喪男の哲学史

2件の記録
- Hinako@Lady_Hinako2025年10月10日めっちゃ面白かった! 2006年の本なのでもう19年前の本なんだけど、最後の章は、現在を予言している様な所もあった。 今出版したらフェミの皆さんに袋叩きにされそうな箇所もあった笑。 ソクラテスプラトンからフロイト岸田透まで〜あらゆる哲学者の思想を喪男(モテない男)の高度なメタ認知で面白く説明してくれている。 筆者は哲学者じゃなくて、自身も喪男の小説家という事で、哲学者のあの難解な文体は全くなく面白くてわかりやすくて読みやすい!が、とにかく文量がすごい笑。 脚注も面白いから全部読んじゃうと、本編の1.5倍くらいあるイメージ。 自我の保護装置としての「神」→「国家」→「資本主義」→「恋愛」の思想歴史の流れをまるっとおさらいできる。 人間ってずっと「自分の不安を埋めるための仕組み」を作り続けてきたんだな、ということ。 自我って本来すごく不安定で、放っておくとすぐ孤立してしまう。 だから人は、安心を得るためにいろんなものを信じたり、作ったりしてきた。 最初は神。神がいれば、自分の存在に意味があった。 でも神が弱まると、今度は国家にすがるようになって、 共同体の一員であることが自我の支えになった。 そのあとに来たのが資本主義。 モノを持つことや、何かを買うことで「自分はちゃんとしてる」って思えるようになった。 そして現代は恋愛至上主義。 誰かに愛されることが、存在を保証してくれる最後の装置みたいになっている。 でも最近は、その恋愛すらもSNSの中に置き換わってるよね。 「いいね」やフォロワーの数が、まるで新しい神みたいに、自分の価値を決めてくれる。 そんな流れの外にいるのが、“喪”の人たちだと思う。 “喪”って、ただモテないとか、社会の外れにいるってことじゃない。 むしろ、「補うことをやめた人」だ。 神にも、国家にも、資本にも、恋愛にも頼らず、 足りないままの自分を、そのまま受け入れる。 それって、一見さびしいようでいて、実はすごく自由なことなんじゃないかと思う。 何かで自分を埋めようとしない。 虚無を抱えたまま、生きていける強さ。 それが“喪”という在り方の、本当の意味なのかもしれない。 著者が現代の「三次元一元論主義」と言う考え方を私に与えてくれた!それだけでもすごいアハ体験だ、ありがたい。 今読み終わったけど、もう一回読みたい〜。