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沙南
沙南
沙南
@tera_37
おもったことをすきに書く
  • 2026年5月18日
    カレーライフ
    どの書店にもない〜。ネットで注文するのはなんか負けた気がする…気長に探そ!将来的に神保町の女王(カレー部門)、もしくはサナ・カレーニナを異名としたいので、絶対に読みたい。🍛
  • 2026年5月10日
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    プロジェクト・ヘイル・メアリー 下
    「二足す二は?」  映画が最高すぎて、やっぱ読まずにいられなかった…久々に寝食も忘れて狂ったように読んだ。2人のハグが大すき。夢のあるラストもすき。この物語に出会えてしあわせ!もっかい映画観ようかな😌
  • 2026年5月10日
    風の歌を聴け
    風の歌を聴け
    「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」  タイトルを目にした瞬間、風が通りすぎた気がした。ちょうど読まなきゃ、と思っていたところだったし。はじめての村上春樹。  遠回りするような文章だった。気づけば知らない道に入り込んでいて、慌てて引き返したり、立ち止まってもう一度読み返したり。一文ごとに、読む、というより歩かされている不思議な感覚がある。たとえば、他人の家で目覚めると「別の体に別の魂を詰め込まれた感じ」がするってそれ、もはや別人やん。あ、自分じゃなくなったみたいってことか。ちょっとわかる。  そんなふうに、読んでいるあいだ小さな脳内会議が開かれっぱなしだった。てか裸で寝てる間に指で身長測られるの、すごく嫌だなあ。うまく説明できないけれど、なんか嫌。顔を観察されるくらいなら、まだ許せるかも。そういうちょっとした違和感が、「僕」が女の子に「嫌な奴」って書かれる理由じゃないかな。  登場人物全員が、他者にも世界にも必要以上に干渉しないのがいいと思った。だから会話も、「なぜ?」「さあね。忘れた」「そう」で終わる。知りたいから尋ねる。けれどその人が忘れた、と言ったならそこで追わない。絶対忘れてなんかないのにね。追及したところで、他者の内面は見えないままだし、世界は結局、そこに見えているままだし。この諦念にも似た静けさが、物語全体に独特の凪いだ空気をつくっている。さみしさと、微かなあたたかさが同時に漂う、そんな空気。私にとって会話は、交わる部分を共に探し、くっついたり離れたりするものだと思っていたけれど、村上春樹の世界では、会話は並走するものだった。その距離を心地よいと感じられるかどうかで、彼の作品を好きになれるかが決まる気がした。  鼠はどことなく、大学時代の友人を思い出す。干渉してこないくせに、人がいないと寂しがる。自論を長々と語り出す。面倒くさいけれど、酔うと特に面倒くさい、面白い奴だったなあ。今年も夏に会うのがたのしみ。私が夏をわりと好きなのは、奴に少し起因している感じがしていつも悔しい。  そういえば、この小説はなんとなく公園で読んでみた。外が合うと思った。そうしていると、左の手の甲と右の頬を蚊に刺された。いっちょ前に夏。東京の自然はぜんぶ嘘っぱちだなあと思っていたけれど、思いのほか悪くなかった。ビル風とはまだ仲良くできそうにないけどね〜。
  • 2026年5月5日
    みどりいせき
    みどりいせき
    「あれは春のべそ。」  話し言葉すぎてはじめは読みづらかったけれど、慣れてくると独特のリズムがくせになった。私はすき。1000年後くらいに、まだ人間が地球に居させてもらえていたら、この小説が古文の授業で取り扱われていてほしいな。「何ページ何行目の『ギャルピ』とは……」みたいに、未来人たちが真面目顔で読解しようとしているのをどうにかして眺めたい。神様的な何かにでもなって。  ところで読んでいると、体がさむくなったりあつーくなったりしたのは、電車とかバスの温度のせいかな。風邪拗らせてるから?それともこの小説がそうさせるのか?特にトリップしてる場面は、読んでいるこちら側も勝手に眉間に皺が寄るし、肌が粟立った。 (読む前メモ) 作品を読んで書いた人が気になることは、ままある。 逆はあまりないのだけれど、この人のインタビューを読んで、この人の書くものを読みたいと思った。つよく!4.17
