ホロコースト全史

ホロコースト全史
ホロコースト全史
M・ベーレンバウム
創元社
1996年1月1日
1件の記録
  • 1933年以降のユダヤ人迫害に対するユダヤ人の対応 ・「大半のユダヤ人は、依然としてドイツにおける自らの未来を信じていた。彼らは伝統的に反シオニストであり、ユダヤ人としてではなく、ドイツ人としてドイツ人としてドイツの愛国心を表明していた。ドイツ文化を愛する彼らは、ワイマール共和国時代の、ドイツ人との見せかけの共棲関係に欺かれていた。」(p.81 9行目) =「ユダヤ人はドイツの政治・経済・文化の面で活躍し、ドイツ人と対等のパートナーであると自負していた」 →しかし、ナチの支配に耐えることができず、自殺する者が急増した。 「1933年から1938年のあいだに、ドイツに住むユダヤ人60万人のうち、15万人がドイツから出国している」(p.82 8行目) ・「ドイツに残ったユダヤ人の多くは、自分たちのルーツを大切にするようになった。」(p.82 11行目) →「シナゴーグ「足を運ぶ者の数が激増した。祈りには新しい意味がこめられ、ヘブライ語の聖書に出てくる暴君ファラオとハマンは、ヒトラーを示す隠語になった。」 →「また、ユダヤ人の学問と教育も、かつて中盛んになった。」 =「状況がさらに悲惨なものになっていくにつれ、逆にユダヤ人たちは結束し、ユダヤ人しゃかいは、これまでにない活気を帯びていった。」 ・「さまざまなユダヤ人が、職業訓練や農業移民のためなの準備資金を提供した。」(p.83 2行目) ・「ドイツ文化協会は、芸術家や音楽家に仕事を世話し、ユダヤ教の神学校は、ドイツの大学を除名された学生たちに正規の大学教育の場を提供した。ユダヤ人の子供がドイツ人の学校に行くのは危険な状況になっていたため、ユダヤ人学校が開かれるようになった。」 ・マルティーン・ブーハーが説いた内容 (p.83 7行目) ・「総統の権力には制限がなかった。1934年、ゲーリングは『総統の意思が法である』と述べている。そこにはチェック・アンド・バランス(権力の分立)が入り込む余地はなく、ヒトラーは法に勝る存在であり、行政面だけではなく、立法と司法の権力までも握っていた。ヒトラーの命令一つで、あらゆる法規範や政令が覆され、すべてはヒトラーの意思一つで決定された。」(p.85 7行目) ・「レストランのウェイターは客についての情報を流し、労働者は雇い主の体制批判に耳をそばだてた。子供たちは、学校の先生や牧師・神父、さらには両親まで監視するように教えられた。」(p.87 最後) ・ゲシュタポには、国民を令状なしに逮捕して強制収容所に収容できるという権限を持っていた。 ・避難場所を求めて(p.120) 「ユダヤ人に行き場所はなかった。パレスチナへの移民はイギリスによって厳しく制限され、中立国のスイスはユダヤ人の流入を恐れていた。そしてアメリカもまた複雑な手続きを課すことで、移民の締め出しをはかっていた。」 アメリカの場合 ・「アメリカへ移住するためのビザを取るには、膨大な数の書類をヨーロッパ各地のアメリカ領事館に送らなければならなかった。〜さらに移民にふさわしいかどうかを証明する善行証明書も必要だったが、この証明書を発行するのは、ドイツではゲシュタポだった。」(p.120 4行目) ・また、「ヨーロッパでww2が勃発した1939年以降、ドイツ国籍のユダヤ人は、スパイ予備軍とみなされて入国を禁じられた。」(10行目) ・「長引く不況で失業者が増えており、アメリカ人たちは、ユダヤ人移民に自分たちの仕事を奪われるのではないかと怖れていた。」 ・「当時の世論調査では、ナチに批判的な人たちのあいだでさえ、移民の割り当てを増やすことに反対の意見が多かった。」(p.122 1行目) ・「1938年と1939年に行われた世論調査では、アメリカ人の95%がドイツの政治体制を批判しながら、アメリカの制度を変えてまで移民枠を増やすべきだと考える者は5%にもら満たなかった。」 ・「アメリカのユダヤ人もまた、社会的に少数なうえ、結束が弱く、無力だった。彼らは、アメリカ国内の反ユダヤ主義を誘発することを恐れていた。」 ・ヒトラーの『我が闘争』にて「最終的目標は、ユダヤ人の完全なる排除である。」と述べている。 (p.222 9行目) ・「ホロコーストには、政治的あるいは領土的目的はなかった。〜ユダヤ人はナチに対し領土面での脅威になる恐れはなかった。ユダヤ人を殺したところで、地政学的なメリットは何もなく、領土の拡張につながるわけでもなかった。ユダヤ人の殺害は何かのための手段ではなく、殺害それ自体が目的だった。」(p.227 8行目) =「ホロコーストは、すべてのユダヤ人の絶滅を目的としていた。」 ・「ホロコーストは、それまでの反ユダヤ主義な暴力行為とも、完全に異なっていたものだった。」 =「過去のユダヤ人に対する攻撃は偶発的なものであり、ある一定の地域に限られたものだった。しかも〜行為は違法とされ、時として法的取り締まり対象にもなった。」(p.228 1行目) =「過去における反ユダヤ主義的な暴力行為は違法とされ、時として法的取り締まりの対象にもなった。〜それまでユダヤ人は、自らの信仰にやって殺害の対象になってきたが、そこには改宗と出国という逃げ道が残されていた。だがナチズムは、そんな容赦はしなかった。」 ・p.108.120ユダヤ人受け入れの各国の反応
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