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沙南
沙南
沙南
@tera_37
おもったことをすきに書く
  • 2026年10月5日
    わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版
    「わたしを空腹にしないほうがいい。」  母がよく私に、「ストレスが溜まると食に走る人と、食から遠ざかる人がいる。あんたは前者ね。」と言っていた。この作者も間違いなく前者だ。と、読んでいる途中までは思っていたけれど、社会人になると違ったね。。また食べられるようになってよかった。  嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、とにかく作って食べている方なんだけど、やけ食いって感じは一切しなくって。素朴で、丁寧。食べることを愛している人なんだなと思った。等身大の言葉選びと、こちらの胸にまっすぐ届けるような筆致がいいと思った。
  • 2026年10月5日
    フーガはユーガ
    フーガはユーガ
    「僕が殴られているのを、僕は少し離れた場所で感じている。」  なんでかわからないけれど、つい読み返してしまう作品って誰しもあるんじゃないかなー。人によってそれは、小説だったり、映画だったり。特定の音楽を聴く人もいる。  私にとってこれは、そんな小説。別に救いがあるような物語ではないけど。なんか、読みたくなる。こないだ実家に帰ったときに本棚を眺めていると、自然と手に取っていて、またページを捲ってた。それで、そのままこっちに持って帰ってきた。  やっぱり伊坂作品のラストはどれも、私には青い空が見えるなあ。最近雨、雨、雨!でほーんと気が滅入っちゃうし、大好きな夏も終わっちゃうから、小説の中だけでも清々しい空を見上げていたい。(秋もすきだから、next季節が楽しみでもある今日この頃🍂)
  • 2026年9月22日
    信仰
    信仰
    「なあ、永岡、俺と、新しくカルト始めない?」  現実を信じている私も、非現実を信じているあなたも、なにかを信仰しているという点ではおなじなんだな。身の回りだと、自己覚醒セミナーやマルチに大枚叩いてる人がいる。それを小馬鹿にする人がいる。私である。結局根っこはおなじだ。盲信する人間の姿ってなんて滑稽なんだろう。  あーあ、私も野人になりてえ〜🦧
  • 2026年9月16日
    卍(まんじ)
    卍(まんじ)
  • 2026年9月12日
    海と毒薬
    海と毒薬
    「八月、ひどく暑いさかりに、この西松原住宅地に引越した。」  初めて受け持つ患者。しかも、その先は長くない。実験的な手術を受けることになったその人を、勝呂は日々気にかけている。  対して戸田は、感傷は捨てろと言う。こんな時代に、一人助けたってどうにもならない。空襲で死ぬよりも、医学の進歩のために病院で殺される方が意味がある、とも。  勝呂は戸田を「強い」と評する。  戸田は言う。「強くなければ、どう生きられる」  これって果たして、「強さ」なのか。  他者を慮る心を捨て去ること。誰かの死に傷つかないこと。目の前の一人を切り捨てて、その先にある大勢の命を思うこと。  死が当たり前の時代に、それでも目の前の患者を助けたいと願う勝呂先生は、本当に弱いのかな。殺し合いが当然の世界で、命を奪ってはいけないという良心を捨てられないのは、弱さに値するのか。優しいことは弱いことなのか。  わからない。実際にこの時代を生きていないから、考えが甘いのかもしれないし、いくらでも正しいことが言えてしまう。想像するしかない。もし私がそこにいたら。敵国の捕虜を使った人体実験を、自分の中で正当化してしまわなかっただろうか。殺された大切な人たちの怨みを、こいつらで晴らしてやる、と。  戦争は人々の判断を間違わせる。倫理観を捻じ曲げる。昨日まで罪であったことを、今日には正義に変えてしまう。みんなの良心が麻痺してしまった世界で、自身のかたちをどう保っていけばよいのだろう。人はどこまで、自分自身のまま正しくいられるのだろう。世間や社会の目がなければ、私たちは簡単に罪を犯すようになるのだろうか。
