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句読点
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@books_qutoten
島根県出雲市の本屋句読点です。
  • 2025年8月25日
    無支配の哲学 権力の脱構成
    久しぶりに栗原康の本読んだ。相変わらずの栗原節が炸裂している。ちょっと読み飛ばし気味で読んだ。 大杉栄が娘の名前につけたというルイズの激しすぎる人生とか、ロシア革命のこと、パリコミューンのことなど色々勉強になった。ウクライナのアナキスト、マフノのパルチザン戦術、棍棒を持ったサルのくだりがすごい。 パルチザン的なあり方がこれからカギになる気がする。遊撃隊。非正規でフラフラしている人たち。予測不能な動き方をして、パッと集まりパッと散っていく。逃げ足だけはめちゃくちゃ速い。むしろ逃走経路を確保することを第一優先に考える。どうあっても死なない、殺されない生き方。 自営業とか個人事業主っていうのは結構これに近いんじゃないかと妄想する。 アナキズムはよく無政府主義と訳されるが、本当は「無支配主義」と訳すのが正しいという。あらゆる支配関係を無くそうという思想。 この本の中で、フリーダム(自由)の語源がフレンド、友達であるということを初めて知った。上下関係や利害関係などではない、友達という関係性に自由の本質があるという。 そう考えるとワンピースのルフィの言動とかみてると、あらゆる支配関係を拒否し、権力者になることも否定し、自由をもたらすものとしての海賊王を目指すルフィ一味、特にルフィ本人がとてもアナキズムの思想を体現していると思う。尾田っちは結構アナキズムの本読んでると思う。 この本の中では選挙制度や民主主義という制度自体にも権力構造が覆い隠されていて、その欺瞞に加担しないために投票なんか行くな!と訴えられている。たしかにその考え方も分からないではないが、現状世の中はそうやって回っている。「お前はそういう現状を肯定するのか!」と怒られてしまいそうだが、やはり投票には行くと思う。それが最善だとは思わないけど、今より最悪な政治体制にならないために、渋々行くという感じか。 この本で書かれていることも頭の中に入れつつ、ちょっと冷めた目で、そんな自分自身の姿をちょっと恥ずかしいなと思いながらもやはり投票に行く。無駄かもしれないけど、ちょっとでも抗いたい。選挙に行かないことがいちばんの抗いだ!と言うのかもしれないけど、そうやって行くとますますしょうもない奴らがのさばって碌でもない政治をやるのが嫌だから渋々ノーを突きつけに行く。 それから、この本では庶民による暴動とか蜂起を「いいねいいね!」と称賛しているけど、やはりそこにはとても危険な一面があると思うし、結局そうやってもこの本で書かれているように革命は失敗してしまう。かっこいい武勇伝とかはできるかもしれないけどそれじゃ意味ないんじゃないか。「意味なんか求めるな!その瞬間に無条件にやりたくなっちゃったからやっただけだろ」とか言われそうだけど、言いたいこともわかるけどちょっとやはり落ち着こうと思う。その精神はリスペクトするけど。 政府がどうなろうと自分の身近な生活のこと、生き方とか思想なんかに介入しようとしてきてもガン無視して、やりたいようにやる、そうできる環境、仲間をつくるのがいいと思うし、自分たちの政治をやるっていうのも大事だけど、やはり政府が腐敗しないように見張るのも大事だと思う。周り回って自分たちのところにも影響してくるから。
  • 2025年8月21日
    瓦礫の中から言葉を
