となりのヤングケアラー
5件の記録
コトリ@kotoribooks2026年2月19日読んでる図書館本第4章まで。 自分ではそうと思っていないのに、突然「ヤングケアラー」と呼ばれたら、嫌な気持ちになるかもしれないことは想像できる。 他者から勝手にされるラベリングは、時に差別的な意味を持つこともあるから。 あくまで支援者側の都合で呼ぶそのようなラベリング(ヤングケアラー以外にも発達障害とか他にも色々)は扱いに注意する必要がある。 当事者が自分で、それかもしれないと思う時、誰にどう助けを求めればいいのか知る手掛かりになる。同じ境遇の仲間と分かち合う手掛かりにもなる。 ケアすべきはヤングケアラーだけでなく、彼らがケアする家族も当然ケアを必要としている。 それを子どもが行っていることが良くない状況なのであって、社会で支えていくことが必要なのに出来ていないという事実に行き着く。 家族のことは、他人には話しづらい。見当違いなことを言われ嫌な思いをするかもしれない。勝手に言いふらされるかもしれない。相手に嫌われるかもしれない。話したくても話せない場合もあれば、話したいとも思っていない場合もある。だってこれが普通だからと。 ヤングケアラーになってから助けを求めることは難しい。繰り返しになるが、ヤングケアラーが生じる前に、その家族のケアが出来ている社会になって欲しいと思う。
コトリ@kotoribooks2026年2月19日読んでる図書館本第5章 昔の家族や地域のコミュニティが強かった頃は、家族のケアを行なっていても周囲に頼れる人がいた。現代の子どもは孤立し、誰にも頼れずケア労働を担っている。 主婦に押し付けられてきたケア労働が、共働きせざるを得ない経済状況になったことで、子供が担うことになった。 精神疾患患者の増加、労働条件の悪化を理由に挙げているけれど、ここはもっと色々な理由がありそうな気がする。そのうち調べてみたい。
コトリ@kotoribooks2026年2月19日読み終わった図書館本第6章〜終わりまで 「助けて」と言葉で言わなかったとしても、何らかの方法でSOSを発している。行動、表情、発言…「助けて」「困っている」というワードが出なくても、大人は読み取らなければならない。 自分サイドの大人にしかSOSは見せないかもしれない。 「居場所をもっていることは支えになる」 居場所=誰かとつながれる場所/自分が自分でいられる場所、という感じだろうか。 これは、子どもも大人も必要だと思う。 支援の場に本人の意見を取り入れること。本人の意思の尊重。主体は子どもなのだから。 貧困は連鎖する。連鎖を断ち切るための継続的な支援、伴走。心理的な余裕ができて初めて、自分で選択できるようになる。 「隙間に陥った一人の子ども」 制度の狭間、社会の隙間にいる子どもたち。 このシリーズ、巻末『次に読んで欲しい本』リストは素晴らしい。紹介文が対象読者に合わせ、かつコンパクトにまとめられているのが良い。さすがです。
ゆう@suisuiu2025年6月22日読み終わった職場の隣のチームでヤングケアラーの事業をしているにも関わらず、思ってた以上に表面だけしか知らなかったんだなと顧みている。そしてもちろん、まだまだほんのほんの表面しか知らない。幸いなことに20歳前後で親元を心身共に離れることができた私はどこかさっぱりきっぱり考えすぎるところがあり、どうしても「そうすることのできない」人への想像力に欠けるところがある。ということも改めて自覚できた。なんでそうしないの?と無自覚に否定してしまっていたこともきっとあった。 ヤングケアラーの抱える気持ちは愛と憎しみの二項対立ではない。「世界でいちばん憎くて、世界でいちばん愛してる」のだけど、親の「代わり」をすると自分が溶けて失くなってしまう。お手伝いとは違い、そこから逃れる選択肢はない。参考書籍もいろいろと読んでみたい。