  • 2026年8月16日
    掌の小説
    掌の小説
    「谷には池が二つあった。下の池は銀を焼き溶かして湛えたように光っているのに、上の池はひっそり山影を沈めて死のような緑が深い。」(『骨拾い』冒頭)  ほかの本と並行しながら、少しずつ嗜んでいた掌編小説集。すべて読み終えてしまうのが勿体無いほどだった。彼の描く世界にずっと身を委ねていたい。  普段、短編集はあまり手にとらない。なぜなら私には集中力というものが欠如している。短編集だと、物語の内側へ没入しきる前にだいたい話が終わって、次へいってしまうから、さみしい。  だけど、川端作品にはそれがない。冒頭一文目から入り込んでしまう。鳥瞰した景色と顕微鏡で覗いたような細部が、ひとつの文章の中に同居しているのが独特で、それを違和なく描ききる筆致こそが、この没入感を生み出す理由のひとつなのだと思う。  すべての物語が一枚の絵画のようであるのに、ひとの呼吸や風の音、虫の声はたしかに聞こえてきて。なんというか、彼は絵を描いても大成したんじゃないかな。  なかでも、無色透明であるはずの動詞(人の行為そのもの)に色を宿す表現には、畏怖すら覚える。たとえば、「黒く黙る」とか。「赤くなる」のように、状態の変化を説明する使い方はよく目にするけれど…すごすぎ。こんな表現は私には思いつきもしない。もはや共感覚そのものの世界なのに、読めば万人がすっと理解できるのもすごい。そういう黙り方、たしかにあるなって納得しちゃう。  しかも、独創的なのに衒いや驕りは見えないし、「どうだ」と見せつける感じもないところがたまらない。その自然さが粋だ〜。  日本語の美と可能性を、純粋に、極限まで突き詰めたひとなんだろうなあ。彼のこの色彩への執着は、いったいどこからくるのだろう。盲目のおじいさんの分まで目を凝らして、世界を隅々まで見つめようとしていたのかな。 【すきな短編メモ】 ・日向(川端さん、これって実体験ですか?記憶とともに日向へ連れ出したいなんて…素敵) ・金魚(不穏さと麗しさの調和) ・馬美人(バビジンって読むのがすきすぎて🐎) ・百合(まじすき綺麗すぎ) ・十七歳(あったかくて切ない) ・化粧(作者も解説も不可解って言ってるけど、私は彼女の笑みの理由がわかる気がする) ・かけす(私も爪に白いのができたら、星って呼ぼう) 小川洋子さんの解説には大納得でした…。 正直キモいなってのも何作かあったけど、 美しいので尊敬の方が勝ちます⭐️
  • 2026年8月12日
    イマジン?
    イマジン?
    「ふと視線を感じて良井良助が振り返ると、ゴジラが高みから見下ろしていた。」  明るくて前向きな物語が読みたくて、(夏だし!)中高生ぶりに有川浩作品を手にとってみた。主人公が私と同い年で、なんとなーく選んだのになんだか、運命感じた。等身大の悩みや、人生への戸惑いにすごく共感できた。  これまでの有川作品のセルフオマージュがたくさん出てきて超ノスタルジー。読んでいて、これあれだ!と懐かしくなった。  ただ、登場人物たちがみんな真っ直ぐで、展開にも水戸黄門的なベタさがあって、皮膚の下に広がる毛細血管ごと掻きむしりたくなる瞬間が何度かあった。有川作品ってこうだったな…としみじみ。  作品が変わったわけではなくて、斜めから読んでしまうようになったのは、私がだいぶ大人になってしまったせいなんだろうなあ。この真っ直ぐさをもう一度取り戻したい。  やりたいことと、それに向き合う覚悟がぼんやりと定まってきたタイミングだったので、この作品にいま出会えてよかった。私もイー君みたいに突っ走ろう。
  • 2026年8月9日
    今夜、すべてのバーで 〈新装版〉
