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さぶりす
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@saburisuuuuuuuu
  • 2026年8月23日
    ヴォイス (西のはての年代記 2)
    ヴォイス (西のはての年代記 2)
  • 2026年8月15日
    新版 思考の整理学
  • 2026年8月11日
    ギフト (西のはての年代記 1)
    ギフト (西のはての年代記 1)
    幼少期、オレックにとって父は、正義そのものであり、力そのものだった。厳格で、正しく、子供の自分には何を考えているのかよく分からない。だからこそ尊敬し、同時に怖れていたのだと思う。一方、母は自分を愛し、理解してくれる存在だった。子供時代を語る時、父については推測的な表現が多く、母については断定的に語られる。父は分からないから畏敬する存在であり、母は分かっている、愛してくれていると疑うことのない存在だった。そこにはまだ、母に甘える幼い子どもの世界がある。 そんなオレックになかなかギフトは目覚めない。だが、やがて大人になりかけた青年の中に抗いがたい強い衝動が宿るように、自分では制御できない破壊的なギフトが現れる。それまで幻想に満ちていた子ども時代の輪郭はぼやけだし、冷めた現実が見え始める。自分や周囲に起こる変化、逃れられない現実、強い衝動、一族を背負う責任。そうしたものによって、オレックは子どもから大人へと形を変えようとしていく。 急激な変化に耐えられなくなったオレックは、自ら目隠しを望む。すべてを恐れ、見ないようにする。そこからしばらくのあいだ、オレックは穏やかで従順な存在になる。父にも母にも守ってもらえる。封じなければ危険なほどの力を秘めた存在として、周囲からも一目置かれる。大人でもない、子どもでもない、そんな曖昧な場所に留まれることに安堵した。 しかし、現実はそこにとどまる事を許してくれない。 子ども時代の愛そのものだった母は次第に弱っていき、やがて死を迎える。母を失うことで、バランスは失われ、父に対する不信も強まっていく。 母の残した愛に背中を押され、愛するグライに背中を押され、犬のコーリーにも導かれて、オレックは再び世界を見ようとする。 そして目隠しを外して世界を見たとき、母を見ても、本を見ても、グライを見ても、コーリーを見ても、自分は愛するものを何ひとつ破壊しなかった。世界は光に満ちていた。オレックは、父が語っていたことを疑い始める。自分には本当はギフトなどないのではないかという疑念は、もともとあった。それでも、自分が何者でもないことを恐れるあまり、父の語ることを真実だと思い込んでいたのかもしれない。父の言葉、父の支配を盲目的に受け入れていた自分自身にも気づいていく。 しかし「父が嘘をついていて、オレックが真実を知った」と単純には言い切れないように思う。物語は最後までオレックから見える世界しか語られない。父が本当にオレックを欺いていたのか。オレックには本当に「もどし」の力がなかったのか。それとも、あったのか。結局のところ確かなことは分からない。父も分かっていなかったのかもしれないし、オレック自身も分かっていなかったのかもしれない。 そしてオレックは、父からの支配や庇護から離れることを選ぶ。しかし、父を否定してすぐにその場を去るわけではない。従うわけでもなく、石の塔に逃げ込むわけでもなく、自分の意思で父の隣に立って戦う。 そして最後の「ぼくらはそれぞれギフトを持っているじゃないか」という言葉は、本当は「もどし」の力があるということなのかもしれないし、物語を語る力かもしれない。誰かを愛する力かもしれない。母からオレックへ渡された物語の本のような、誰かから誰かへ手渡される贈り物なのかもしれない。物語は語る者によってしか語られないので、本当はどうなのかは分からない。でも、分からないままでいいと思う。そう思わせる説得力があった。
  • 2026年8月6日
    帰還
    帰還
