天才の世界

5件の記録
ジクロロ@jirowcrew2025年11月5日ちょっと開いた「湯川 彼(ゴーゴリ)にとっていちばん深刻なことは、やはり悲劇という形でしか表現できない。むしろ喜劇として表現するから、ますますそれが深刻になる。そんなことを彼自身よく知っておったんじゃないですかね。 ーーそういたしますと、これはひじょうにおもしろい問題を出されたんですが、真の喜劇というものは、ある意味では、いわゆる悲劇よりも深いものを、表現しているのかもしれませんね。 湯川 それがほんとうの、すぐれた喜劇でしょうな。」 悲劇というものは、主人公の視点から捉えられたリアルな世界、主人公の感情がそのままの姿で物語となる。 喜劇とは、その悲劇を俯瞰している状況、つまりその状況の外にあるものが、その場に蔓延る力学から距離をおいている状況。責任がないからこそ、笑える状況。正直者にしか見えない服を見にまとった王様を、「裸のおやじ」と描写できる立場。 ゴーゴリは、自身に起こる悲劇を、後者の立場で描いた。自分の人生は自分にとって悲しいはずであるのに、それを笑える者にした。そして当の本人は側(はた)から見たら笑える状況から、それが笑えるものと理解しつつも抜け出すことができなかった。むしろその作品の悲しみの中に、第四人称として参加していた。 すぐれた喜劇というものは、その描写にリアリティ(客観性)を纏い、どうしようもないリアルな悲劇をその通奏低音としているということか。
