世に棲む患者
14件の記録
ジクロロ@jirowcrew2025年12月8日ちょっと開いた「精神科医は「治療者」という言葉で呼ばれるけれども、実は、一種の触媒に過ぎず、よい反応もよくない反応もその上で起こるであろうが、触媒自体は、反応について多くを知ることはできず、また、その必要もないどころか、触媒の分際で局面のすべてを知ろうとすれば、反応自体が失われるだろう。つまり「いまここ」で起こっている、より大きな事態、より大きな文脈の中の一部である。」 (『精神的苦痛を宗教は救済しうるか』) ある人物の内面を、ありのままに隈なく写す鏡。 明鏡止水とは、奢りのない心と焦りのない対象がセットとなり、はじめて機能する現象のことを言う。 治そうとする意志、治ろうとする意思のないところにほんとうの治療があるということ。 「触媒」とは、ありのままの内面を写された対象が、潜在的な意志を呼び覚まされ、中動的に新たな社会性を生成し始めたとき、それ自体としては不感症のままに、その機能を「実体もなく」発揮していると言える。
白木蓮@a2025年8月30日読み終わったp47「働くこと」に触れて、それが治療的なのは、健康化を促す限り、すなわち治療者は決して匙を投げていない、というサインである場合であり、もちろんこのことばによって患者を追いつめない場合だけである。そして労働は心身の余裕と生活の基盤を確立する以前に無理強いするべきことではないと付言したい。 p137いわゆる発病の前には、無数の観念とも音声ともつかないものが乱舞してざわめきひしめきあう苦しい時期がある。これはまだ適切な名で呼ばれておらず、そして名のついていないものは無視されやすい。私は、「ウィトゲンシュタインの亡霊のざわめき」と、彼の書簡集の一句(彼の体験である)を取って仮にそう呼んでいるが、原妄想とか原幻覚妄想と呼ぶのがよいと考えている。見方によれば、この状態がもっとも純粋な統合失調症状態で、臨床的発病以後は治療過程と病気の進行過程とがいり混じっている状態である。 p194 イマジネーションの本質的貧困性 p323 これは、治療者に対する試練である。その結果であろうか、これは、欧米系の治療者にはあまり通じない話だが、うまく進行している治療的面接においては、私は、ほとんど、自分があるかなきかの存在になっており、自分がないということに対して、あやしみも不安もないのがむしろ不思議に思えるくらいである。 この、稀に実現する状態を、かりに敢えて「無私」といっても、それは、いわゆる「東洋的」なものとただちに結びつけたくはない。むしろフロイトの「自由にただよう注意」に通じるものである。


咲@mare_fecunditatis1900年1月1日読み終わった対話編「アルコール症」が好き。 サン・テグジュペリの「星の王子さま」にアル中の星が出てくる。 「恥ずかしい、恥ずかしい、アル中であることが恥ずかしいのです」と言って、またぐいと一杯ひっかける。 アルコール症は恥の文化。 辱しめに敏感であると同時に、傷口に塩をすりこむように自虐的に恥にまみれることを求める。 「あなたはアルコール中毒だ」と医師が断定することは、そのような蟻地獄的自虐に加担し、倒錯的快感を高めるばかり。 それならば、底つき体験を経て自身の無力を自覚し委ねる流れは、自意識を病に寄せてしまう、危険なステップだ。 できることならば、底をつくことなく、生き延びて回復をしていただきたいところだが、如何。 患者の病以外の部分に関心を向けるのが上手な方だと知ってはいたが、まさか、患者のお髭事情にまで言及があるとは。 驚いて、可笑しい。 治療中の患者がヒゲをたてるのは良い兆候なので間違っても母や妻が剃らせないこと、 そのような剃髭の強制は去勢に近い意味を持つこと、ヒゲを剃れという周囲の圧力に抗する能力(剃髭圧力抵抗能力)と酒を飲まずにいられる能力は平行するという考察など、 臨床的視点というものはここまで及ぶのか!と、愉快で笑ってしまった。 さすが中井久夫先生。










