作家の老い方

作家の老い方
作家の老い方
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中井久夫
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草思社
2022年9月28日
1件の記録
  • 読書猫
    読書猫
    @bookcat
    2025年9月4日
    (本文抜粋) “一日の仕事を終えて、深夜テレビを見ている時、気がつくと、じゅうたんにペタンと坐り、背中を丸め、あごを前に出して、老婆の姿勢をしているのです。 「あ、いま老けた……」と思います。“ (向田邦子「若々しい女について」より) “単なる人間の生きかたとして、よい生きかたをしている人については、老年も、若さも、問題にならないのではないかとおもう。“ (金子光晴「若さとは」より) ”然るに中年期に入って来ると、人は漸くかうした病症から解脱してくる。彼等は主観を捨てないまでも、自己と対立する世界を認め、人生の現実世相を、客観的に傍観することの余裕を得て来るので、彼自身の生きることに、段々味のある楽しみが加はって来る。“ (萩原朔太郎「老年と人生」より) “今年、僕は米寿を迎えました。だが、いまでも生きていることは楽しみです。朝、目が覚めた時から、詩が向うからやって来てくれるのをじーっと待つ一日です。僕が張っている網に詩が秋の渡り鳥みたいにかかってくれます。“ (堀口大學「酒」より) ”我々が若いうちは何かに取り憑かれていてそこからの抜け道があることが全く頭にない為にそうした抜け道が一切封じられているとも言える。 そのように未熟である状態に最も欠けているのが時間の観念であると考えられる。既に早く年取ることが出来ればと思うことがどこか遠い先に自分が望む自分というものを置くことでそれならば現在は無我夢中のうちに過ぎ、その前後には空白があるばかりである。それでも時はたって行くことを我々は若いうちは知らずにいる。併し時間の経過を意識しないでいる為に時間が止ることはないのでその刻々に自分がいることに次第に気付くようになることで我々は大人の域に近づく。それは我々がしたいことをするとか無智が知識で少しずつ埋められるとかいうことにも増してであって寧ろ時間の経過に気付くことで自分がしたことや知ったことが始めて自分のものになる。これは昔はよく聞かされた庭前の梧葉とか光陰を箭に喩えるとかいう種類の時間でなくてそういう人を急き立てる形での時間ならば人間は若いうちはいつも何かに急き立てられていて時計の音にも焦燥を感じる。“ (吉田健一「早く年取ることが出来ればと……」) ”加齢とは、愉快も悲哀も、希望も失望も結局はそこそこのものでしかないみずからの人生の凡庸と、少しずつ慣れ親しんでゆく過程にほかならない。“ (松浦寿輝「孤蓬浮雲」より) ”おとしよりのそばにいて不思議なことは皆、不思議と思うひと自身に送り返される。“ (鷲田清一「忘れの不思議」より) ”「唯一無二の私である」ということと「大勢の中の一人であるということ」は紙の裏表のようなものである。言葉でこれを統一することはできないが、どちらか一つを消すことはできない。この矛盾を日々の生活の中で生きてゆくことが人生なのであろう。“ (中井久夫「老年期認知症への対応と生活支援」より)
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