    「普段からこんな色なんですか、あんたの目」  おしゃれなバーの話かと思って手にとったら、アル中のリアルが綴られていた。  主人公の他人を観察する目が気に入った。入院中に出会う個性あふれる面々に、読んでいるこちらもふふっとなる。みんな天に召されそうなのに💦🕺  飲酒の描写がいい。『食道に細い蛇がおりて、胃の腑にぽっと灯が点る』だって。めちゃいい。作中で明言されてはいないけれど、依存症になる前から、彼は好きで飲んでいるわけではないように見えた。それなのに、言葉の端々には酒への愛が滲んでいる。なぜだろう。  そんなことを考えていたら、酒は元カノみたいに「愛しくて憎い」と語る場面があって、妙に納得した。相反する感情が同時に存在するからこそ、人って面白い生き物なのだ。好きだけど嫌い。やめたいけど、やめるのが怖い。幸せになってほしいけど、目の前から今すぐ消えてほしい。  それでいいのだと思う。どちらかわからないときは、保留にしちゃって全然いい。一生考え続けたっていい。すぐに出る答えの方が正しいとは限らないから。  私は割と楽観的だからそう考えられる。結構、「まあいっか」で済ませられる。けれど、彼はそうではないから酒に溺れ、少しでも苦しみを和らげようとしているのかもしれない。どんなに足掻いても納得できる答えに辿り着けないことって多すぎるし、根が真面目な人ほどそれに耐えられないのだと思う。  うちの家系の男たちは、この主人公のように酒に蝕まれて死んでいった。(彼はまだ死んでいないけれど、長生きはしないだろうなと勝手に思った。)  一時期、一緒に暮らしていた叔父が、まさに彼と瓜二つだった。叔父の物語かと錯覚するくらいに。ひとりで黙々と飲んでいるような人だった。  幼心に、「私は絶対あんな風にはならない」って思っていたけれど、大人になればなるほど、叔父の気持ちも、この主人公のことも、わからんでもない。  身体への負担とか、誰かが悲しむとか。一旦どうでもよくて、人には脳みそを、とにかくバーンってしたいときがあるものだよね。(脳みそ破裂の幻覚の話が一番笑った) 【名言メモ📝主観】 ・内臓は頑丈でも、おれの心には穴がいくつもあいていた。 ・答えるということは、自分の人格を見せることだ。装って作った人格を見せるのは面倒臭いことだし、装っていない裸体をさらすことはそれ以上にいやなことだった。 ・さやかは涙でできている。だから決して泣かない女だ。 ・「しなびたマリー・アントワネット」 ・でも、死なないうちはみんなおんなじ病人なんだからさ。むずかしい顔して気の毒がったってしょうがないんだよ。けたけた笑ってないと、なおるもんもなおらないからね。 ・きれいさっぱりとした「具体」であって何がいけないのか。どうして人はアル中であってはいけないのか。えらそうな「人間」でなくてはならないのか。
  • 2026年8月7日
    ビジュアル・シンカーの脳
    ビジュアル・シンカーの脳
  • 2026年7月21日
    蟹工船
    蟹工船
    「おい地獄さ行くんだで!」  三連休さいごにジャケ買いした🦀🦀フォントがかわいくてつい。読んだことはあるけれど忘れてしまったので、これを機に再読。ページをめくるたびに、木みたいな古紙の匂いでいっぱいになります。あと、スピ系でお見かけする「體」「氣」が幾度も出てきた。昔の漢字盛りだくさん。だからわかんないところは潔く、飛ばします。  当時の労働環境の凄惨さたるや、思わず目を背けたくなる描写ばかりだった。奴隷のような扱い、暴力、怒鳴り声。人間の血と体臭、生ゴミ、磯の臭いまでもが漂ってきた。この時代を生き抜いてきたすべての先人たちのおかげで今があることに、ひたすら感謝したい。  ただ、いつの時代にも労働に関する問題は、かたちを変えながら存在し続けて、完全にはなくならないものなのだとも思った。当時と比較すると現代は、技術の進歩に加え、安全面や衛生面も整備され、命の危険を伴う仕事はずいぶん減った。仕事によって直接的に命を落とすことも、昔に比べれば少なくなった。  けれど、仕事が原因でうつ病や適応障害になり、心を失ってしまう人は後を絶たない。病名がなかっただけで昔にも存在したのだろうけれど、それでも現代は目にする機会が多い気がする。環境も法律も整えられ、「働き方改革だ!」とか言って、国を挙げて残業時間まで減らそうとしているのに。(実際にはあんま減ってないけど。)  何が変わったんだろう、と思う。感情労働が昔よりも増えたのかな…。脳を酷使しているから?詳しくはわからない。私も社会に出て初めて、「過労死」という言葉が決して大げさではないことを知った。どうしてこんな世の中になってしまったんだろう。  今を生きる私たちも、蟹工船の人々のようにもっと声を上げるべきなのかもしれない。もっとも、それが簡単なことではないこともよくわかる。黙って耐えることが、いちばん現実的な選択になってしまう人も少なくない。限界を迎えてしまったときには、反抗する気力なんて残ってないものね。そんな中で二度もストライキを決行した蟹工船の人々、すごすぎる。だからこそ、この物語は百年前の話なのに、どこか他人事とは思えないんだろうな〜。 とか考えてたら、あー眠れない。
