悪意Q47

悪意Q47
悪意Q47
尾久守侑
思潮社
2020年9月25日
1件の記録
  • 尾久守侑『悪意Q47』収録の詩「日向坂の敵討」の冒頭、 《ほんとうは敵など討ちたくなかったのですが、討つことがよいとする向きもあり、仕方なく朝ごはんのパンにジャムをぬったらすっと透明にすけてしまって、でも今朝のうらないはしろ色でした。お母さんが、ダンスのまえに食べちゃいなさいと云ったままのおにぎりが、ロッカーのなかに入れっぱなしにしていたなあと、申し訳ない日もありましたが、今日はまた別のいちにち、と自分にいいきかせていると、スーツに着替えた夫の、おい弁当は、と聴こえて、はあ、夫婦生活、 ときゅうに三十歳の主婦の映像がとびこんでは、またわたしに戻ってを何回か繰り返したあと、ようやっと登校したのでした。》 この、現実に奇妙な現象が立ち現れ「映像」が流れ込んでくるかんじってマジックリアリズムだよなとおもったりする。「ようやっと登校」できるまでに起こったけれど起こっていない、「わたし」にまつわる事象は、いるかもしれないがいないかもしれないひとたちと「敵討」をしなければならないけれどしなくてもいいかもしれないことがしなくなってもよくなっていっているかもしれないまま続いていって「しんしん」とした俺は「しんしん」とした気持ちになるって言っていいかなと確認したほうがいいような気になったけれど、それは確認しないままでいいんだよなと「しんしん」としたままでいてそのまま眠ってしまえば、いまいないひとがいるような気がする、そんな気になれそう。
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