路上のジャズ

2件の記録
- DN/HP@DN_HP2025年5月9日読み終わった破壊せよ、とアイラーは言ったコルタサルからジャズを媒介にして中上健次。路上のジャズ。路上の読書。 「その頃を、小説に書きたくない(書いてるけど)」、振り返れば大切で哀しかった、ジャズと共にあった青春。繰り返し語られる、「1960年代、新宿、ジャズ喫茶」。特別だった時代と街、音楽。フリージャズ。 カルチャーのムーブメントが沸き立つ時代と、青春時代が重なる世代というのがある。耽溺しそのことだけを考え、このカルチャーは自分のためにある、そう思える、思い込んでしまうような人間がいる。多分、どの世代でも。青春とはそういうのもだ、これも多分。 そんな人間が音楽を通して書いた青春時代を読む。熱くて哀しい、捻じ曲がっているけれどまだかたちの定まらない、苦悩と衝動が同居していた、音楽と”薬“のなかで語られるそんな時代の話。ここにあるのは青い情念だ。少しくらう。その時代にはまだ鳴っていなかった阿部薫のジャズをまた思い出す。と同時にわたしの青春時代も湧き上がってくる。 わたしにもそんな時代と街、「自分のためのカルチャー」がたしかにあったのだ。1990-2000年代、新宿(幾つかの街にも入れ替えられる)、ハードコア・パンク。そのなかのひとつのムーブメント。そこで流れていた音楽は「破壊せよ」ではなく「自分でやれ」と言っていた。その“言葉”に受けた影響は今も残っている。 その時代と街と音楽に思いを馳せる。制服で行った小瀧橋通りのレコードショップ、その裏のリハーサル・スタジオ、初めて体験したスタジオでのショウ。封筒に入ったデモテープ。A4サイズのファンジン。エモーショナルで哀しみ“も”表現しようとしていたハードコア・パンク。印象的だったエピソードと街の情景、そこにいた人々の顔も、音学と一緒に久しぶりに思い浮かんだ。もう失くしてしまったと思っていた、大切に繰り返し語りたい物語に思いがけず再会した気がした。そういえば、ジャズ、特にフリージャズを聴きはじめたのは、このとき大好きだったバンドのメンバーの影響だ。そのときに知った音楽は今でも大切に聴いている。アイラーもその時に知った気がする。 当時使っていた言葉でいうなら、これはエモい話だ。その頃からずっとそんな音楽と、今ではそんな文章、物語が好きなのかもしれない。好きなのだ。読みながら流していた、アルバート・アイラーのゴーストも、今はとてもエモかった。少し泣きたい、と思った。 本文中にコルサタルの名前に出会って、解説には読んでいた短編のタイトルも出てきた。嬉しくなる。この読書のフロウ、それにわたしの青春時代も間違っていなかった、と少し強引に思いはじめている。間違っていても良いというか、間違いなどないのかもしれないけれど。上向いた気分で、苦手かと思っていたマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」を聴いてみる。少し分かった気がした。
- DN/HP@DN_HP2025年5月7日目次で気になったページを開く。 「すべてなにもかもあの時、耳にしていたアイラーのフリージャズが悪いのだ、とひとりごちた。フリージャズ。フリー。あの時も、今もその言葉が好きな事には変りない。十八歳の時、こんな小説を書いた。読んでみてくれ。」 読んでみるしかないではないか。