旅を栖とす

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- パッタイ@8917_wg2025年4月13日読んでる読み終わった母におすすめされたけど読まずに棚に置いてあった本だけど、最近旅行に行きたい欲が高まって自然と読もうと手が伸びた一冊。ますます旅行に行きたくなった。 読んでて共感できるところ、自分の経験と重ね合わせたところ、色々あった。 ・タイで物乞いの子供達に会った時の文。「接し方がわからない。一時の感情で買わない方がいいんじゃないか?果たして本当の支援になっているのだろうか?と、考え込むことばかりだった。」 小学生の時にセブ(かマニラ)に行った時物乞いの子供に遭遇したことを思い出した。当時は小学生ということもあって状況を飲み込めず、怖いっていう感情しかなかった。1人にあげたら囲まれるだろうし、大抵大人に指示されてやっているだろうし、どうするのが正解なのかわからない。(そもそも正解なんてないのかもしれない)自分の気持ちに素直になるのが1番良いのかなとか思う。 ・「私は最後に彼にお金を渡そうか一瞬迷ったのだ。そうすれば、最後笑ってさよならができたのかもしれない。でも、私はどうしても渡せなかった。せっかく芽生えた友情とか今までの楽しかったカンボジアでの数日間が、その行動で全部消えてしまう気がして、できなかった。私は、あくまで対等でいたかった。」 この最後の対等って言葉、よくよく考えるとすごく傲慢だなと思った。日本語の教材よりもただお金が欲しいと思ってる相手側は、こちら側と対等だなんてそもそも考えてないだろうから。でもこの考えがそもそも傲慢というかひどいとも思うし。対等ってなんだろう。 ・「こういう日を思い出すとき、私は穏やかで温かい気持ちになり力が出てくる。一緒に旅をした夫婦は元気にしているだろうか。ドリスは今年もラマダン中の砂漠ツアーを乗り切っただろうか。出会った少年少女達は健やかに育っているだろうか。たとえ、自分だけが地の果てに落ちたように思える夜も、遠くの地でそれぞれの今に向きあいながら生きる彼らを思うと立っていることができる。私達は同じ時代を生きる運命共同体なのだと思う。」 「私たちは同じ時代を生きる運命共同体なのだと思う」って文、最高すぎる。海外行ってる時、この人たちも同じ地球に生きているんだなあとか、今頃日本じゃせわしない日々だろうなあとか思うし、帰国した後も、あっちは今頃なにしてるころかなとか思いを馳せたりするんだけど、運命共同体とまでは発想できたことなかった。この言葉選びにビビッときた。