狼が連れだって走る月

狼が連れだって走る月
狼が連れだって走る月
管啓次郎
河出書房新社
2012年1月7日
5件の記録
  • 「だれかがいう、あの町には何もないよ。そのとき彼/女が意味しているのは、そこには商品がないということだけだ。それを買って持ち帰れば自分の威信につながるような神話的な商品が、そこにはない」 旅するように暮らすことを、あるいは暮らすように旅することを試みている今のわたしをたきつけるような文章の連なり。何でもっと早く読まなかったのだと思う。どこから開いて読んでもいい。この度の傍にずっと持っていたい。
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    2025年10月13日
    「するとジョルジがほそぼそといった。もちろんさ、人間の生涯でいったい何が最後に残るとおもう、風景の記憶、それだけさ、物の所有なんてぜんぜん問題にならない、それに人間が他人と何を共有できるとおもう、あるひとつの風景をあるときいっしょに見たという記憶、それ以外には何もない、何も残らない。」
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    2025年10月13日
    光の哲学者(フォトエビステモロジスト)のマースは、かつてこういったことがあった。『死を宣伝することに明け暮れる陸のメディアに対して、海のディープ・コミュニケーションが叛旗をひるがえすんだ』って。」Drexciyaぽい。
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    2025年10月5日
    管啓次郎さんの文章を読んでいると、旅に出たくなる、というのはわたしには少しハードルが高いから、とにかく部屋を出て歩き出したくなる。「無用の歩行、気まぐれな小さな旅」あるいは何処かを目的地にして。内容もそうだけれど、文章自体の響きとフロウがそんな気にさせてくれる。そんな文章、本をズボンのポケットに入れて出かければ、「手ぶらでどこまでも歩いてゆける」という気にもなる、ことにしておきたい。
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    2025年10月2日
    「おそらく刺激や興奮や新たに得られた知識の量を測定してゆけば、その数値がぐんと高まる状態を「旅」、低く安定した状態を「日常」と、呼びわけることができるのかもしれない。」 なるほどもしそうだとするなら、読書、この文章を読んで刺激を受けた瞬間も「旅」をしていたと言っても良いのではないか。——著者や登場人物の経験やそこに描かれる世界を疑似体験する、ということとは全く別の意味で——そんな風に考えてみると、旅はおろか移動も制限されているような気がしている「日常」のなかで少し気分が良くなった。
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