    ゲド戦記の4作目。長らく3作で完結したものと思われていたが長い期間を空けて4作目が発表されたらしい。そんなこともあってか、3作とは雰囲気が異なる。 世界は均衡を取り戻したが、人々が生きる現実は目を背けたくなるような理不尽が存在するし、過去の傷が癒されるわけではない。全体として上手く回っていたとしても、そこから零れ落ちるものが必ずあるのが現実だ。 前作と違って広い世界や、不気味な地下迷宮は登場せず、テナーの生活圏と、その周囲で起こる現実的なことが語られる。それは壮大なファンタジーのスケールではなく、現実世界の私達のスケールにより近い。だからこそ、地に足のついた生活もしっかりと描かれるし、身近に潜む不条理もより近い距離で、生々しく描かれる。 そんな中で、酷い虐待を受けたテナーを引き取り、その世話をし暖かく見守る。テナーの眼差しは、テルーを見ているようで、過去の自分を見ているようでもある。癒されたいは癒したいであり、救いたいは救われたいである。そんなことを考えてしまう。最後はひとまずの危機を乗り越え、平穏を感じる静かな終わり方だが、その平穏でさえも、天地創造の歌にある、境界線も曖昧な、永遠に寄せては返す波のひとつなのだろう。テナーもゲドもテルーも、私自身も、今まさに戸口から、入りては戻りを繰り返す存在なのだろう。その永遠の先に、きらりと光る泡がもしかしたら生まれるかもしれない。それがやがて新しい大地となるのかもしれない。そうであって欲しい。そんな作者の叫びと願いのように感じた。
  • 2026年7月29日
    さいはての島へ改版
    さいはての島へ改版
    名前は名前でしかなくて、言葉は言葉でしかない。実体そのものではない。文脈が変われば言葉の持つ機能は変化する。でも名前には、言葉には力がある。呼ばれたものを動かす力がある。だからこそ、正しい言葉を正しい文脈で使わなければならないんじゃないだろうか。 青年らしく揺れるアレンに寄り添うハイタカ。彼を未知の世界へと誘ったのはハイタカだ。でも、進む道を決めたのはアレンだ。少年は自分の意思で自分を知って、世界を知って、王の器となる。それでも苦しみはポケットの中に残ったままだ。
  • 2026年7月26日
    日の名残り
    日の名残り
    品格とは何か、執事とはどうあるべきか、主人がいかに立派であったか、その主人に尽くした自分もまたいかに立派であったか、と旅をしながら回想する。なかなか話が進まず入り込めない。読んでるうちにスティーブンスの紳士的な言動に守られた彼の本心の輪郭が少しずつ立ち上がってくるんだけど、終盤までなかなかそれに気がつけなかった。ああ、そういう話なのか!とようやく理解する頃に終わってしまった。また読み直すと全然違った印象を持つだろうな、と思う。
  • 2026年7月22日
    心はどこへ消えた?
    カウンセラーってやっぱりすごいなあ。話を作るのがとても上手。読みやすい本だった、という意味でもあるんだけれど、先生の語る架空事例内で創造される物語がどれも腑落ちして面白い。 警備員や監視カメラに超自我を投影しているクレプトマニア、環境汚染を批判することで自分の粗相を糾弾する少年、トイレットトレーニング時期に母親を失った少年がそれを自分のせいだと思い、トイレ侍になりうんこ男を斬り殺す遊びをする、他にも色々あるけれど、どれも秀逸で、なるほど腑に落ちる、と思わせる解釈で物語を作り出す。 どれも、本当にそうなのか、正直わからない。もちろん専門家として歴史の中で体系化された知恵を地盤にしているのだろうけれど、心の本当のことは結局わからないし、何なら腑に落ちてしまえばなんでもいいような気がする。大事なのは、物語が、行動や記憶に新たな意味や機能を生む隙を与えて、関係と関係の癒着が少しずつ剥がれていく。少しずつ心が動きやすくなっていく、それが大事なんだろうなあと思う。
  • 2026年7月20日
    パン屋再襲撃 (文春文庫)
