

はる
@tsukiyo_0429
【読書】小説・短歌・歴史【言語】日本語教育/英会話学び直し/2021年4月から趣味でドイツ語を勉強中🇩🇪/独検3級・ゲーテA1💮【💡】読書はゆっくりペース/江戸・プロイセン・ドイツに興味があります/hanatama様フリーアイコン
- 2025年8月26日トラジェクトリー (文春e-book)グレゴリー・ケズナジャット読んでる
- 2025年8月23日トラジェクトリー (文春e-book)グレゴリー・ケズナジャット読んでる
- 2025年8月9日
- 2025年8月8日たえまない光の足し算日比野コレコ読み終わった衝撃的な作品だった。 薗やハグ、ひろめぐたち「とび商」は、「かいぶつ」と呼ばれる時計台のまわりで商売をしており、薗は異食、ひろめぐは軟派、ハグはフリーハグをしていた。 爆発を待つ時計台は薗たちの気持ちを表しているようで、気持ちがいつ爆発するか分からない危うさを感じた。 . 「痩せたらなにもかもが変わる!」 美容外科に飾られたそんな広告をきっかけに、薗はダイエットをして痩せ、異食をするようになった。 口にするものが「食べ物」であればあるほど食べられず、「食べ物ではないもの」であれば食べられる。 特に花の雄蕊と雌蕊を好んで食べる描写が強く印象に残っている。 そんな薗の行為は異様で考えられないものであったが、途中から登場する抱擁師・ハグにより、薗の異様さが私の中で薄れた。 . この小説を読む中で考えたことは、大きく分けて二つある。 一つは、世間からの性別の捉えられ方だ。 性行為に関して、世間から向けられる目が、性別(この小説では女性と男性)によってかなり異なり、イメージが固まってしまっていると感じた。 ハグ(女性)とひろめぐ(男性)の行為をSNSで目にした人たちは、ハグをか弱いもののように扱い、抱擁師としてのハグの仕事は破綻してしまう。 本当は、抱擁師であるハグの包容力で成り立っていたものなのに。 動画一つでハグの仕事が成り立たなくなってしまう流れの中で、頭のどこかで「やっぱりな」という諦めにも似た気持ちが浮かんだ。 女性を弱いもの、支配されるものだと捉えられてしまうのは、本当に悔しい。 そして、その人自身の光を性的魅力だと思われ、それが生涯拭い去れず、何をしても「そのせいだ」と思われてしまうのは、とても苦しい。 その人自身の光は変わらないはずなのに。 考えたことのもう一つは、過剰な包容力についてだ。 ハグとひろめぐの行為について、「抱擁師であるハグの包容力で成り立っていたもの」と書いたが、その包容力が恐ろしかった。 「包容力」という言葉からは温かく優しいイメージを抱くが、ハグのそれは果てしなく、それゆえに近寄りがたいような感じがした。 ハグは「みんなのひと」になりたかったし、そのためならどんな手段を使ってもいいと思っていた。 そのいきすぎた包容力は、薗の異食よりも怖く感じた。 . ハグの仕事が成り立たなくなる中で、薗の気持ちに変化が起きていたのが印象的だった。 これまで疑わず迷わず生きてきた薗が、初めて「方向転換」をすることを考える。 ハグとひろめぐが《痛くない出口》に向かったあと、「非生活者」だった薗が「人間(=生活者)」になるために動きだすラストは、ほんの少し希望があると思った。
- 2025年8月8日たえまない光の足し算日比野コレコ読んでる
- 2025年7月25日踊れ、愛より痛いほうへ向坂くじら読み終わった愛情がおぞましい、鬱陶しいと感じつつも、無意識にそれに縋ってしまっているように思えた。 抵抗していても、望んでいなくても、その愛情のもとに帰ってきてしまう。 抜け出すことができない。 アンノがテントで暮らしていることも、私にはそう見えた。 家を出ることにしたアンノは、両親に「わたしはもう、旅に出たんだと思ってください」と伝え、実家の庭にテントを設置して生活していた。 アンノ自身は親に頼らない生活をしているつもりかもしれない。 しかし実家の敷地内で暮らしていることは、アンノ自身が親から逃れられていない、自立できていないことを表しているようだった。 あーちゃん(元彼の祖母)とアンノの関係はとても興味深かった。 家族の愛情から切り離された(と思っている)二人は、友情を育んでいるように見えてそうではなく、ただこのときを一緒にやり過ごしているだけのような関係に見えた。 ともに過ごした時間は多かったかもしれないが、二人の間に愛情はなかったように思う。 アンノのバレエが忙しいしお金がないからと、アンノの母親は生まれるはずだった子どもを堕した。 その来るはずだった妹を、アンノがあーちゃんと弔う場面がとても好きだった。 遺影の代わりに自身の幼少期の写真を置いたアンノは、まるで昔の自分と決別しようとしているように見えた。 アンノの“頭が割れる”場面が、強く印象に残っている。 自分ではどうにもできないような感情が溢れ、激しく揺さぶられ、割れているから外のものが簡単に入ってきてしまう。 そのどうしようもない激情がよく表れていて好きだった。 . そのとき、足もとからふたりを見上げていたアンノの頭は、もともとそうなることが準備されていたみたいに、てっぺんからパカっと割れた。ひび割れからは脳がもりもりあふれだし、アンノは思った。ぜんぶ出ちゃう。そうしたらたいへんなことになる。だから、力のこもったお母さんの手を、それでも力いっぱいふりほどいて、あふれるままにしゃべった。 (P7)
