精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~

1件の記録
沙南@tera_372026年7月18日読み終わった先日、精神科医の先生の講義を聴く機会があった。お話の中で触れられた、刑事事件の精神鑑定について、とりわけ「責任能力」に関してもっと知りたくなったので、この本を手に取った。 実際の事件を題材に、筆者が過去の鑑定結果を再検討していく構成だった。生い立ちや犯行に至るまでの過程が主軸であったため、「責任能力の有無をどのように判断しているのか」といった、鑑定技術そのものについては、詳しい理解を得ることはできなかった。専門性の高い領域である以上、一般向けの新書でそこまで踏み込むことは難しいのかもしれない。 筆者は再鑑定を行う中で、責任能力を有すると診断された犯人について、「別の診断が可能ではないか」「心神喪失状態だったのでは」との見解を示している。しかし素人目には、当時の鑑定結果も、その時点で得られた情報をもとに導かれた最善の判断だったように思えた。 犯行時の精神状態は置いておいて、司法の側面にのみ焦点を当てるならば、複数人を殺害し、なお反省の色も見せない人間が無罪、または減刑となることを、多くの人は受け入れられないだろう。講義中に先生が「司法に合わせて鑑定結果を出すことも多い」とおっしゃっていたことを思い出し、その言葉が腑に落ちた。「医学的に正しい鑑定結果」と「司法が求める判断」の狭間に立たされ続ける精神科医たちの苦悩は、計り知れない。 事件の犯人は一様に、家庭や育ってきた環境、周囲の人間関係が歪であった。「人の性格を決定づけるのは家庭環境ではない。不幸な生い立ちでも、立派にやっている人はいる。」というきれいごとをよく耳にするけれど、そうした言葉は、安全が保障され、満たされた世界で育ったからこそ口にできる側面もあるのではないか、と私は思う。 人格や、その人をその人たらしめる特性は、もちろん生まれもった気質が大部分を占めるけれど、自らの生命を守るために積み重ねてきた結果でもあるのだと思う。それほどまでに、環境が人に与える影響は大きい。特に幼少期は。ある事件の犯人が放った言葉が、忘れられない。 「犯罪の原因は、無知と貧困」 だけど同時に、矛盾した考えも頭を掠める。同情してしまうほど過酷な環境で育ったから、なに?犯した罪は許されない。無関係な他者の命を奪った以上、死をもって償うべきだ、とさえ思ってしまう。 そんなことを無責任に思えてしまう私こそが、幸せな環境で育った人間のひとりなのだと、この本を読み痛感した。 結局、責任能力とは何か、どのように有無を判断しているのか、という問いに明確な答えは出なかった。けれど、人を裁くということは、医学だけでも、法律だけでも、人の感情だけでも決められない。その境界で葛藤し続ける人たちがいることを知れただけでも、この本を読んだ意味は大きかった。