    東日本大震災後に書かれた本。 もう14年も経ってしまった。 このタイトルが表すように、震災後の自粛の空気感の中で窒息してしまったような言葉ではなく、 個の中から出てくる言葉について考える一冊。 石原吉郎、原民喜、堀田善衛、川端康成、串田孫一などの言葉に触れながら、本当の言葉を探っていく。 震災で顕になったのは、それ以前からあった言葉と実体のあいだにある断層ではないか、と。 石原の言葉が、SNS時代の今の言葉のあり方を再考させる。 「いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。民主主義は、おそらく私たちのことばを無限に拡散して行くだろうと思います。」 (「失語と沈黙のあいだ」『石原吉郎全集Ⅱ』花神社より) 拡散する言葉でなく、誰か一人に届く言葉を。 「言葉がもっともよくとどくのは、語り手(書き手)も聴き手(読み手)もまったくの「個」であるときだけです。徹底的に孤立的な個であるほど、言葉は人の胸にとどくのではないか。わたしはいつもそう思っています。」 p171より。 人を集団から抜け出させ、個にするような言葉を。霧のような言葉でなく、重さのある、手触りのある言葉を。空虚な言葉ほどよく拡散するが、人の内部にまでは届かない。拡散しなくともいい。今これを読んでいるかもしれない誰かに届く言葉こそが、求められている。 そうした言葉に出会ったと感じる時、人は言葉の力を知る。この本は私のために書かれている、と思わせるような本と出会う時がある。そういう本との出会いを求めている。本当はみなそうした言葉を求めているんじゃないか。そうした言葉を求めて、スマホの画面を右から左に動かし続けているんじゃないか。
  • 2025年8月19日
    ナショナリズムの正体
    ナショナリズムの正体
    最初に出たのは10年以上前だが、ますますこの本で語られる危機感が現実のものとなりつつある。すでにこの世を去った半藤一利さんがまだご存命だったら、きっと深く嘆いたに違いない。 ナショナリズムと一口に言っても、内実はさまざまであり、「良い」ナショナリズムもあれば、「悪い」ナショナリズムもある。前者は、自分の生まれた場所、受け継がれてきた文化、精神風土に愛着を持とうとする態度。これはこの本の中では庶民的ナショナリズムと呼ばれる。後者の悪い方は、国家が至高の存在とし、国民にその国家目標のために奉仕することを求める態度。戦前日本はまさしくこちらだった。注意しなければならないのは、良いナショナリズムが加熱すると悪いナショナリズムに変質する恐れがあるということ。 むしろ、悪いナショナリズムは、権力を維持したいものたちにとっての道具であり、不安や「愛国心」などの感情的なもので国民を煽り、統治のために利用しがちだということだ。 それを防ぐためには、庶民ナショナリズムの次元で留まり、他国にいる、この同じ層に居る人たちとの交流を深め、相互理解を重ねていくこと、急進的な改革ではなく、地道な、時間のかかる対話を重ねていくこと、だという。 参政党という、安倍政権よりもさらに酷い極右ポピュリスト政党が幅を利かせている。そんな連中を嬉々として支持する人たちがたくさんいる今の日本に幻滅する。どうやって抵抗すればいいのか。個人としてはできることは、まずこのようなきちんとした研究者の書いた本を読み、事実を知ることだと思う。そして明らかに危ない流れが起きていると感じたら恐れず声を上げることだと思う。
  • 2025年8月18日
    シベリア抑留とは何だったのか
    まだうまく言葉にできないが、読めて良かった。1945年8月15日で建前上は日本の戦争は終わったことになっているが、その後何年間も過酷な収容所体験をした人たちがいる。石原は8年もの間、生死の境をさまよいながら辛うじて京都の舞鶴に帰郷した。 『夜と霧』から強く影響を受けたという石原吉郎だが、きっと石原吉郎の本もあの本のような力があるのだろう。さっそく『望郷と海』を買った。極限状況に置かれた時に見える人間の本性に、正面から向き合い続けた石原。「《人間》はつねに加害者のなかから生まれる」という文章の意味をもう少し噛み締めたい。何度か読み直さねば。 とても良い本だった。
  • 2025年8月13日
    あの戦争と日本人