    よーわからん、でも読みやすい。 結局何を言っているのかわかんねえ、白昼夢のような話だ、というのがまず出た感想。 夢を見ている間はそこに違和感なんてないのに、起きて思い返すと何だかよく分からない。この本も、読めちゃうし何が起こっているか自体はわかる、でも思い返すと結局何だったんだ?となってしまった。 でも、考えてもその意図や原因が分からないことってたくさんあるし、そういうものは想像で補うしかないけど、したところで確かな正解に辿り着けるわけじゃないことってたくさんあるし記憶だって曖昧で形を変えてしまうものだし、なんて考えていると、「なんかもうよくわからん」そのものなのかな、この話も人間も。それでいいや、という気分になる。 作中にあった「あなたの頭の中のどこかに致命的な死角があるとは思わないの?」という問いには少しドキッとしてしまった。話を理解出来ないのはあなたの頭の死角の問題かもね?と意地悪な問を残されたような気がした。実際に死角は存在するだろうし、死角は認識出来ないから死角なのであって、つまりそう思ったところで結局正解なんてわからないぞ。というところまで考えさせるジョークなのかな、なんて事を思った。
  • 2026年7月19日
    わたしを離さないで
    わたしを離さないで
    介護人キャシーの思い出話が淡々と語られる。そこには悲しさと同時に暖かさが常に漂っている。 ヘールシャムという世界で学び、創作し、仲間たちを愛していた。その中で成長し、多くを理解して、世界を知り、外の世界からヘールシャムを眺めた時、それは湿地に座礁した船のようで、どうやってそこに打ち上げられたのかも分からないし、元から沈む事も進む事もない閉じられた世界だった。 そんな船に無邪気に乗り込んで、自分たちは航海していると信じていた。とても悲しい話だ。 それでも、船の中での会話や友情、恋愛が嘘になるわけではない。社会によって運命を決められ、それに抗うという発想自体奪われている彼らだけど、それでも懸命に生きる姿に、確かに人間の脈や鼓動を感じた。
  • 2026年7月17日
    人間失格
    人間失格
    「薬物やめますか?人間やめますか?」というポスターがある。 しかし、薬物を使用した人は、人間ではなくなるのだろうか。 葉蔵にとって、酒や薬物、女性への依存は、堕落の原因ではなく、人間を保つための支えだったのではないだろうか。 「世間」はそれらを堕落と呼ぶ。 葉蔵が恐れ続けた世間とは何なのか。世間とは抽象的な存在ではなく、一人ひとりの個人の集合である。それを理解したとき、「してはいけないこと」とは、結局は「誰かが、やめてほしいと思っていること」にすぎないことに気づく。そして葉蔵は、その規範に従う理由を見失い、人間であり続けるための依存をさらに加速させていく。 人間を無理に保ち続けることには副作用が伴う。依存は彼の肉体と精神を少しずつ蝕み、やがて彼を支えていたものは一つずつ失われていく。 最後に依存するものをすべて失ったとき、葉蔵は人間でいられなくなった。そして、「人間失格」という烙印を押したのは、世間ではなく、彼自身だった。
  • 2026年7月14日
    少年と犬
    少年と犬
    最近、動物から得られる栄養が足りていないなと思っていたところ、書店で目について購入。読みやすい文章で、スラスラと最後まで読めた。 犬は何も語らない。だからこそ、犬が自分に何かを語りかけてきていると感じるとき、その言葉や感情は、本当はもともと自分の中にあったものなのだと思う。 自分が言って欲しい言葉を勝手に託しているだけなのだろう。何とも都合の良い話だろうと思う。それでも、笑顔で、無垢な瞳で、暖かく柔らかな体で包み込まれると、人は素直にならずにはいられない。 犬には、そんな気にさせる不思議な力がある。
  • 2026年7月12日
    こわれた腕環改版
    こわれた腕環改版
    闇の世界しか知らず、その信仰を疑う事もなかった少女が、少しずつ心に違和感を覚え始める。その違和感はやがて闇に小さな亀裂を生み、その隙間から魔法使いの眩い光が差し込む。その光の中で、少女は失われていた本当の名を取り戻す。そして少女は世界の広さを知り、自由の意味を知る。しかし自由は、同時に不安でもあった。その自由に足がすくみ、一歩を踏み出せないでいたが、かつて自身の影と向き合った魔法使いはそっと背中を押す。そうして少女は未来へと歩き出す。 静かで落ち着いた話だったけど、とても満足。
  • 2026年7月10日
    クララとお日さま
    クララとお日さま
