ガンディーに訊け (朝日文庫)

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- 句読点@books_qutoten2025年9月23日伝説の「聖人」としてのガンディーではなく、生身の生きた1人の人間としてのガンディーのことを知ることができた。ガンディーが生きていた当時のインドでも「マハートマー(偉大なる魂)」よりも「バープー(おじさん)」という呼び名で親しまれていたという。 生身の人間だからもちろん完璧ではない部分も見えてくる。特に家族関係などはうまくいかない部分も多かったようだ。 それでもなお、やはりガンディーの為したことは偉大で、現代にも鋭い問いを投げかけ続けている。最大の問いは、人間は「欲望」を乗り越えて真の自由と独立を確立できるか?という問いだろうと思う。 人間は不完全な存在であり、なかなか理想通りにはいかない。あのガンディーですら完璧にはいかなかった。しかし理想は理想であるからこそ、意味があるのであり、現実をできるだけそこに近づけていこうとすること、永遠に試行錯誤し続けることが大事なのだろう。「自分は完璧だ」と思った瞬間に堕落が始まるのだろう。理想は実現されてはならないが、実現を目指さなければならないという矛盾を抱えている。 巻末の著者と禅僧・南直哉さんとの対談が濃密で色々考えさせられた。その中で、ガンディーは、超越的な理論と現実的な実践のはざまで、矛盾を抱え続けたことが素晴らしかったのだと述べられていた。原理主義のようにスッキリ割り切ってしまう、ある意味で楽でかっこいい生き方ではなく、どこまでも矛盾を抱えつづけることを選んだ、と。それがガンディーの本質ではないかと。 この言葉を読んで、岡本太郎のことを思い浮かべた。岡本太郎も対極主義というのを掲げて、理想と現実、思想と実践、自分と他人、利己と利他などさまざまな対極軸の中で、どちらにもつかずに両極の強さをどんどん高めていって、磁石の同じ極同士を近づけるほど反発する力が強くなるように、その両極の中の矛盾をスパークさせ、すなわち爆発して生きること、それが岡本太郎の芸術、すなわち人生観でもあった。きっと岡本太郎とガンディーは似通った部分がかなりあるんだろうと思う。 もう1人思い浮かべたのは、中村哲さん。彼の業績はこれからどんどん強い意味を持っていくと思うが、彼のやったこととガンディーがやった非暴力闘争とを比べてみたい。中村哲さんの言葉や思想も知りたいと思った。まだちゃんと中村哲さんに関する本は読めていないから、これから読んでいきたい。 この本はたまたま実家に帰省する時に軽い文庫本を持っていこうと思い、本棚からたまたま選んだ一冊だったが、奇しくも帰省している間に東京で著者のトークイベントがあることを知り、サインをいただいた。(本来は別の本の刊行記念イベントだったのでその本にサインしてもらうべきだったが、その本はまあまあ分厚いので自宅に置いたままだったのだ。快くサインに応じていただいた思い出の一冊になるだろう)