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@tsukiyo_0429
【読書】小説・短歌・歴史【言語】日本語教育/英会話学び直し/2021年4月から趣味でドイツ語を勉強中🇩🇪/独検3級・ゲーテA1💮【💡】読書はゆっくりペース/江戸・プロイセン・ドイツに興味があります/hanatama様フリーアイコン
  • 2025年7月4日
  • 2025年7月3日
    革命前夜
    革命前夜
  • 2025年6月28日
  • 2025年6月27日
    新樹の言葉
    『愛と美について』二作目の小説。 郵便屋の男性も、主人公・青木大蔵と乳兄弟だと言う内藤幸吉もその妹も、健やかでまっすぐで、人を疑うことのない無垢さを持っていて、なぜかとても切なくなった。 大蔵があくせくして、どうにかこうにかしようとしているうちに、穏やかに手を差し伸べるような純粋さがあり、幸吉が母親(大蔵の乳母)や家を懐かしそうに語るたびに、泣きたくなってしまった。 太宰作品に出てくるこういう人を見ると、眩しくてたまらなくなってしまう。 料亭となった元実家が火事で燃えたときに、幸吉が言った言葉が印象的だった。 「焼ける家だったのですね。父も、母も、仕合せでしたね」(P291) 切なく、しかし爽やかさを感じる作品だった。 . その夜、私は、かなり酔った。しかも、意外にも悪く酔った。子守唄が、よくなかった。私は酔って唄をうたうなど、絶無のことなのであるが、その夜は、どうしたはずみか、ふと、里のおみやに何もろた、でんでん太鼓に、などと、でたらめに唄いだして、幸吉も低くそれに和したが、それがいけなかった。どしんと世界中の感傷を、ひとりで背負せられたような気がして、どうにも、たまらなかった。 (P284)
  • 2025年6月24日
    太宰治全集(10)
    『海』 短い随筆だが、とても味わい深い文章だった。 毎日のように爆弾が落ちる日々の中、自分の娘のことを考える太宰。 もしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子は海というものを一度も見ずに死んでしまうのだ、と思い、せめて海を見せてやりたいと願う気持ちは、親の愛を感じるものだった。 しかし疎開先の津軽に向かう電車で海を見た娘は「川だわねえ、お母さん」と平気でいる。 娘に海を見せてやりたい一心で騒いでいる太宰の姿が愛おしく、なんとも可愛らしい話だった。
  • 2025年6月24日
    秋風記 太宰治集 (古典名作文庫)
    『愛と美について』一作目の小説。 . あの、私は、どんな小説を書いたらいいのだろう。私は、物語の洪水の中に住んでいる。役者になれば、よかった。私は、私の寝顔をさえスケッチできる。 (P249) . この書き出しから、ぐっと心を掴まれた。 自分の寝顔をスケッチできるということは、寝ているときでさえどんな顔をしているのか分かる、それほどまでに「役を演じている」ということなのだろう。 生まれて来なければよかった、という気持ちが、主人公とKの中に蔓延っていた。 自分の内側に漂う希死念慮を、浮かべたり沈めたりしているように見えた。 それでも怪我をしたら病院に行き、治してもらう。 そのやりきれない矛盾を抱えながら、それでも生きていく、生活をしていく。 そんな二人に強さを感じたと同時に、とても胸が締めつけられた。 とても好きな作品だった。 . 『読者に』(『愛と美について』冒頭) こんな物語を書いて、日常の荒涼を彩色しているのであるが、けれども、侘びしさというものは、幸福感の一種なのかも知れない。私は、いまは、そんなに不合せではない。みんなが堪えて、私をゆるしてくれている。思うと、それは、ずいぶん苦になることばかり、多いのであるが。 (P248) . ひとことでも、ものを言えば、それだけ、みんなを苦しめるような気がして、むだに、くるしめるような気がして、いっそ、だまって微笑んで居れば、いいのだろうけれど、僕は作家なのだから、何か、ものを言わなければ暮してゆけない作家なのだから、ずいぶん、骨が折れます。僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛ずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折って、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は、人間でないのかも知れない。 (P252〜253)
  • 2025年6月13日
    口の立つやつが勝つってことでいいのか
