあらわれる怖さ。この危険性に、多くの識者または教育家が自分の意図意識しないにかかわらす、人々をそこに導いていきつつあることが、より怖い。