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素潜り旬
素潜り旬
@smog_lee_shun
詩人。『パスタで巻いた靴』(港の人)
  • 2025年11月8日
    あの人の調べ方ときどき書棚探訪
    柳下毅一郎の本棚。
  • 2025年11月5日
    背丈ほどあるワレモコウ
    背丈ほどあるワレモコウ
  • 2025年11月5日
  • 2025年11月5日
    遙かなる光郷へノ黙示
  • 2025年11月5日
    モ-将軍
    モ-将軍
  • 2025年10月22日
    晴れる空よりもうつくしいもの
    俺の詩集に近いものを感じた。 《私はだから お前もお前もお前も お前も 待っていたんだ》 「破水の陸」 《そういう歌がありさえすれば あなたもすぐに歌い終えるさ》 「つぐみに訊いた、いくつかの讃歌」 など俺個人の高揚timeが続き、めっちゃ好きだった。
  • 2025年10月22日
    対岸へと
    対岸へと
    メモ。突如書き終わりが書き始めに対応する行をこの詩集一冊を通して繰り返す。
  • 2025年10月22日
    生成する非在: 松下千里評論集
  • 2025年10月22日
    Beady-fingers.: 八柳李花詩集
    八柳李花『Beady-fingers.』は、書かれたあとに考えるみたいな思考の印が実際のスポットと重なり、さらに深い印となっている。 《夜の動物園に来てみないか、と 言った男 言われた男 の、 耳の奥で波音をたてる 古びた水槽の記憶》 八柳李花「削がれた跡に残るもの」 この詩も、「言った男」と「言われた男」のあいだにある「古びた水槽の記憶」を起点に深く深く削ぎ進めていきタイトルがあらわすものに帰結するその円環、その印。
  • 2025年10月17日
    御世の戦示の木の下で
  • 2025年10月17日
    フィールド映像術
    《しかしこのラリベロッチの路上のパフォーマンスの映像記録を行うなかで、私は壁にぶち当たる。 撮影をはじめた当初は、路上に繰り広げられる人びとのやりとりをただ淡々と客観的に”記録し、映像として抽出できる、とナイーブに考えていた。しかしながら、私の意図とは裏腹に、撮影中の私 に対して、被写体の人びとが盛んに話しかけたり、ジョークを言うようになった。それどころか、こ ちらがあらかじめ撮影対象の歌い手たちに、私やカメラの存在を無視して振る舞うことをお願いした にもかかわらず、撮影中の私の存在をおもしろおかしく歌詞に取り入れる始末である。このラリベロッ チの撮影の経験を経てはじめて、フィールドワークのなかで撮影者である私の存在や主観を排除した 映像記録が不可能であることに気づかされた。》川瀬慈「音楽・芸能を対象とした民族誌映画制作と公開をめぐって エチオピアの音楽職能集団の事例より」 《川瀬:私は撮影者である自らの存在を前景化する映画的な話法を探求してきました。映像をはじめ るまえはずっと音楽をやっていました。そのためなのでしょうか、民族誌や映画よりも、音 楽から映画的なインスピレーションを受けます。とくに、複数の奏者によって奏でられる improvisation(完全な free improvisation ではなく、ある程度の予定調和をもった、たとえば jazz などの)を参考にします。自らが奏者である、と同時に他の奏者の音を注意深く引き出す 行為は、映像が対象とする文化の脈絡のなかで、自らの立ち居振る舞いを展開させていく、私 の撮影手法と呼応します。》「映像が切り拓くフィールドワークの未来」
  • 2025年10月13日
    ゴダール/映画誌
    『勝手にしやがれ』についての記述、メモ 《ラストシーン、ジャン=ポール・ベルモンドが腰骨を撃たれてよろよろと逃げていき、そして倒れて息絶えるところは、これもゴダールが批評家時代に、「最も映画的なジャンル」である西部劇を「発明し直 しているのだ」とまで絶識した(「カイエ・デュ・シネマ」誌一九五九年二月第32号)、アンソニー・マン 監督の『西部の人』(一九五八)で強盗団の首領、リー・J・コップが背中に一撃をうけながらゴースト タウンの果てしなく長い坂道をよろよろと下り、最後の息切れの瞬間にひと声叫ぶ断末魔のシーンの引用的再現であったが、同時にラオール・ウォルシュ監督のギャング映画『彼奴は顔役だ!」(一九三九)の ジェームズ・キャグニーが銃弾をうけながらよろよろと走りつづけ、教会の石段のところで息絶える感動的なラストシーンをも合わせた引用だった。ジェームズ・キャグニーを抱きかかえる情婦のグラディス・ ジョージに警官がたずねる。「何者かね?」「顔役だった男よ」とグラディス・ジョージはつぶやく。「マイ ・メランコリー・ベイビー」のせつなく美しいメロディーが流れる。》
  • 2025年10月7日
    <私>の映画史
    <私>の映画史
  • 2025年10月7日
    高貝弘也(Hiroya)詩集
  • 2025年10月7日
    私写真論
    私写真論
  • 2025年10月7日
    A TASTE OF TANIKAWA 谷川俊太郎の詩を味わう
    A TASTE OF TANIKAWA 谷川俊太郎の詩を味わう
  • 2025年10月7日
  • 2025年10月7日
    写真の現在: クロニクル1983-1992
  • 2025年10月7日
    写真の力 増補新版
  • 2025年10月6日
    写真とことば ―写真家二十五人、かく語りき (集英社新書)
    萩原朔太郎の写真についての文。
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