    「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける」 この言葉をSNSで知り、読もうと決めた。 以前読んだ『カフカ断片集』を編訳された頭木さんのエッセイだ。 手術で入院中、一気に読んだ。 入院期間は短かったが、その間、私の話し相手になってくれた一冊だ。 緩やかに素直に綴られていく文章は、入院中でも負担にならず、楽しく読み進めることができた。 普段は当たり前のように受け流していたことを、ちょっと立ち止まって眺めてみるような本だった。 世の中で「良し」とされていることだけではなく、そうではないものも含めて、「これでいいんだ」と、考え方のゆとりを生んでくれた。 読む前よりも、物事を穏やかに捉えられそうな気がした。 カフカの話がたくさん出てきたので、またカフカの作品を読んでみたくなった。 . その水にしっくりなじめる魚は、その水のことを考えなくなる。その水になじめない魚だけが、その水について考えつづけるのだ。 (P139) . カフカは炭坑のカナリアのような人だと思う。他の人が平気なうちから、まず最初に苦しみだす。そして、文学という悲鳴をあげてくれる。それによって、鈍感なこちらも気づける。 私はずっと、カフカというカナリアを頼りに生きている。 (P177) . 『明かりがないと生きていけないという思い込み』 人生のほうも、暗いままなのは同じでも、そうやっていくらか平気に歩いていけるようになるといいのだが、こちらはなかなかそうもいかない……。 ただ、明かりがないと生きていけないという思い込みは、少しは減ったかも。 本のたとえは、懐中電灯と言うのはやめて、今は次のように言っている。 明るい道を歩いているときには、ひとりでもぜんぜん平気です。でも、日が暮れて真っ暗になった道をひとりで歩かなければならないとなったら、やっぱり心細いですよね。そんなとき、いっしょに歩いてくれる連れがひとりでもいたら、ずいぶんちがいます。そういう人が見つからないときでも、いつもいっしょにいてくれるのが本です。 (P183)
  • 2025年6月12日
    「谷川俊太郎詩集」5月
    番組視聴後に読了。 以前読んだ詩集を思い出しながら読んだ。 詩の全てを理解する必要はない。 自分自身でじっくり味わって、「気になるところ、つながりを感じるところを扉にしながら、その奥の世界に入っていけばよいのです」(P25)という言葉がたいへん励みになった。 紹介されている作品を読みながら、自分の中での広がりを楽しむことができた。 以前詩集で読んだ作品でも、音読という形で聴くと印象が変わるものがあった。 こういうところも、詩の魅力の一つだと思う。 . 本当に大切なものとの関係を真に深めたいのであれば、私たちはいつも「戻る」準備をしておかなくてはならない。大切なものは前方にあるとは限らず、私たちがすぐには気が付かないような姿で過去に存在しているかもしれないからです。 (P15) . 詩とは言葉の芸術だと述べましたが、同時に沈黙の芸術でもあります。書かれている言葉よりも、余白のほうがずっと大きい。そして、その余白に私たちは、意味もちからも感じているのだと思います。 (P40)
  • 2025年6月10日
    駈込み訴え
    太宰治の妻・美知子さんが書き取った、口述筆記の小説。 水が流れるように言葉が入ってきて、一気に引き込まれた。 【以下、ネタバレあり】 . . . . . ペテロに何が出来ますか。ヤコブ、ヨハネ、アンドレ、トマス、痴(こけ)の集り、ぞろぞろあの人について歩いて、 (P254) . この部分で、「あの人」はイエス・キリストのことかな?と思ったが、例えて言っているだけかもしれない、という気持ちも拭えないまま読み進めた。 しかし「私たち師弟十三人は」(P266)で「あの人」がイエスだと確信した。 遅かったかもしれないが、キリスト教に明るくないため、読み取れていない部分も多くあったと思う。 村の女性がイエスの頭に香油を注いだとき、イエスはこう言う。 . この女を叱ってはいけない。この女のひとは、大変いいことをしてくれたのだ。貧しい人にお金を施すのは、おまえたちには、これからあとあと、いくらでも出来ることではないか。私には、もう施しが出来なくなっているのだ。そのわけは言うまい。この女のひとだけは知っている。この女が私のからだに香油を注いだのは、私の葬いの備えをしてくれたのだ。 (P259) . 「私の葬いの備えをしてくれたのだ」という言葉は、「終油の秘蹟/病者の塗油」のことを言っているのかなと想像したが、この女性が香油を注ぐ場面がまさに「ナルドの香油」のことだったのだと、あとから調べて分かった。 . ひどく物憂そうな口調で言って、音無しく食事を始め、ふっと、「おまえたちのうちの、一人が、私を売る。」と顔を伏せ、呻くような、歔欷(きょき)なさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ、それは私のことですかと、罵り騒ぎ、 (P269) . この場面は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』そのままだ!と、絵を思い浮かべながら読んだ。 そして、そういえばあの絵には「裏切り者」がいた気がする、ということを思い出した。 . おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。 (P271) . ここからラストまでの、「やっぱりお前だったのか!」というスッキリ感は痺れるほどだった。 商人・ユダのイエスに対する感情は、「愛」と「憎」が入り混じり、生々しくとても人間的で、遠い世界の話だと思っていた彼らを、とても近くに感じられたような気がした。
  • 2025年5月26日
  • 2025年5月26日
    革命前夜
    革命前夜
  • 2025年5月20日
    なぜ人は自分を責めてしまうのか
    「すべて自分が悪い」という思考は、虐待的環境で生きるために自分の存在を否定し、合理性を獲得することだ、という言葉に衝撃を受けた。 それと同時に納得した。 何か理不尽なことが起きたとき、自分を徹底して否定してしまえば、説明できるようになる。 世の中は合理的なんだ、間違っていない、なぜなら自分が悪いから、と。 こう思わなければ生きていけない状況になってしまうのは、家庭環境によるものが大きいということも分かった。 本書は、 第1章 母はまだ重い 第2章 共依存を読みとく 第3章 母への罪悪感と自責感 第4章 逆算の育児 第5章 なぜ人は自分を責めてしまうのか の全5章で構成されている。 カウンセリングセミナーの講座の内容を文字にしたもので、話し言葉寄りの文章で書かれている。 もくじを見て気になる箇所がある方は、ぜひ読んでみてほしい。
  • 2025年4月25日
    生の短さについて 他二篇
    SNSで見かけて気になったので読んでみた。 本書には『生の短さについて』『心の平静について』『幸福な生について』の三篇が収録されている。 このような哲学書を読むのは初めてだったが、思ったよりも読みやすくて驚いた。 時間はかかったものの、最後まで読みきることができた。 全てを理解できたとは言えないが、ストイックな自己啓発書のような読み心地で、サッパリした文章を読むのが楽しかった。 しかし著者と自分の間に時間が空いているため、現代の自己啓発書のようなプレッシャーは感じなかった。 いい意味で、好きなところを選んでいくことができる。 言い回しがかっこよく、痺れた箇所がいくつもあった。 訳者による『解説』は内容を理解する助けとなったので、ぜひ読んでほしい。 三篇とも献呈相手への呼びかけで始まり、会話をしているかのような文章で進んでいく。 その形式で読んでいくと、だんだんセネカと自分との会話になっていき、最終的には自分と自分との会話のような感覚になっていった。 こうした形式だったからこそ、初心者の私でも読み進められたのかもしれない。 タイムマシンで現代に飛んできたことがあるのでは?と思うくらい、現代の私たちと共通する部分があり、「今と何も変わらないなぁ」と感じることが多々あった。 人間が抱える普遍的な悩みや葛藤について考える良い機会になった。 そして、「今の自分の苦しみは、自分が特別劣っているせいではなく、人間ならば誰でも抱くものなのだ」と思えた。 同じようなことを抱えていた人が過去にもいたのだという事実は、時に私たちを励ましてくれる。
  • 2025年4月18日
    生の短さについて 他二篇
  • 2025年4月18日
  • 2025年4月4日
    100分間で楽しむ名作小説 夜市
    分かりやすい文章で、するすると読んでいくうちに夜市の世界へと引きずり込まれていった。 苦い読後感を味わった。 どうするのが正解だったのかは分からない。 いずみや老紳士の中から、裕司は少しずつ消えていってしまうのだろう。 でももし本当に夜市があったら、そのときには……と、小さな祈りを込めたくなるようなラストだった。
  • 2025年3月11日
    生の短さについて 他二篇
  • 2025年3月11日
  • 2025年3月11日
  • 2025年3月11日
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