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- 氷うさぎ@yomiyomi2025年8月2日公共性フランス…「個人および国家」と「中間集団」が対立項をなす。 アメリカ…「個人および中間集団」が「国家」と対立する 日本…「個人」が「中間集団および国家」と対立項をなす。「逆にいえば、ここでは「個人」が共同性と公共性を求めてゆくことは、ただちに「国家」ないしその下部組織たる「中間集団」に吸収されることを意味し、それを逃れるには「個人」の位置にとどまるしかない、と意識されやすい。」 「この前提を踏まえたうえで、どのように新たな共同性と公共性を構想しうるか。この小論でそれに答えるのは難しいが、最低限いえるのは、共同性の再建が同時に国家からの独立である方向を探らねばならないことである。 例として家族についていえば、大日本帝国期には「忠孝一本」が強調された。これは、親にたいする「孝」と国家にたいする「忠」の連続を示す表現であり、同じく儒教文化圏といっても中国などでは「孝」と「忠」の対立が思想上の問題となることと対比される。この「忠孝一本」の典型例は、軍隊の虐待から脱走してきた息子を、「親不孝者」と非難して当局に通報した母親のような存在であろう(これは実話である)。 こうした「家族」の共同性が、親の権威が弱体化すれば簡単に崩壊してしまう性質のものであろうことは、いうまでもあるまい。これを過去の軍事国家の極端な事例と思うならば、現在でも国家の定めた義務教育で不登校に陥った子どもを、「親不孝者」とみなさない親がどれだけいるかを考えてみればよい。構成員にたいし、自分の存在が上部の権威よりも尊重されているという感覚を持たせられない空間は、真の共同性の場とはなりえないのである。」 ((社会学評論』第五〇巻四号、二〇〇〇年、所収)「日本型」近代国家における公共性 p. 171 より抜粋)