- 2025年7月22日鳥の夢の場合駒田隼也読み終わった生と死、現実と非現実。 そういうものが曖昧に混ざり合っていくような感じがした。 文章の中で一人称と三人称が混ざる箇所があり、始めは読みづらかったが、次第にその人物との境目が分からなくなるような不思議な感覚になった。 離れて見ていたはずなのに、いつの間にか「わたし」になっていて、また「わたし」ではない自分になっている。 そんな感じがした。 私たちは、あるはずのものは必ずあると信じてしまっている。 疑うこともなく、当たり前にあるのだと立ち止まることもない。 しかし、この小説の中には「ないはずのものがあって、あるはずのものがない」。 でもそれは私たちが気づいていないだけで、この現実にもあるのかもしれない。 絶対にあるはずのボールが見つからないこと。 話した当人すら忘れてしまった言葉を覚えていること。 現実には存在していなかったけれど、確かに存在していた大切な時間のこと……。 そういう、特別ではない日常にも、ちぐはぐに曖昧になる瞬間、混じり合う瞬間はあるのだと思う。 普段受け流すように暮らしている日常を、ほんの少し立ち止まって見つめたくなるような作品だった。
- 2025年7月21日鳥の夢の場合駒田隼也読んでる
- 2025年7月19日たえまない光の足し算日比野コレコ買った
- 2025年7月19日踊れ、愛より痛いほうへ向坂くじら買った
- 2025年7月19日鳥の夢の場合駒田隼也買った
- 2025年7月19日トラジェクトリー (文春e-book)グレゴリー・ケズナジャット買った
- 2025年7月18日革命前夜須賀しのぶ読み終わったベルリンの壁崩壊直前の東ドイツ、そしてクラシック音楽と、関心のある設定だったにも関わらず、読み始めはなかなか乗りきらず、断念しようかと何度も考えた。 序盤で主人公が「もともとラフマニノフはあまり好きではない」(P22)と、好きではない理由も含めて述べていてしょんぼりしてしまったというのもあるかもしれない。 自分の一番好きな作曲家について、そんなふうに言われるとは思っていなかったので……。 「第三章:監視者」のあたりから没頭できるようになり、特にピクニック事件あたりの展開にはハラハラさせられながら壁崩壊の瞬間を楽しみにしていたが、正直、これで終わり!?というラストだった。 『革命前夜』というタイトルだからそれはそうなのかもしれないが、不完全燃焼な感じがあった。 設定は私好みのはずなのに、心を揺さぶるものがなかった。 心をぐちゃぐちゃにされるあの感覚が、この小説では得られなかった。 ただこれは、この小説が悪いというわけではなく、今の私が欲しているものではなかったという、タイミングのミスマッチが起きてしまっただけのことなのだと思う。 素晴らしい作品であることは間違いない。 作者自身が経験していない世界をこんなにも密に描けるのか、という点は非常に驚いた。 東ドイツのヒリヒリした空気感、緊張感が伝わってきて、まるで当時の東ドイツを実際に経験しているかのような心地になった。
- 2025年7月4日
- 2025年7月3日革命前夜須賀しのぶ読んでる@ Zepp DiverCity (TOKYO)
- 2025年6月28日
- 2025年6月27日新樹の言葉太宰治読み終わった『愛と美について』二作目の小説。 郵便屋の男性も、主人公・青木大蔵と乳兄弟だと言う内藤幸吉もその妹も、健やかでまっすぐで、人を疑うことのない無垢さを持っていて、なぜかとても切なくなった。 大蔵があくせくして、どうにかこうにかしようとしているうちに、穏やかに手を差し伸べるような純粋さがあり、幸吉が母親(大蔵の乳母)や家を懐かしそうに語るたびに、泣きたくなってしまった。 太宰作品に出てくるこういう人を見ると、眩しくてたまらなくなってしまう。 料亭となった元実家が火事で燃えたときに、幸吉が言った言葉が印象的だった。 「焼ける家だったのですね。父も、母も、仕合せでしたね」(P291) 切なく、しかし爽やかさを感じる作品だった。 . その夜、私は、かなり酔った。しかも、意外にも悪く酔った。子守唄が、よくなかった。私は酔って唄をうたうなど、絶無のことなのであるが、その夜は、どうしたはずみか、ふと、里のおみやに何もろた、でんでん太鼓に、などと、でたらめに唄いだして、幸吉も低くそれに和したが、それがいけなかった。どしんと世界中の感傷を、ひとりで背負せられたような気がして、どうにも、たまらなかった。 (P284)