  • 2026年5月1日
    葉
    「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。」  とりとめもなく綴られているようで、ひとつひとつが一瞬で過ぎ去っていく短編の連続。  ひらひら降る落ち葉をキャッチしようとして。花びらでも可。すべてを掴むことはできないけれど、掌に残ったものを並べて、ただ眺めているみたいな。走馬灯ってこんな感じかな、と思った。こんな風におだやかで、静かであればいいな、とも。  傍から見ている人の視点で書かれた物語って、なんだか他人事のように感じることもあるけれど、太宰はどうしてこんなにも、読み手を物語に没入させるのが上手いんだろう。日本橋の話とか特に。
  • 2026年4月17日
  • 2026年4月17日
    不器用で
    不器用で
  • 2026年4月16日
    姦淫に寄す
    姦淫に寄す
    「九段坂下の裏通りに汚い下宿屋があつた。冬の一夜、その二階の一室で一人の勤め人が自殺した。」  安吾作品ばかり読んでいる方を見つけて、私も真似して読むことにした。  頁をめくりながら始終、動悸がしていた。  不快なものではない。かといって、高鳴り、と表現するのも相応しくないし、ときめき、などでは絶対にない。仄暗いけれど、どこか爽やかな。淡い停滞の底に、なにかが決壊しそうな気配が潜むような。  うーん。説明のつかない高揚感があったことは確かだと説明しておく。わけもなくどきどきと暴れる心臓を、そのままにしておくことが私は嫌いではないので、一旦放置でいい。  そうか。理由なんかなくてもいい。人と人は、なぜだか一緒にいることもあるし、なぜだか離れてしまうこともある。玄二郎と澄江。定義不能な二人の空気感に触れていると、名づけられたものだけがすべてではないのだと気づかされる。  「正しさ」を基準に生きてしまうことも多いけれど、なんとなく、隣にいたいからいる、やってみたいから挑戦する、そのくらいでいい。安吾の作品はどれも根底に「正直さ」がある。私も、自分にも他者にも正直に生きるという核心を、ずっと見失わずにいたい。 【気に入った表現】 「動物園の河馬を考え深くしたような」 面白いたとえ。センスある。 でも味と品位のあるイケメンらしい。 どういう顔?
  • 2026年4月13日
    キッチン
    キッチン
    「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」  とてもとても、大切な物語に出会ってしまった。抱きしめて、手放したくない本のひとつになった。私はどうしても衝動で生きていて、すぐに忘れていってしまうから、いまの気持ちをこっそり書き留めておこう。(おセンチすぎて恥ずかしいので、こっそりとね!)  何気ない一文にふと涙がこぼれた。一文、一文が、私たち読者に寄り添ってくれているようだった。かと思えば、少し離れたところから見守ってくれているときもあって。さみしくて、美しくて、それでも芯がある。陽光を浴び、春風に揺れる梢みたいな言葉たちが愛おしかった。  この物語の人たちは、みな喪失のただなかにいる。けれどそこに、可哀想を演出しようとする思惑は一切感じられない。大袈裟な表現もない。作為的な感動もない。ただ、かなしみを乗り越えようと生きる、ありのままの人間がいる。「喪失」をこれほどまでにあたたかく描いた作品に、私は初めて出会った。もし、数少ない身内を失ったとしても、この本があればなんとか生きていけるはずだと、少しの勇気を分けてもらえた。  最近あった出来事も忘れぬよう書いとこ。(この小説を読んでいる最中だったので、悲観せずにすんだのです。)  パスポートのために、戸籍謄本を発行する手続きをしていたとき。筆頭者、というのが誰なのかいまいちわからず(無知すぎる)、母に電話したところ、 「あんたひとりで、あんたが先頭よ!私はもう抜けとるよ!」 そう言われて、 「え?!私ってひとりなの?!」 と、なぜだか大笑いした。母も笑っていた。愉快なわけでもないのに、こんなに笑うことってあるんだなあと思った。突然吹きつけた孤独が、妙に可笑しかった。  母とは超仲良しなのに、この紙切れ上では除籍扱いでいないことにされてて。半分育ててくれた祖母の名前も、どこにもなくて。(祖父母は記載しないんだと。)ひとりのはずないと思って生きてきたけれど、この紙は私をひとりだと言う。