パワー

1件の記録
さぶりす@saburisuuuuuuuu2026年9月23日読み終わった西のはての年代記3部作。主人公のガヴの心境を思うと、あまりに悲しくて読むのが辛い場面もあった。話の構造的に、結末は大体分かっているのだけど、それでもハラハラしながら祈るように読んだ。とっても面白かった。晩年に書いたとは思えないルグウィンの力強さに感動した。 読みながら、自由とは何か。とずっと考えていた。 自分は漠然と、自由を求めている。その内容について、しっかりと考えた事はなかった。いつでもケーキを食べていいし、週末には徹夜して遊んでもいい。お風呂に入らなくたっていいし公園でボーっとしたっていい。社会的な規範の中でなら、手の届くものに好きなだけ手を伸ばしていい。でも無理はしないし、分からない物には手を出さない。ある程度の理不尽には目を瞑る。俺の自由はそうやって成り立っている。 この本で繰り返し問われるのは、自由を知るということはどういうことか、知らないまま生きるとはどういうことか、だ。 「自由」とは、「不自由」でないという意味であれば、どちらに属していても自由を感じることはできる。奴隷には奴隷の中で自由がある。世界とはそういうものだ、と信じている限り、それは崩れない。 その中で、より自由なものを知って、望んでしまった場合に初めて、バランスは崩れ、自分が自由でない事を知る。世界の不均衡は暴かれる。それはより自由な者によってもたらされる。 では、自由を知る事が自分を不自由たらしめているのか?知らない方が良かったのか?そうではないと思う。 改めて考える、自由とは何か。可能性に手を伸ばす行為そのものなのではないだろうか。 子供は自由だ。手が届くか分からないものに手を伸ばす。それが子供の自由だ。成長するにつれ、手を伸ばしても手に入れられないものがあると知る。世界を知れば知るほど、世界はどんどんと広がっていき、手に入れられないものはどんどんと増えていく。手に入れられない恐怖、諦めから、やがて手を伸ばさなくなり、世界を、可能性を閉じようとする。 奴隷と違うところは、自ら選んで手を縮めているか、それしか知らないかの違いだ。知っているなら、再び手を伸ばすことができる。 大人に必要なのは、子供のように、闇雲に届くと信じることではなく、届かない可能性を知ったうえで、それでも手を伸ばすことではないだろうか。 読み終えた時には、そんなところに着地した。そう考えると、自由ってとても疲れるものなのだろう。