- 2025年6月24日太宰治全集(10)太宰治読み終わった@ 三鷹駅『海』 短い随筆だが、とても味わい深い文章だった。 毎日のように爆弾が落ちる日々の中、自分の娘のことを考える太宰。 もしこの子の頭上に爆弾が落ちたら、この子は海というものを一度も見ずに死んでしまうのだ、と思い、せめて海を見せてやりたいと願う気持ちは、親の愛を感じるものだった。 しかし疎開先の津軽に向かう電車で海を見た娘は「川だわねえ、お母さん」と平気でいる。 娘に海を見せてやりたい一心で騒いでいる太宰の姿が愛おしく、なんとも可愛らしい話だった。
- 2025年6月24日読み終わった@ 三鷹駅『愛と美について』一作目の小説。 . あの、私は、どんな小説を書いたらいいのだろう。私は、物語の洪水の中に住んでいる。役者になれば、よかった。私は、私の寝顔をさえスケッチできる。 (P249) . この書き出しから、ぐっと心を掴まれた。 自分の寝顔をスケッチできるということは、寝ているときでさえどんな顔をしているのか分かる、それほどまでに「役を演じている」ということなのだろう。 生まれて来なければよかった、という気持ちが、主人公とKの中に蔓延っていた。 自分の内側に漂う希死念慮を、浮かべたり沈めたりしているように見えた。 それでも怪我をしたら病院に行き、治してもらう。 そのやりきれない矛盾を抱えながら、それでも生きていく、生活をしていく。 そんな二人に強さを感じたと同時に、とても胸が締めつけられた。 とても好きな作品だった。 . 『読者に』(『愛と美について』冒頭) こんな物語を書いて、日常の荒涼を彩色しているのであるが、けれども、侘びしさというものは、幸福感の一種なのかも知れない。私は、いまは、そんなに不合せではない。みんなが堪えて、私をゆるしてくれている。思うと、それは、ずいぶん苦になることばかり、多いのであるが。 (P248) . ひとことでも、ものを言えば、それだけ、みんなを苦しめるような気がして、むだに、くるしめるような気がして、いっそ、だまって微笑んで居れば、いいのだろうけれど、僕は作家なのだから、何か、ものを言わなければ暮してゆけない作家なのだから、ずいぶん、骨が折れます。僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛ずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折って、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は、人間でないのかも知れない。 (P252〜253)
- 2025年6月13日読み終わった「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづける」 この言葉をSNSで知り、読もうと決めた。 以前読んだ『カフカ断片集』を編訳された頭木さんのエッセイだ。 手術で入院中、一気に読んだ。 入院期間は短かったが、その間、私の話し相手になってくれた一冊だ。 緩やかに素直に綴られていく文章は、入院中でも負担にならず、楽しく読み進めることができた。 普段は当たり前のように受け流していたことを、ちょっと立ち止まって眺めてみるような本だった。 世の中で「良し」とされていることだけではなく、そうではないものも含めて、「これでいいんだ」と、考え方のゆとりを生んでくれた。 読む前よりも、物事を穏やかに捉えられそうな気がした。 カフカの話がたくさん出てきたので、またカフカの作品を読んでみたくなった。 . その水にしっくりなじめる魚は、その水のことを考えなくなる。その水になじめない魚だけが、その水について考えつづけるのだ。 (P139) . カフカは炭坑のカナリアのような人だと思う。他の人が平気なうちから、まず最初に苦しみだす。そして、文学という悲鳴をあげてくれる。それによって、鈍感なこちらも気づける。 私はずっと、カフカというカナリアを頼りに生きている。 (P177) . 『明かりがないと生きていけないという思い込み』 人生のほうも、暗いままなのは同じでも、そうやっていくらか平気に歩いていけるようになるといいのだが、こちらはなかなかそうもいかない……。 ただ、明かりがないと生きていけないという思い込みは、少しは減ったかも。 本のたとえは、懐中電灯と言うのはやめて、今は次のように言っている。 明るい道を歩いているときには、ひとりでもぜんぜん平気です。でも、日が暮れて真っ暗になった道をひとりで歩かなければならないとなったら、やっぱり心細いですよね。そんなとき、いっしょに歩いてくれる連れがひとりでもいたら、ずいぶんちがいます。そういう人が見つからないときでも、いつもいっしょにいてくれるのが本です。 (P183)
読み込み中...