    蟹工船
  • 2026年7月18日
  • 2026年7月18日
    精神鑑定はなぜ間違えるのか?~再考 昭和・平成の凶悪犯罪~
    先日、精神科医の先生の講義を聴く機会があった。お話の中で触れられた、刑事事件の精神鑑定について、とりわけ「責任能力」に関してもっと知りたくなったので、この本を手に取った。  実際の事件を題材に、筆者が過去の鑑定結果を再検討していく構成だった。生い立ちや犯行に至るまでの過程が主軸であったため、「責任能力の有無をどのように判断しているのか」といった、鑑定技術そのものについては、詳しい理解を得ることはできなかった。専門性の高い領域である以上、一般向けの新書でそこまで踏み込むことは難しいのかもしれない。  筆者は再鑑定を行う中で、責任能力を有すると診断された犯人について、「別の診断が可能ではないか」「心神喪失状態だったのでは」との見解を示している。しかし素人目には、当時の鑑定結果も、その時点で得られた情報をもとに導かれた最善の判断だったように思えた。  犯行時の精神状態は置いておいて、司法の側面にのみ焦点を当てるならば、複数人を殺害し、なお反省の色も見せない人間が無罪、または減刑となることを、多くの人は受け入れられないだろう。講義中に先生が「司法に合わせて鑑定結果を出すことも多い」とおっしゃっていたことを思い出し、その言葉が腑に落ちた。「医学的に正しい鑑定結果」と「司法が求める判断」の狭間に立たされ続ける精神科医たちの苦悩は、計り知れない。  事件の犯人は一様に、家庭や育ってきた環境、周囲の人間関係が歪であった。「人の性格を決定づけるのは家庭環境ではない。不幸な生い立ちでも、立派にやっている人はいる。」というきれいごとをよく耳にするけれど、そうした言葉は、安全が保障され、満たされた世界で育ったからこそ口にできる側面もあるのではないか、と私は思う。  人格や、その人をその人たらしめる特性は、もちろん生まれもった気質が大部分を占めるけれど、自らの生命を守るために積み重ねてきた結果でもあるのだと思う。それほどまでに、環境が人に与える影響は大きい。特に幼少期は。ある事件の犯人が放った言葉が、忘れられない。 「犯罪の原因は、無知と貧困」  だけど同時に、矛盾した考えも頭を掠める。同情してしまうほど過酷な環境で育ったから、なに?犯した罪は許されない。無関係な他者の命を奪った以上、死をもって償うべきだ、とさえ思ってしまう。  そんなことを無責任に思えてしまう私こそが、幸せな環境で育った人間のひとりなのだと、この本を読み痛感した。  結局、責任能力とは何か、どのように有無を判断しているのか、という問いに明確な答えは出なかった。けれど、人を裁くということは、医学だけでも、法律だけでも、人の感情だけでも決められない。その境界で葛藤し続ける人たちがいることを知れただけでも、この本を読んだ意味は大きかった。
  • 2026年7月13日
    プレゼント
    プレゼント
    「これは僕が今年の夏——」  みなさま大好きです。テーマの夏も大好き。本当にありがとうございます。一作だけ選ぶとしたら、「真実のトランク」かな…。想像の余地しかなくて最高だった。うわーでも選べない!ぜんぶ良すぎ。  どのお話もまとめ方が色とりどり。明るかったり暗かったり、ほっこりしたり、切なかったり。すべてに共通しているのは、「読んでよかった」と読者に思わせる余韻がある。  私にとって、人生の節目ごとに縁のある作家陣。お名前が並んでいるのを眺めていると、勝手に「あんたも大人になったねえ」って言われている気がした。小学生のころ、背伸びして読んでいたあのオマセな気持ちも。中学の図書室のにおいも。受験勉強の焦燥も。一人暮らしの部屋で見ていた朝日の眩しさも。ぜんぶが一塊になって押し寄せてくるような。これが郷愁かあ。  それぞれの作品が素晴らしいのはもちろんだけれど、この一冊そのものが、私の人生に、そしてきっと多くの読者の人生に寄り添ってきた作家のみなさまからのプレゼントなのだと思う。大切にします。
