読むことのアレゴリー

読むことのアレゴリー
読むことのアレゴリー
ポール・ド・マン
土田知則
講談社
2022年12月15日
4件の記録
  • Autoishk
    Autoishk
    @nunc_stans
    2025年4月5日
    プルースト論があまりにも面白すぎる。 「〈真実〉と〈誤謬〉という一対のアレゴリーが、交替的な二極性がとりわけ顕著に立ち現れるこの一節を支配している。しかし、この喜劇めいたコンテクストでは、代替の連鎖が原点の完全さを確保することはまずありえない。生温かい液体は本物のお湯の劣化した姿だが、そのお湯も珈琲の劣化した代替物なのだ。台所女中はフランソワーズのうすぼんやりした影に過ぎない。誤謬は真実と入れ替わることで、後者を劣化・疲弊させ、この一節全体を汚染するような連続的堕落を引き起こす。真実と誤謬という最初の対立関係を後ろ盾にしたとき、このあと出現する二極性はすべて守勢に立つことを余儀なくされるだろう。  したがって、読むことは、テクストのはじめから、脅迫/防御という劇的抗争の中での守勢的な動きとして演出される。内部の守護された場所(巣窟、小部屋、寝室、秣小屋)は、外部世界の侵入に対してみずからを防御しなければならないが、その外部世界からいくつかの属性を借りてこなければならない。」(『読むことのアレゴリー』p.116) 「祖母が「マルセルに外へ行くよう懇願する」とき、彼は彼女が代弁している道徳的な命令に背き、読書とそれにともなう多少ともいかがわしい快楽を放棄せずにいることを正当化しなければならない。つまり、この読むことについての一節は、想像力と活動の調整を試み、両者のあいだに存在する倫理的な衝突を解消しなければならないのだ。(…)隠喩の成功と明白に関係のある倫理的な問題は、プルーストの中心的モティーフである罪と背信ーーこれらのモティーフは、語り手と自信との関係だけでなく、彼と恋愛や愛情によって結ばれる人たちとの関係も支配しているーーと密接なつながりを有している。罪は、この小説が陰鬱な調子で絶えず喚起する、読むこと、そして書くことと常に緊密に結びつけられているのだ。この隠喩と罪のつながりは、自伝的虚構作品に繰り返し立ち現れるテーマの一つである。  だが、原因が結果を決定づけるように、主観的な罪悪感が修辞的戦略を動機付けると結論すべきではない。主体の倫理的関心が比喩の創出を決定づけたとするよりも、言語の修辞的潜在能力が罪をテーマとして選び取ったという方がより正しいだろう。プルーストはみずからが罪深いと感じていたがゆえに隠喩を創出したのか、それとも隠喩を用いることを可能にするために自分は罪深いと言明しなければならなかったのか。それについては誰も決定的な答えを提示することはできない。(…)結局、この問題は未決のまま宙吊りにされなければならないのだ。だが、語り手は何らかの理由で、隠喩の成功に直接関心を抱いていたかも知れないとほのめかすことで、隠喩の操作的有効性を強調し、仲介的な一連の隠喩によって、読むことから活動へと移行する際に交わされる約束に対して、ある種の批評的慎重さを維持することもできるだろう。」(p.122-123)
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