    人は良くも悪くも変わっていくものだ。揺れたり沈んだりしながらも成長し、老いていく。誰かを愛したかと思えば、同じ人を憎んだりもする。大切だったものも置き去りにして人生を歩んでいく。 ロボットであるクララは、変わらぬ愛を注ぎ続ける。お日さまのように明るく、優しく照らし続ける。 人は変わっていく。だからこそ変わらぬ愛に憧れるのだろう。 けれど、人が人である限りそれを手にすることはできないだろう。
  • 2026年7月9日
    モモ
    モモ
    >時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて型どったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのとおなじに、人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。 時間を大切にするとはどういうことだろう。限られた時間を有効に、無駄なく運用し、忙しなく動き続ける事ことだろうか。それとも川のように流れゆく時間を、心の限り、たっぷりと眺め味わう事だろうか。
  • 2026年7月7日
    筑摩世界文学大系 65 カフカ
    筑摩世界文学大系 65 カフカ
    審判のみ読みました。 突然、お前は罪を犯したと宣告される。そしてその罪が何であるかは誰にもわからない。理不尽で意味の分からない話だと思うが、果たして自分に罪がないなどと言い切れる人間はどのくらいいるだろう。罪とは何か。 子供を叱る時、大人の視点では叱る理由はあるかもしれない、でも子供から見えている世界では、何故叱られているのか分からない。そんなことはよくあることだと思う。大人の方でさえ、何故叱らなければならないか分かっていないこともあるだろう。そういう決まりだから、自分もそうやって叱られてきたから、社会の維持のために必要だから。何が良いか、何が悪いかは、社会の構造によって決まる。でもその社会構造が、自分からは決して全貌を見ることができない複雑なものであった場合、どうやって罪を罪と知ることができるだろうか。また、その罪は本当に受け入れなければならないものだろうか。構造によって規定され、押し付けられたものが、いつの間にか自己の内面を形成していく。鎖に繋がれることを拒まない犬のようになっていく。
  • 2026年7月2日
    リボルバー
    リボルバー
  • 2026年7月1日
    若きウェルテルの悩み
  • 2026年6月30日
    変身
    変身
    家族のために身を粉にして働いていた僕が、ある日突然巨大な虫になっていた件。 とんでもない話だが、その理由はいっさい説明されず、淡々と話が進んでいく。現実には人が突然虫になることなんてないが、それでもこの虫化には色々なことを重ねて見てしまう。突然働けなくなる、自分や身内が認知症になる、障害者になる、誰からも必要とされなくなる。そんなことが自分の身、あるいは身の回りには起こり得ないと断言することができるだろうか。そんな時、自分は、周りは、どうするだろうか。 グレーゴルの変化により、グレーゴルに大きく依存する形で維持されていた家族システムもまた変化する。父親は働きその威厳を取り戻し、母親もまた働きだし、子へ向けていた愛情も恐怖へと変わり、献身的な妹グレーテは、兄の世話をするという役割を獲得するも、それは兄を想う愛情だけで維持できるものではなかった。 変化によってシステムが維持出来なくなった時、当事者達が望もうが望むまいが、愛があろうがなかろうが、そのシステムは変更を余儀なくされる。そしてグレーゴル抜きで維持出来るシステムが完成した時、グレーゴルは本当に家族にとって必要のない存在、いてはいけない存在になってしまう。突然虫になり、システムから排除された者は、果たして本当に人でなくなってしまったのだろうか。そうではないと語るグレーゴルから、途方もない悲しみが生臭く漂ってくる。
  • 2026年6月29日
    聖母
    聖母
  • 2026年6月28日
    ジキルとハイド
    ジキルとハイド
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