日本の夜の公共圏

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- 氷うさぎ@yomiyomi2025年7月20日公共性「7章 スナックと「社交」の空間」 酒はハレの日に飲むものなのに、どんちゃん騒ぎの酒宴が横行したのは、共同体の崩壊とそれに伴う人造的社交の出現のため。人造的社交空間は緊張を伴うので、それを緩和するために酒と女が強く要請される。(柳田國男。でも誤読かも。適当に読んでたので) そのような強力・強制的な人間関係を否定するとすれば、共同体への回帰という発想がありえるだろう。私にはそれは空想に思えるが。だったら完全孤独が解決法なのか。しかし人間はそんなに潔癖にはあまりできていない。マイケル・イグナティエフという人物も引いて、「市民としての帰属」「そこはかとない親密さ」「見知らぬ者どうしの静かな近しさ」という説明がされている。ここではスナック論と絡められているが、むしろ町の図書館に近いような気もする。 ちなみに8章で書かれていたが、図書館などの昼の公共施設が充実していると夜の公共圏たるスナックの件数は少なく、逆に、街が財政的体力に乏しく公共施設の少ない地域はそれを補完するかのようにスナック件数が多くなる傾向にあると。 人間は「ちょうどいい距離感」を心地よく思うような存在であるがゆえに、それが地理的に表現されるということもあり得るだろうと思う。