誰と一緒にいても、どこに行っても、なーんか空しい感じがしたのはコイツのせいかもしれない、と思った。ので、コイツ(戸籍謄本)のせいにすることにした。私はひとりじゃない。  そうやって、なにかのせいにしながら、少しだけ、都合よく思い込みながら生きていくのも、たぶん悪くない。そんなふうに、この物語は、読む人それぞれに抱えた「さみしさ」や「むなしさ」を、やわらかく肯定してくれる。このまんまでいいや、と思える。  みかげだって、えり子さんとも雄一とも、おなじ紙の中にはいないけれど、三人は深くつながっている。さつきと柊とうららも。奇妙な縁で結ばれた人に、ある一瞬、救われることがある。それは、喪失を抱えた者同士の傷の舐め合いだという見方もあるかもしれない。失った誰かを、別の誰かで埋めようとしているだけだと。それでも、その瞬間、その人とでしか分かち合えないものがある。たとえ、乗り越えた先に別れが待っていても、共に生きた瞬間が間違いだった、なんてことはないと思う。  私もたくさんの人たちとつながって生きている。紙の中に名前はなくても。ほんとうに周りには恵まれてばかりだから、月並みだけれども、感謝の気持ちを忘れないようにしたい。  私がこの世でいちばん好きな場所はどこだろう。まだ見つかっていない気もするし、もう知っている気もする。本があればどこだっていいかあ。
  • 2026年4月12日
    君のクイズ
    「白い光の中にいた。下半身の感覚がなくて、宙に浮いているような気分だった。」  面白い!!ナンコレおもしろ!!  結末も私的にはすごく気に入った!  一人称で短文を連ねる作風がすきだ。主人公の思考の速さが、こちらにも手にとるように伝わる。私もよく思考がジャンプしたり、勝手に連想ゲームを始めてしまったりするので、この速度が心地よかった。(考えていることは主人公みたいに賢くはないけれど…)  「OTPP」という四文字を目にした直後に「PPAP」がよぎる。脳内で、豹柄らしきストールを身につけた男が奇妙なダンスを披露する。いつ流行ったっけ。何者だったんだあれは。そういえば、金曜日に前の席の人がZIPファイルにパスがかからないって嘆いていたけど、できたのかな。などと脈絡なく考えていると、主人公もおなじように「PPAP」に飛んでいて、なんか、嬉しくなった。仲間見つけた感。  映画になるらしい。思考がメインの文章だけれども、どう映像化するのだろう。でも神木くん出てるから間違いない説あるな。  読んだ人たち!みんな観に行こうね〜約束🫶
  • 2026年3月29日
    さよならジャバウォック
    「なぜかしら、頭がいろいろな気持ちでいっぱい」  不眠ついでに読了。伊坂幸太郎が大すきだー。  新作が出たら内容も見ずに即購入してしまうのは私の悪い癖。まあ後悔したことはないからいいか。  伊坂作品あるある。読んでいる最中はもやもやしたり、いらいらしたり、感情が大きく揺さぶられる。けれど読み終えると、霧が晴れたあとの青空を見上げたときのような、澄み切った爽快感と充足感でいっぱいになる。どんな結末であろうと。今回もそれ。  抑えられないほどの激昂。ぜんぶ脳の仕組みのせい、ジャバウォックのせい、なにかのせいにできたらどれほど楽だろうか。そうも思ったが、自身の中にある激情を受けとめ、理性的でありたいともがく姿をやさしさと呼ぶのだろうな。つまり、凍朗は最後までやさしい人間だったのだ。怒りと慈愛は表裏一体。そんなことを考えさせられるラストだった。
  • 2026年3月29日
    堕落論
    堕落論
    「半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。」  坂口安吾という人間の考えを、ひとつ残らず読み落としたくないと思うほど夢中になった。  死をも恐れぬ精神が美徳とされた時代。そんな中で、堕落こそが人間の本質なのだと、異端ともいえる考えを世に発した彼の覚悟に、いまを生きる私も救われたような気持ちになった。  高尚な人ばかりが模範であるかのように扱われるのは、現代もおなじ。故に、そこから逸脱している、欠落していると感じる部分を自ら責めてしまうことも多い。怒ったり、恥じたり、涙を流したり。みっともないところもひっくるめて、人に生まれてよかったと心から思える日が、いつか私にも訪れるだろうか。  それはそれとして、理想や理屈を語り倒したあとに、真の欲望を吐露する構成を私は愛している。