  • 2026年6月27日
    海と毒薬
    海と毒薬
  • 2026年6月24日
    夜市
    夜市
    「今宵は夜市が開かれる。」  夢の中を漂っているような気分になる。明るくはないけれど、じめじめともしていない。不思議な二つの物語。読んでいると、私も幼いころに夜市へ迷い込んだ気がしてくるし、間違って古道を歩いてしまった気もする。  「夜市」は審査員の選評にもあったとおり、頭の中に絵が浮かんでくる。その景色が現実にまで滲み出してきて、じわじわと全身を包んでくるような感覚。印象派の絵画の中に吸い込まれてしまったみたいだった。粒子状になった闇を光が吹き飛ばす、という夜明け(=夜市が消える)の描写が、今までみたことのない例えで好みだった。  「夜市」もかなり良いけど、「風の古道」もぶっ刺さり。芥川のトロッコが大すきなので、そのダークファンタジー版みたいな感じで🫶。  出会いと別れを"胸に風が吹く"と表現するのが素敵。どれだけ濃い時間を共に過ごしても、振り返ってみれば、それらは風が通り過ぎるのとおなじくらい一瞬の出来事なのかもしれない。  私はどうしても停滞が心地よくって、今ある人間関係が永遠に続けばいいなって思うことがたまにある。みんなそれぞれ自分の選んだ道を進んでいるわけだし、全員が最後まで隣を歩くわけではないこともわかっているんだけれど、でもだって、楽しいんだもん。今この瞬間が。  最後のシーンでの主人公にも、家に帰りたい気持ちと、あの奇妙な冒険をまだ続けていたい気持ちの両方があったんだろうなあ。  自分と他者と、それから環境の変化を楽しみつつ、たまたま今おなじ道を並んで歩いている人たちと、行き先が分かれるそのときまで、一緒に歩く時間を思い切り謳歌したいと改めて思った。せっかく地球に生まれてきたから! ーー道は交差し、分岐し続ける。一つを選べば他の風景を見ることは叶わない。 私だけではない。誰もが際限のない迷路のただなかにいるのだ。
  • 2026年6月19日
    をんごく
    をんごく
    「黒い格子の外から、誰かが見ている。」  緊張感が静かに漂う一方で、不思議な爽快さもある。良いホラー作品だった。怪異が近づいてくる描写では、こちらまで瞬きを忘れて息を潜めてしまった。エリマキがただの強い奴じゃなくて、得体の知れない存在にちゃんと怯えるのがチャーミング。壮一郎も巫女さんもすき。  願望が欲望と化し、深い業としてこの世に残り続ける。これまで私は、人は死んだら土に還り、肉体も精神も、その人を形成していたすべてが消えていくのだと考えていた。けれど、肉体を離れたあとに、願いや想いのようなものだけが残ることもあるのかもしれない。私がこの世を去るときにもし、なにかひとつ願いが留まってしまったとしても、それが愛する人を傷つけることだけはしないでほしいな……。  ラストはすごくいい。(上手くいきすぎて終わり良ければ、感があるのも含め!)すきなジブリのあれとあれや、アクション映画を彷彿とさせる。読んでよかったと思った。  あと表紙の女性、めっちゃ目合うやんこわ…と思っていたけど、読み終えるころには怖くなくなった。 と言いたいところだけど、やっぱちょっと怖い💦
  • 2026年6月13日
    残穢(ざんえ)
    残穢(ざんえ)
