凧 (panta rhei 叢書)

凧 (panta rhei 叢書)
凧 (panta rhei 叢書)
河野道代
panta rhei
2017年12月27日
1件の記録
  • Yo
    Yo
    @otsuki
    2026年8月2日
    「いかのぼり」と打ち出すことで凧を現前させることは、受け取る側の「暗黙の諒解事項」である前に、実作者の生理であろう。非在を取りのならば、上五はその語を置くにふさわしい場所ではない。批評が、作者の意図を超えたところで作品を思いがけない光の下に輝かすことは、あってしかるべき行為だが、それは作品を成立させている語の構成を無視して成り立つものではない。 蕪村は知られるように、郷愁の人であり、時間に対する感覚を作品化しえた数少ない俳人である。しかし、「きのふ」は昨日でよいではないか。「きのふ」を「少年の日」や「遠い過去」といった個人的かつ通念的な感傷から切り離すことで、一句は普遍の時間論をふくむものとなる。作者の思いを代弁するかの記述で作品を解き明かすことが解釈者の任務とされてきたのだろうが、腑に落ちるかたちにまとめられた作品は、いともたやすく鑑賞の中で費されていくだろう。 この容易に理解をゆるさない、超逆的な詩語が現れるのは、およそ曖味さの対極においてである。実作者の側から言えば、しばしば自分を超えて天啓のように到来するが、それはいわゆる霊感などとはまったく異なる。作品展開上の論理に沿って、語意と韻律とを量的にあわせもつ物質としての、ありうべき性一の言葉を考えつめていくうちに、不意に、なにか自分を超えた瞬間の衝撃として獲得されるのである。そのような熟考の結果した言葉を安易な理解の文脈に絡め取ろうとする行為は、おのずと作品から逸れて、評者の感受性の限界を露わにするだろう。
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