しかもその欲は、常人が口にすることを躊躇うほどの正直なもの。安吾の文章からも、もはやユーモアとも呼べるような欲が垣間見える。  運命に従順な姿(老いていく、廃れていく姿も含め)は奇妙に美しいとか、美しいものを美しいままで終わらせたい人情があるとか、未完の美は美ではないとか。あれこれ述べた末に、「これは私には分からない。私は二十の美女を好む」に辿り着くところが最高に人間。しかもそれを言っちゃう正直さ。矛盾を矛盾のまま受け入れる、ある種の強さ。なんて魅力的なんだろう。私が心惹かれる人間は、みんなこの世にいないなあ。  てか、やっと春だなあ。安吾の小説は桜の木のあの、化物のやつがいちばんすき。春はどうにも落ち着かなくて、そわそわして、目が冴えてしまう。このままそっと起きておいて、朝になったら桜を見にいってみるのもありかも。いや、寝るかも。
  • 2026年3月20日
    永遠をさがしに
  • 2026年3月16日
    一次元の挿し木
    一次元の挿し木
  • 2026年3月12日
    耳たぷ
    耳たぷ
  • 2026年3月10日
    失われた貌
    失われた貌
    「ケトルで湯を沸かしはじめたところにスマホが鳴った。」  おもしろくて不眠が加速した。ミステリ小説で涙が出たのは初めての経験だった。読み終わってふと帯に目を落とすと、「どんでん返し」と大きく書かれているのが余計なひと言に思えてしまった。もちろん評判のとおり、数多の伏線がひとつに繋がる結末は大変美しいと感じたけれど、この物語の核はそこではないと、私はあえて言い切りたい。 ネタバレになるかも ↓  私はこの小説の登場人物をすごく気に入っている。矛盾を抱えているけど憎めない、ユーモアがあって人間味に溢れている。人物の描き方が誰一人手を抜くことなく丁寧だからこそ、私は主要人物全員に共感せずにはいられなかった。その結果、最後には一人ひとりののっぴきならない事情、変えることのできない真実、全員の思いが交錯して、自然と涙が溢れてしまった。全員が今、そこに立って息をしているかのような感覚だった。  この登場人物の魅力は、緻密な比喩と情景によっていっそう際立っている。景色が鮮明に描かれるほどに、そこで息をする人物たちの心のうちもまた、あざやかに浮かび上がってくる。月の満ち欠けを用いて心情や物語の行末を示唆するところは、どこか純文学を想起させる。とても好み。会話や行動が主となるミステリで、こうした象徴的な表現を取り扱うのは珍しいなと思った。  このあと他のミステリ小説を読むたびに、この作品と比較してしまうかもしれない。比較してさらに双方の魅力が増すような、そんな力も持っている作品だとも思った。
  • 2026年3月4日
    ことり
    ことり
  • 2026年3月4日
    博士の愛した数式
  • 2026年3月4日
  • 2026年2月27日
    いなくなくならなくならないで
    「ファントムバイブレーションシンドローム」  二人の女性が中心の物語。  友情ではないし、執着とも少し違う。曖昧で切実な関係。ただ、理想のあなたを押し付け合っている。  価値観の似た人と共に過ごしたいと私は常々思っていたけれど、読み終わって自分自身の人間関係を振り返ってみると、どちらかというと倫理観とか、道徳心のようなものが一致している人の方が多い気がする。この物語の二人がそうであるように。  何をどこまで許せるのか。してはいけないことと、してもいいこと。その線引きが同じ人、もしくは同じように変遷していった人としか、長いあいだ隣を歩くことは難しいのかも。  許容範囲が一致するだけでも十分なことであるのに、二人は互いの欠けている部分を補い合おうとしてしまう。結局、死ぬまで自分のことしかわからないのが人間なのだから、自己理解の一端を他者に委ねたところでうまくはいかない。身体のどこかにあいた見えない穴は、他人では決して埋めることなんてできない。  じゃあ穴があいてしまった人はどうすればいいのだろう。答えが見つかるかと思ったが、最後まで読んでも見つけられないままだった。  でもそれでいいとも思った。穴があいたまま生きていたら、その穴になんかいいものが落ちてくるかもしれないし。ラッキー人生万歳。
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