駈込み訴え

1件の記録
- はる@tsukiyo_04292025年6月10日読み終わった太宰治の妻・美知子さんが書き取った、口述筆記の小説。 水が流れるように言葉が入ってきて、一気に引き込まれた。 【以下、ネタバレあり】 . . . . . ペテロに何が出来ますか。ヤコブ、ヨハネ、アンドレ、トマス、痴(こけ)の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、 (P254) . この部分で、「あの人」はイエス・キリストのことかな?と思ったが、例えて言っているだけかもしれない、という気持ちも拭えないまま読み進めた。 しかし「私たち師弟十三人は」(P266)で「あの人」がイエスだと確信した。 遅かったかもしれないが、キリスト教に明るくないため、読み取れていない部分も多くあったと思う。 村の女性がイエスの頭に香油を注いだとき、イエスはこう言う。 . この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。 (P259) . 「私の葬いの備えをしてくれたのだ」という言葉は、「終油の秘蹟/病者の塗油」のことを言っているのかなと想像したが、この女性が香油を注ぐ場面がまさに「ナルドの香油」のことだったのだと、あとから調べて分かった。 . ひどく物憂そうな口調で言って、音無しく食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る。」と顔を伏せ、呻くような、歔欷(きょき)なさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、罵り騒ぎ、 (P269) . この場面は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』そのままだ!と、絵を思い浮かべながら読んだ。 そして、そういえばあの絵には「裏切り者」がいた気がする、ということを思い出した。 . おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。 (P271) . ここからラストまでの、「やっぱりお前だったのか!」というスッキリ感は痺れるほどだった。 商人・ユダのイエスに対する感情は、「愛」と「憎」が入り混じり、生々しくとても人間的で、遠い世界の話だと思っていた彼らを、とても近くに感じられたような気がした。