    「すべての端緒となる一通の手紙が私の手許に届いたのは、二〇〇一年末のことだった。」  めっちゃ怖い。怖くないって言ってる方々、強すぎ。読みながら何回か後ろを振り返った。淡々とした語り手の存在が唯一の救いだった。しばらく布団からは足を出さずに寝ます。(ベッドの中は安全地帯だと思っている。)  ホラー作品を読んでいる、もしくは観ていると、私はいつも恐怖と同時に怒りが湧く。なんの罪もない人が、たまたま穢れに触れたことで呪いの連鎖に巻き込まれる。最悪、死に至る。霊や呪いって理不尽すぎやしないか。科学的根拠も実体もないくせに強くない?逃れるための解決策はないのか、と毎回思う。  この物語も例に漏れずそう感じたけれど、身勝手な人間の欲が無関係な他者に不幸を招くということは、怪奇現象に限らず現実にもよくあることだと気づかされた。「運が悪かった」で片付けられることが、世の中には夥しいほどに存在する。人はいつ、どこで死ぬのかはわからないし、呪いみたいな悪意を理不尽にぶつけられる可能性もいつだってある。少し飛躍するけれど、そんな世界の中にもやさしい人たちが確かに存在することを忘れてはならないなと思った。悲観ばかりしちゃいけない。ただ、いつ呪われてもいいように、後悔のないよう生きとこ。
  • 2026年5月18日
    カレーライフ
    どの書店にもない〜。ネットで注文するのはなんか負けた気がする…気長に探そ!将来的に神保町の女王(カレー部門)、もしくはサナ・カレーニナを異名としたいので、絶対に読みたい。🍛
  • 2026年5月10日
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    「二足す二は?」  映画が最高すぎて、やっぱ読まずにいられなかった…久々に寝食も忘れて狂ったように読んだ。2人のハグが大すき。夢のあるラストもすき。この物語に出会えてしあわせ!もっかい映画観ようかな😌
  • 2026年5月10日
    風の歌を聴け
    風の歌を聴け
    「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」  タイトルを目にした瞬間、風が通りすぎた気がした。ちょうど読まなきゃ、と思っていたところだったし。はじめての村上春樹。  遠回りするような文章だった。気づけば知らない道に入り込んでいて、慌てて引き返したり、立ち止まってもう一度読み返したり。一文ごとに、読む、というより歩かされている不思議な感覚がある。たとえば、他人の家で目覚めると「別の体に別の魂を詰め込まれた感じ」がするってそれ、もはや別人やん。あ、自分じゃなくなったみたいってことか。ちょっとわかる。  そんなふうに、読んでいるあいだ小さな脳内会議が開かれっぱなしだった。てか裸で寝てる間に指で身長測られるの、すごく嫌だなあ。うまく説明できないけれど、なんか嫌。顔を観察されるくらいなら、まだ許せるかも。そういうちょっとした違和感が、「僕」が女の子に「嫌な奴」って書かれる理由じゃないかな。  登場人物全員が、他者にも世界にも必要以上に干渉しないのがいいと思った。だから会話も、「なぜ?」「さあね。忘れた」「そう」で終わる。知りたいから尋ねる。けれどその人が忘れた、と言ったならそこで追わない。絶対忘れてなんかないのにね。追及したところで、他者の内面は見えないままだし、世界は結局、そこに見えているままだし。この諦念にも似た静けさが、物語全体に独特の凪いだ空気をつくっている。さみしさと、微かなあたたかさが同時に漂う、そんな空気。私にとって会話は、交わる部分を共に探し、くっついたり離れたりするものだと思っていたけれど、村上春樹の世界では、会話は並走するものだった。その距離を心地よいと感じられるかどうかで、彼の作品を好きになれるかが決まる気がした。  鼠はどことなく、大学時代の友人を思い出す。干渉してこないくせに、人がいないと寂しがる。自論を長々と語り出す。面倒くさいけれど、酔うと特に面倒くさい、面白い奴だったなあ。今年も夏に会うのがたのしみ。私が夏をわりと好きなのは、奴に少し起因している感じがしていつも悔しい。  そういえば、この小説はなんとなく公園で読んでみた。外が合うと思った。そうしていると、左の手の甲と右の頬を蚊に刺された。いっちょ前に夏。東京の自然はぜんぶ嘘っぱちだなあと思っていたけれど、思いのほか悪くなかった。ビル風とはまだ仲良くできそうにないけどね〜。
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