    『昭和史』の半藤一利さんによる、語りおろしの戦争史。 幕末から1945年の敗戦までをひと繋がりで見せてくれる。全て繋がっている。 特に日露戦争で辛うじて「勝利」を納めたのを境に、日本は道を間違えてしまった、とする著者の見方に納得した。そこから昭和の軍国主義、敗戦までは下り坂を駆け下りるかのよう。まさに司馬遼太郎がいった「坂の上の雲」を目指しひたすら坂を登ってきた日本が、とうとう坂の上にたどり着いたはいいが、実際には雲には手が届かないのにも関わらず、それを認めずに上ばかりを見て下(現実)を見ず、つまづいて転んでそのまま坂をゴロゴロ転がっていくようだ。 語り下ろしで、とても読みやすく面白く、かなり分厚いのに3日くらいで読めてしまった。 半藤一利さんのような、戦争経験者の語る戦前の歴史をきちんと知っておくことは、今後再び日本が道を誤らないためにも絶対に必要なことであると思う。今偏狭なナショナリズム、幻想に基づいた愛国心を説く政党が出現し、支持者もそれなりにいるようであるが、なぜあんなにも杜撰な、カルトまがいの、胡散臭い政党に人々が靡いてしまっているのだろうか。半藤さんがご存命であの政党のことを知ったらなんというだろうか。半藤さんが生涯をかけて伝えようとしてきた歴史の教訓が、ほとんどの人には伝わっていないことの表れではないか。 あの政党の支持者の発するSNS上のコメントなどを見ていても、頭を抱えたくなるくらいの不勉強、YouTubeやショート動画か知らないけどそこで摂取した誤った歴史観に基づいた薄っぺらい愛国史観を持っていることが分かる。グロテスクですらある。戦争をするということはどういうことか、負けることがどういうことか、現実をみるとはどういうことか、学ばねば。「核武装が安上がり」「南京大虐殺は無かった」「日本はアジアを侵略などしていない」などという発言を平気でするような人たちに、そしてそんな人たちを嬉々として支持する人たちに日本の平和を壊されたくない。
  • 2025年8月11日
    〈銀の匙〉の国語授業
    日本屈指の進学校、灘中学・高校で、50年国語の授業を受け持ってきた伝説の先生の半生を振り返る一冊。中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』の一冊をじっくり読み込むという授業が名物。しかし本篇の解釈を軸にしつつも脇道に逸れること、言葉一つからどんどん話を膨らませていくところが本領。国語が全ての基礎になっていて、受験だけでなく人間形成のためにも大事な勉強であるというスタンス。一生学んでいくべきものであると。しかし固くならずに、先生のユーモアも感じられつつ、好きなことを心の向くままに追求していくことが自然と学ぶことに繋がるという。これを読んでいるともっと勉強したくなってくる。とりあえず『銀の匙』を読んでみたい。
  • 2025年8月7日
    一銭五厘たちの横丁
    一銭五厘たちの横丁
    2日で一気に読んだ。 テンポよく進むのでスイスイ読める。 この本が最初に出た1975年頃までは、 まだ下町の人たちの暮らしは残っていて、 小気味良い江戸っ子気質の人たちの姿が生き生きと描かれている。 戦争の話は背景としてあり、中心にあるのは戦中、戦後を通した、庶民の生活史。 そんな職業があるの?と驚くようなニッチな職業がたくさん登場してくる。「目玉屋」が一番驚き。 背景にあるとはいえ、やはり常に戦争のことも念頭におきながら読んだ。 無事に戦地から戻った人もいれば、帰ってこなかった人たちもたくさんいた。 東京大空襲の時に亡くなった方もたくさんいただろう。 いつか東京に行くことがあれば、竜泉のお寺に行ってみたい。
  • 2025年7月21日
    現代語訳 暗黒日記
    現代語訳 暗黒日記
    今一番読みたい
  • 2025年7月20日
    キタキツネ物語 (1978年)
