精神の生態学へ(上)
11件の記録
ジクロロ@jirowcrew2025年12月1日ちょっと開いた「父 : いいか。肝腎なところだぞ。パパとおまえの問答の目的は、その「ルール」を発見することにあるんだ。それが「生きる」ことなんだとパパは思う。生きることの目的は、「生きるゲーム」のルールを発見することにある。いつも変わってしまって、決して捉えることのできないルールをね。 娘 : そういうのもゲームって言うの?」 ゲームをプレイする(生きる)ということ、それはルール(秩序)を確認しつつ、それに飽きのきたときには合意のもと、また面白くなるようにルールをつくりかえることも可能であるということ。そしてそのゲームをともに遊ぶということ。これほど真面目(シリアス)なことはないなと気づく。 人の数とその組み合わせの分だけ、つまり世の中にゲームは無限にある。一つのつまらないゲームにずっと付き合う理由はない。つまらなければ、ルールを変えるか、そのゲームから降り、また別のゲームに参加すればよい。 プレイとは、遊びであり、それでいてシリアス。 とても勉強になる。
敗荷@sibue_fjodor_2025年9月15日読みたい斎藤環先生と話していて、コンテクストなきAI時代においてベイトソンのコンテクスト理論は現代思想の文脈でも蔑ろにされがちだよね…ということで、もう一度チェック。

DMK@DMK_penguin2025年5月24日買った読み終わったO先生のゼミで紹介されたベイトソン(のダブルバインド理論)。面白そうな気配を感じて、彼のほぼ一生分の思索をまとめたこのシリーズを読み始めた。 様々な領域を渡り歩くベイトソンは一見何をやっているのか分からない。でも恐らく、彼は当時の細胞や遺伝子の分析へ傾倒していた科学研究の思考法に違和感を感じていて、目に見える物事の構造や相互作用を大事にしていたのだろうなあ。 レヴィ=ストロースが構造主義を唱えたらそれは世界的に大ウケしたのにベイトソンがそうではなかったのは、時代なのか、それとも幅広い分野を渡り歩く彼のステップに人々がついていくことができなかったからなのか。







