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DMK
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@DMK_penguin
かわいいペンギンです
  • 2025年5月9日
  • 2025年5月9日
    モビリティーズ
    モビリティーズ
    第1部(1〜3章)読了。アーリの提唱するモビリティーズ・パラダイムは、その端緒と基盤をジンメルに置いているようだ。社会的なるものを分析する際に「移動」をレンズとし、研究手法自体も「定住主義」的枠組みから脱却しなければならないと主張する。この主張自体は2025年現在では当たり前かもしれないけれど、これを2000年代初頭に提出しているのは多分すごいことなんだと思う。  著者のいう「移動」は人間身体の移動に留まらず、モノ・情報の移動とそのシステムが射程に入ってくる。この本における移動を可能にする用具の分析では、大きく分けて交通と通信に焦点が寄せられている。国内移動については、基本的に観光、ビジネス会合、儀礼的会合、通勤などの比較的短期間の、とくに移動の「運動」の瞬間に注目しているようで、移動しているが具体的な「動き」が見えづらい引っ越しが触れられたのは多分1回だけ。  移動の技術やシステムについて、進化論的(より速く)に論じているところが気になる。現実を見ると、どちらかというと遅い移動(徒歩、自転車)は継続してるし、電動キックボードのレンタルサービスは世界のあちこちに拡大している。様々な速度と形態の移動が並列していることについても議論してほしいが、もしかして後の章で出てくるかもしれないし、この本以降のモビリティー研究でそれを論じているかもしれないな、と思いつつ読書を継続中。
  • 2025年5月7日
    モビリティーズ
    モビリティーズ
    研究助成金の申請書で引用した大御所の本。申請書作成開始当初は潮流紹介としてさらっと触れるだけにしていた。でも、O先生との面談を経て「都市における移動についてきちんと論じた方がよくないか?」となり、SNS上でみたことがある人くらいの距離感(孫引き)だったアーリとちゃんと対峙することに。本文だけで400ページあり、申請書の締め切りに間に合う気がしない。 * * *  現在は付録、訳者解説を読了し、本文第1章を読み進めているところ。付録に訳者と東大社会学の吉見先生の対談冊子が付いてきてちょっとお得感があるし本文の読解の補助輪になる。  今のところの印象として、定住思考から脱却して移動の視座から社会科学の新たな思考法を模索する必要性を問うている本(ただし20年くらい前のグローバル化が話題になっていた時期の議論)という感じ。
  • 2025年5月5日
    監獄の誕生〈新装版〉
    監獄の誕生〈新装版〉
    今週からフーコー読書会が始まったので、それに合わせて『監獄の誕生』も読み始めた。  現在読んだのは訳者解説と第1章の途中まで。重田先生のフーコーファンブックの紹介にあった通り、1章冒頭数ページはひたすら酷い身体刑の描写が続いて嫌な気持ちになった。でもフーコーは別にグロ好きではなく、あくまで身体刑に馴染みのない読み手にそれがどんなものであったか印象づけるために細かく描写してるんだよな、と思うことで耐えた。  フーコーが色々例え話や過去の議論を引っ張って分かりやすく説明しようとすればするほど現代日本で育った私は意味が分からなくなってゆくので、とりあえず一読目は大まかな筋を掴むつもりで読もうと思う。
  • 2025年5月1日
    災間に生かされて
  • 2025年5月1日
    ミシェル・フーコー
    読了。『監獄の誕生』を起点として、フーコーの生きた時代背景、問いの立て方、参照した資料や参加した活動を知ることができた。ところどころで現れる、著者のフーコーへの熱烈な愛情が、この本をつまらない単なる解説書から生き生きとしたフーコーファンブックにしている。難解そうなフーコーの文章に心が折れそうになったら、この本に戻ってこよう。
  • 2025年4月30日
    ここすぎて水の径
  • 2025年4月30日
    ボディ・サイレント: 病いと障害の人類学
    ボディ・サイレント: 病いと障害の人類学
    人類学入門講義の課題文献。この本の第4章「損なわれた自己」を読んだ。Readsに「部分的に読んだ」タグがあればいいのに。  アメリカの人類学者であり全身麻痺著患者でもある著者は、障がい者になったことによってアメリカ社会から異化されることで、「表面上の文化的差異の奥にある全人類共通の原理にまで達したい」(p.135)という強い願望を抱くようになったという。「健常な」身体と全身麻痺を経験した彼がこの章においておこなった仕事は、身体障害が人間の心に及ぼすものの考察を通して、人間の意識や行動の向かう方向性と、それに身体が与える影響を解明することだと私は捉えた。  著者曰く、身障者が経験するのは真の意味での「変身」、つまり元の身体に他者が侵入してくることだという。  心を身体と結びつける哲学者たちの議論に足場を起きつつ著者が主張するのは、身体の一部を欠損させた人びとは、「その人と世界を繋いでいた関係の環」(p.131)を一部失うということだった。彼らは自身の障害に合わせて「再身体化」せねばならず、欠損が激しい場合は「脱身体化」すら起こり(著者がそうらしい)、身体と繋がっていた思考は脳に閉じ込められる。  著者は身障者がぼんやりと感じる罪の意識について議論する際に、各種神話における不具化をヒントに、性的・社会的に失うもののメタファーとして「去勢」という考え方を導入する。大多数の者は立ちはだかる身体的・社会的壁を乗り越えられず、社会の片隅に追いやられる。  人間には、社会に向かう外向きの求心力と、自分の殻に閉じこもろうとする内向きの求心力があると著者は考える。身障者においては、欠損した身体を持つことにより生じる社会との摩擦や、罪と恥の感覚によって後者の求心力が増すのである。  * * *  私が一つ疑問に思ったことは、著者が頭蓋が半分しかない「知恵遅れのティーンエイジャー」と話しているのを見て見舞客が絶叫したというエピソードから生まれた彼の疑問と、それ以降展開する議論のずれだ。彼はコロンビア大学の教授であり、身体障害を負った後も文章から分かる通り非常に明晰な思考を(その仕方は変わったかもしれないが)している。彼の展開する議論は、健常者が脳以外の身体を欠損した事例を基に進んでいる趣があり、「知恵遅れのティーンエイジャー」のような脳の欠損者の話は出てこない。脳が欠損したら、そして脳の欠損者に対して、果たしてこのような議論が展開しうるだろうか。短絡的な考えかもしれないが、身体のさまざまな部位の欠損を全て「身体障害」とひとまとめにして議論して良いのだろうかという疑問が湧くのである。
  • 2025年4月27日
    ミシェル・フーコー
    ゼミでフーコーを扱うこと、そしてフーコー読書会を始めるにあたって、日本語の優れた(そして重すぎない)フーコー入門を読んでおこうと思い読み始めた。電車とかで読もう。
  • 2025年4月26日
    性の歴史 1 知への意志
    性の歴史 1 知への意志
    人類学をするにあたり、『監獄の誕生』よりもこちらの方がより重要です。by O先生
  • 2025年4月25日
    監獄の誕生 ― 監視と処罰
    監獄の誕生 ― 監視と処罰
  • 2025年4月19日
    言語の本質
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