世に棲む患者

5件の記録
- 白木蓮@a2025年8月30日読み終わったp47「働くこと」に触れて、それが治療的なのは、健康化を促す限り、すなわち治療者は決して匙を投げていない、というサインである場合であり、もちろんこのことばによって患者を追いつめない場合だけである。そして労働は心身の余裕と生活の基盤を確立する以前に無理強いするべきことではないと付言したい。 p137いわゆる発病の前には、無数の観念とも音声ともつかないものが乱舞してざわめきひしめきあう苦しい時期がある。これはまだ適切な名で呼ばれておらず、そして名のついていないものは無視されやすい。私は、「ウィトゲンシュタインの亡霊のざわめき」と、彼の書簡集の一句(彼の体験である)を取って仮にそう呼んでいるが、原妄想とか原幻覚妄想と呼ぶのがよいと考えている。見方によれば、この状態がもっとも純粋な統合失調症状態で、臨床的発病以後は治療過程と病気の進行過程とがいり混じっている状態である。 p194 イマジネーションの本質的貧困性 p323 これは、治療者に対する試練である。その結果であろうか、これは、欧米系の治療者にはあまり通じない話だが、うまく進行している治療的面接においては、私は、ほとんど、自分があるかなきかの存在になっており、自分がないということに対して、あやしみも不安もないのがむしろ不思議に思えるくらいである。 この、稀に実現する状態を、かりに敢えて「無私」といっても、それは、いわゆる「東洋的」なものとただちに結びつけたくはない。むしろフロイトの「自由にただよう注意」に通じるものである。