    とても美しい本だった。 北国の大自然の中で生きるキタキツネたちの物語。 過酷な大自然の中で、時に人間による脅威とも立ち向かいながら懸命に命を繋ぐ野生の動物たち。 なんて厳しく、美しい生き様だろうと思う。 毎日が生きるか死ぬかの世界で、失われる時は本当にあっけなく一瞬だ。 人間はこの感覚を失って久しい。 もちろんそれは良いことであるし、今から大自然の中でこのキタキツネたちのように生きようといっても無理がある。 基本的には寿命を迎えるまで、死とは遠ざかって生きている。 死を遠ざけることで、当面の間は自分には関係がないこととして、日々を平穏に過ごすことができている。 しかし、本当は、死があるからこそ生もあるのであって、片方だけでは成り立たない。 常に生の背後には死があることを忘れずに行きたい。 死は恐ろしいものであると同時に、生をより鮮やかに引き立たせもするものだと思う。 そしてキタキツネたちの計らいのなさ、ただ生きるために、命を繋ぐためにやることをやるというシンプルな生き方。家族や仲間が非情な死を迎えても、それでも自分は生きていかねばならないことを受け入れて、生きていく強さ、美しさ。 人間が同じような生き方をすることはもはや不可能に近いが、そうした世界が自然の中にあることを想像しながら、人間も本来はそういう世界からやってきたことを思いながら生きていきたい。
  • 2025年7月5日
    アトウッド『侍女の物語』『誓願』6月
    トランプ政権や参政党のことを重ね合わせながら読んだ。ユートピアとディストピアは対極なのでなく、むしろかなり近いものだという指摘になるほどと思った。独裁国家も、最初は甘い言葉、美辞麗句で飾り立てて、気づいたら手遅れ、という手口をいつも使う。リテラシーが欺瞞を見抜く。本を読もうと思った。
  • 2025年7月3日
    検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?
    最近の参政党の動きが不気味すぎて読んだ。 「参政党は「良いこと」も言っているのか?」を考えるために。 薄々わかってたけど、驚くほどナチスとの共通点があって、ますます危機感を持った。(伝統的家族観、健康政策、民族共同体の創出、女性蔑視、外国人差別、排外主義、などなど) ナチスに限らず、「大日本帝国は「良いこと」もしたのか?」など、いろいろ応用の効く考え方をしることができる。一面的に切り取って、「良いこと」のように見えることも、全体の目的や結果、その後の歴史学の評価なども知らなければ、本当に「良い」ことかどうかは安易に判断できないし、ほとんどの場合、「良くなかった」と判断できると思う。
  • 2025年6月30日
    太陽の子
    太陽の子
    店でやってる読書会で読んだ。 6月だから沖縄の本がいいと思い選ぶ。タイトルは有名で知っていたけどそれまで読んだことがなかった。読んで、本当に心が揺さぶられた。 まずなんといっても登場人物たちが全員魅力的。さまざまな痛みや悲しみを抱えながらも、だからこそ人の痛みもよくわかる人たちだからとても優しい。戦争が何をもたらすか、歴史の教科書で知識だけ学ぶのでは得られない、生々しい感情、人ごとではなく自分の心が痛む思いを、こうした文学は伝えてくれる。「肝苦さ」(ちむぐりさ)の感覚を読むものにももたらす。文学、人の語りの力。戦後80年の今読めてよかった。沖縄にも行ってみたい。
  • 2025年6月28日
    影との戦い
    影との戦い
    ずっと読みたかったゲド戦記をようやく読み始めた。久しぶりにこういうファンタジー冒険もの読んでるからワクワクする。長い長い物語だから、当分終わらない楽しみができた。
  • 2025年6月28日
    宮崎駿の「深み」へ (平凡社新書 243)
  • 2025年6月28日
    いのちの食べかた (よりみちパン!セ)
    読了。 普段食べている牛肉、豚肉、鶏肉がどうやって食卓に来ているかの話から始まり、差別の問題、無関心の問題につながり、戦争という大きな問題もこうした身近な問題を知ることから解決できるのでは、というところへ。 食べものから戦争へ。 とても良い本でした。中学生くらいから読めるけど、大人こそ読んでほしい。
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