紀行とエッセーで読む作家の山旅

紀行とエッセーで読む作家の山旅
紀行とエッセーで読む作家の山旅
山と溪谷社
山と渓谷社
2017年2月1日
1件の記録
  • いももち
    いももち
    @imomoti
    2026年9月26日
    【太宰治 富士に就いて】 私は、この風景を、拒否している。近景の秋の山々が両袖からせまって、その奥に湖水、そうして、蒼空に富士の秀峰、この風景の切りかたには、何か仕様のない恥かしさがありはしないか。これでは、まるで、風呂屋のペンキ画である。芝居の書きわりである。あまりにも註文どおりである。富士があって、その下に白く湖、なにが天下第一だ、と言いたくなる。巧すぎた落ちがある。完成され切ったいやらしさ。そう感ずるのも、これも、私の若さのせいであろうか。 所謂「天下第一」の風景にはつねに驚きが伴わなければならぬ。私は、その意味で、華厳の滝を推す。「華厳」とは、よくつけた、と思った。いたずらに、烈しさ、強さを求めているのでは、無い。私は、東北の生れであるが、悶民を弁ぜぬ吹雪の荒野を、まさか絶景とは言わぬ。人間に無関心な自然の精神、自然の宗教、そのようなものが、美しい風景にもやはり絶対に必要である、と思っているだけである。 富士を、自扇さかいまなど形容して、まるでお座敷芸にまるめてしまっているのが、不なのである。富士は、溶岩の山である。あかつきの富士を見るがいい。こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色に光っている。私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる。茶店で羊羹食いながら、白属さかしまなど、気の毒に思うのである。なお、この一文、茶屋の人たちには、読ませたくないものだ。私が、ずいぶん親切に、世話を受けているのだから。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【川端康成 神津牧場行】 軽井沢方面から行った、若い詩人づれは、牧場の宿帳に私の名を見つけて、ほんとうに登って来られたのかと、半信半疑であったという。私の健脚を知らぬとは、失礼千万な話である。しかしまた、文壇随一の虚弱者(外見は)の私や、美容師の芝山みよか女史にさえ、楽しい旅であったということは、神津牧場難路にあらずの、生きた証拠として、このコオスのハイキング史上に、燦然と輝くであろう。 ⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆ 【与謝野晶子 高きへ憧れる心】 と云って山は如何に爽快でも其処に久しくは留まれない。人間はやはり人間が自然よりも余計に恋しい。或る日数以上、山に滞在すると寂しくてならない。山上の視野が広いのに対して、人間の余りに孤小なことさえ感ぜられて寂しくなる。山には早く秋が来るので、八月の末頃まで山にいると、夜など泣きたいような心もちを覚える。高野山や吉野山に住んだ西行がしばしば京に帰って来たのも、こう云う人間思慕の心からではなかったか。 山から帰る心は浄められている。調ゆる六根清浄である。この清く健かになった心を持って、新しく地上の生活に参加し活動する。そうして又彼の天の高きにあこがれ、登山の楽みを今年も試みようとする。
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